初めての溺愛は雪の色 ~凍えるため息は湯けむりにほどけて~
「なんだかごきげんね」
「営業のイケメン部長に誘われて、今日は飲みに行くんです」
 瑚桃は鼻歌を歌いながら出ていった。
 初美は嫌な予感を感じつつ、その背を見送った。
 瑚桃が貴斗と飲みにいくなんて。このあとなにもなければいいのだけど。

「芦屋さんも早く上がってね」
 蓬星に声をかけられ、初美は思考から戻った。
「もう少しできりがつきそうなんです」
 答えて、初美はキーボードを打つ。
「芦屋さんは打つのが早いね」
「これだけがとりえです」
 今どきパソコンを使えるのは普通だし、打つのが早かったところで何もメリットはないのだが。

 仕事のきりをつけて、初美は小さく息をついた。
 ふと周りを見るとみんな帰ったあとで、残っているのは初美と蓬星だけだった。
 蓬星はまだ残って仕事をしていくのだろうか。
「なにか手伝えることありますか?」
「大丈夫」
 疲れた顔に微笑を浮かべて、彼は答えた。

「早く帰れるときには帰って、体を休めて」
 そう言われると、初美にはもうなにも言えない。
「お先に失礼します」
 彼一人を部屋に残して帰ろうとしたときだった。
「あ!」
 思わず、というような彼の声が聞こえた。

「どうしました?」
「客先に送る資料のデータがない」
 蓬星は焦ったようにカチカチとマウスをクリックする。が、目当ての物はどこにも見つからないようだった。

「クラウドにバックアップがありますよね」
「それごと消えてる」
「まさか」
「室長に頼まれていたやつなんだが……」
 蓬星はディスプレイをにらむようにして見る。
「こんなの、消えるなら誰かが意図的にやったとしか……」
 初美は蓬星と顔を見合わせた。
 二人の頭には上機嫌な瑚桃の姿が浮かんでいる。
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