私と彼の溺愛練習帳
 旅館に到着し、部屋に行く。
 モダンな和室だった。居間と寝室が分かれていて、寝室にはベッドが二つ並んでいた。
 丸いぼんぼりのような照明がかわいい。床の間の壁も丸くふちどられ、掛け軸がかけられていた。その手前にある生け花の枝ぶりがまたがすばらしい。

「旅館あるあるの窓際の謎スペースがちゃんとある!」
広縁(ひろえん)ね」
 閃理は苦笑した。
「旅行なんて高校の修学旅行以来だわ」
 目をきらきらさせて閃理を振り返ると、彼は笑顔を浮かべていた。

「あなたがうれしいこと、またできたかな」
 閃理はやわらかく雪音を抱きしめる。
 雪音はぎゅっと抱きしめ返した。
「私……大丈夫だから」
 雪音の声は小さかった。
 閃理ははっとして、それから雪音の頭を撫でた。

「無理しなくていいよ」
「あなたに我慢させたくないの」
「そしたらあなたが我慢することになるでしょう? あなたがいてくれたら僕はそれでいいんだから」
 雪音はさらにぎゅっと彼を抱きしめた。

「今日の旅行、いいことノートに書いてくれる?」
「もちろん」
 雪音は即答した。

 でも、と閃理は思う。
 彼女がノートを広げているのを見たことがない。自室で書いているだけなのかもしれないが。日記のたぐいなら、むしろそうするだろう。
 まあいいか、と閃理は思い直す。
 彼女がここにいてくれる。それがすべてだ。



 大浴場で温泉に入った。閃理は浴衣に着替えたが、出て来た雪音は自宅から持って来たスエットを着ていた。
「雪音さんは浴衣を着ないの?」
「旅館の浴衣って防御力低くない? はだけそうで怖くて」

「見たかったな……でも浴衣姿の雪音さんをほかの男に見られなくてすむからいっか」
「なに言ってるのよ」
 あきれる雪音を見て、閃理はくすくす笑った。
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