初めての溺愛は雪の色 ~凍えるため息は湯けむりにほどけて~
 今日は酔ってないんだから、前みたいにはいかないんだからね。
 ちょっとだけ、彼をにらんだ。彼は気付いた様子もなく平然としていた。

 店を出ると、空気の冷たさに震えた。
 吐く息が白くて、東京なのに凍りそうだと思った。
「寒いね」
 蓬星がつぶやく。
 黒いトレンチコートを着た彼は、夜の明かりの中でも人目を引いた。

 やっぱりかっこいい、と初美は彼を見る。
 彼の周りだけ、空気が輝いて見える。
「俺の顔になにかついてる?」
 聞かれて、はっとした。
「なんでもないです。お疲れ様でした」
 頭を下げ、帰ろうとしたときだった。

「待って」
 止められて、初美は振り返る。
「俺、君の忘れ物を持ってるんだけど」
「忘れ物?」
「わからない?」
 くすりと彼は笑う。

「なんでしょう」
 初美は不安に首をひねる。きっとろくでもないものだ。内心で冷や汗をかいて思い出そうとするが、なにも思い当たらない。

 彼は初美の耳に顔を近づけ、ささやいた。
「……下着。今どきのシンデレラは靴じゃなくて下着を忘れるのかな」
 初美の顔がカーっと熱くなる。
 忘れていた。
 温泉から帰って、ブラが一枚なくなっていた。宿に忘れたと思って記憶から追いやっていた。

「お気に入りが……」
 気がついたら声に出ていて、はっとした。
「え?」
「なんでもないです! 捨てておいてください!」
 言い捨てて、初美は逃げ出した。

 忘れてほしい。
 私も忘れたい。
 どうしたらこの記憶を消せるのか。
 電車に乗っている間中、ずっと考えた。
 月曜日に彼に会うのが不安で仕方なかった。

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