私と彼の溺愛練習帳
 彼もある日、捨てて行ってしまうのだろうか。
 それならいっそ、自分から出て行った方がいい。
「よからぬこと考えてるでしょ」
 耳に口を寄せて、彼はささやく。

「ごはん食べて。おなかいっぱいになれば少しは気分もよくなるよ」
「……ありがとう」
 雪音はそれだけを答えた。



 食後、彼はまたココアを淹れてくれた。ソファで並んでそれを飲む。
「アステカではココアは貴族の高級な飲み物だったらしいよ」
 閃理が言った。

「アステカってなんだっけ」
「昔の国。現在のメキシコあたりにあったって。謎に満ちてて興味深い。撮影に行ったことあるけど、遺跡がすごかった」

「いいなあ。外国なんて一回も行ったことない」
 素直にうらやましかった。若くて才能もあってお金もあって、外国に行けて。

 以前に見たとき、海外の名所の動画がいくつもあった。フランスを始め、ギリシャの神殿、ドイツのノイシュバンシュタイン城、カンボジアのアンコールワットにインドのタージマハルなどなど。旅行ついでなのか撮影のために行ったのかはわからない。とはいえ、フランスは彼の母の国なのだから、旅行ではないのかもしれない。

「時間ができたら一緒に行こう」
 閃理はやわらかく微笑した。
「できたら……ね」
 雪音はごまかすように答えた。いつになればそんなお金がたまるかわからない。彼なら出してくれると言いそうだが、そこまで甘えるわけにはいかないと思う。

 ココアを一口飲んだ。
「甘い……」
 カカオとミルクがたっぷりで濃厚だった。カカオに負けない甘さが、今日はくどいように感じられた。

「甘い方が幸せな気持ちになるよ」
「甘すぎるとかえって喉が渇くわ」
 どこまでも渇いて、きっとそれを欲してしまう。無限に与えられるわけではないそれを。
「これからは少し甘さを控えるね」
 閃理は答える。
< 57 / 192 >

この作品をシェア

pagetop