初めての溺愛は雪の色 ~凍えるため息は湯けむりにほどけて~
 私っていい人だわ。悪役になったりして大変。女優になれるかしら。
 貴斗さんはお礼にバッグを買ってくれるって言ったけど、なににしようかな。
 周りの白い目を気にせず。瑚桃は食堂で今日のランチを頼んだ。
 いいことをしたあとの食事はおいしい、と思った。



 もう無理だ。
 貴斗に手を引っ張られて歩きながら、初美は思う。
 なにもかも、もう無理。耐えられない。
 貴斗はそのまま初美を近くのレストランに連れて行く。
 シェフのおすすめランチを二人分頼んでいるのを、ぼんやりと見ていた。

 どこかで転職しよう。旅行もやめよう。そしたら事務でも女一人生きていくだけのお金はためられるのではないだろうか。

 アラサーでどの程度の転職ができるのかはわからない。転職活動などしたこともない。この会社で安穏と生きていく、なにがあってもしがみついていくと思っていた。

 だけど、こんなのはもう無理だ。
 食事はろくに喉を通らなかった。残すのが嫌で無理矢理食べたら、その後は吐き気に襲われて仕事に集中できなかった。



 終業時刻を過ぎてから、初美は貴斗のデスクに向かった。
「退職させてください」
 初美は退職願を出した。
 貴斗は険しい顔で初美を見た。

「どうして」
「一身上の都合です」
「やめたあとはどうするんだ」
「転職します」
「あてはあるのか」
「これからです」
 なんでそんなことを聞くんだろう。初美は憂鬱に彼を見た。

「それなら、俺と結婚しよう」
 貴斗が言い、初美は顔をこわばらせた。
「俺は初美がいいんだ」
 手を握られそうになり、避けた。が、壁があってよけきれず、貴斗に壁におしつけられる。
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