初めての溺愛は雪の色 ~凍えるため息は湯けむりにほどけて~
「呂律がまわってませんね。病院へいきましょう」
「おおげさらよ」
「ダメですよ。芦屋さん、救急車を呼んで」
「え?」
「早く!」
「はい!」
 初美は慌てて部屋に戻り、電話をかける。119。たった三つのその番号を押すだけなのに、手が震え、心臓が早鐘を打った。

 どうして救急車なのだろう。そんなに緊急事態なのだろうか。
 電話の相手は冷静に、初美に質問する。場所はどこか、症状は。名前は。年齢は。初美はそれに必死に答えていった。
 バタバタと救急隊員がきて、室長は自分で担架に乗って運ばれていった。
 社員が一人、それに付き添った。

「大丈夫でしょうか、室長」
「脳卒中の前兆でろれつが回らなくなった人を見たことがある。それにそっくりだった」
「どうなるんでしょう」
「俺にはなんとも言えないな」
 蓬星は難しい顔で答えた。



 結局、佐野は軽い脳卒中ということで即日の入院となった。
 幸いにも軽症のうちに発覚し、後遺症は残らないだろうということだった。だが、しばらくの入院と静養が必要だった。

 必然、蓬星の仕事が増えた。
 温泉どころか、まったくデートどころではなくなってしまった。
 毎日残業する彼に、初美は心配になった。だが、自分などろくに役に立たない。せめて、と雑用は積極的に引き受けた。
 日々やつれていく彼に、心配することしかできなかった。



 問題が起きたのは佐野が倒れて数日後だった。
 その日はノー残業デーだった。終業時間を過ぎると、みな帰り支度を始めた。飲み会に行く相談をする同僚もいた。
「お疲れ様でーす」
 瑚桃が上機嫌で蓬星に声をかけた。
「いらないデータを見つけたので削除しておきましたよ」
「ありがとう。気が利くね」
「私って有能なので。先輩、データ整理が下手ですねえ」
 瑚桃の余計な一言に、初美はムッとした。
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