初夜をすっぽかされたので私の好きにさせていただきます
15.一日目の告白
ルシウス・エバートンという男について私が知っていること。
少し癖のある黒髪にアーモンド型で碧色の目。ロカルドよりわずかに背丈は低いけれど、肩幅や腰回りは鍛えているのか太く男らしい。そのためか、ロカルドを前にしてもまったく感じたことのない威圧感を、ルシウスからは感じた。まるで牙を隠し持った肉食動物と対峙しているような。
ロカルドの友人として認識はしていたが、私はルシウスについてあまりに無知だった。廊下ですれ違うことはあっても、会釈すら交わさない間柄だったし、そもそもロカルドが学園で私との接触も持たがらなかったためだ。まともに紹介されたかすら、記憶が定かではない。
でも、その名前は鮮明に知っていた。
特進クラスに身を置くロカルドやルシウスは、私を含め一般クラスから羨望の眼差しを受ける。それは一種のカルト的なもので、私たちは彼らの動向をいつも話のネタにして花を咲かせていた。もちろん、ロカルドを婚約者に持った私に対しては厳しい冷遇もあったけれど。
ロカルドに次いで、ルシウスまでもと婚姻関係になったら周囲からは確実に孤立する。農業なんて今時儲かる分野でもないのに、どうしてミュンヘン家もエバートン家も我が家と手を組みたがるのだろう。
父であるウォルシャーが余程上手い口車で彼らを言いくるめたとしか思えない。すべてを知っているであろう父親のことを考えると、また怒りが込み上げてきた。
「……シーア、入って良い?」
小さな声と控えめなノックの音が聞こえた。
入って来ないでと言ったら彼は永遠に許可が降りるのを待つのだろうか。そんな意地悪なことを考えながら適当に返事をすると、片手に銀の盆を持ったルシウスが入って来た。
「朝食を用意したんだ。食べられる?」
「食欲はないの、結構よ」
「水だけでも良いから飲んで」
差し出されたグラスを渋々受け取った。
「毒でも入ってない?」
「先に飲もうか?」
「ええ、お願い」
ルシウスの唇がグラスの縁に触れて、透明な液体が少し流れ込んだ。ごくりと喉を鳴らすと「ほらね?」と私に渡す。私は仕方なく残りの水を飲み干して突っ返すように、グラスを彼の手に押し付けた。
昨日、ルシウスは私と夫婦になる準備をすると言った。この隔離生活はそのためのものであると。私だって馬鹿ではないから、その言葉が単にお揃いのパジャマを着て手を繋いで眠ることを意味するのではないと分かっている。
つまり、身体の関係を持つことであると。
「何を考えているの?」
ルシウスは不思議そうに首を傾げた。
私は心の中が探られないように目を逸らす。
「最悪だなと思っていたの、何もかも」
「君が乗り気でないことは知っているよ」
「ロカルドと婚約破棄出来たと思ったら次は貴方?良い加減にしてほしいわ、私はものじゃない」
「交わす予定だった初夜の相手が変わっただけだ」
「私はロカルドのことを愛していたわ…!」
言葉が飛び出た瞬間、ハッとして口を押さえた。
いくら何でも失礼な発言だ。ルシウスだって家の命令で私の相手をするだけなのに。私たちはお互い被害者であって、ただ彼はそれを知らされていただけのこと。
傷付けるようなことを言うべきではないのに。
「ごめんなさい、貴方の意思ではないのよね。恨むべきは私たちの両親よ。家の問題に子供を巻き込むなんて」
「そういうわけでもないよ、シーア」
「どうして…?」
「カプレット子爵に結婚の提案をしたのは俺だ」
私は目を見開いてルシウスの顔を見つめた。
冗談を言っているのではないかと思った。
「これは家の問題だけじゃない、俺の希望でもある」
「………なんで…貴方が、」
「君のことが好きだから」
「……ルシウス…?」
いったいどうして気でも狂ったの、と笑い飛ばして背中でも叩けたらどんなに良いだろう。私はなぜ彼の提案に乗ってノコノコこんな場所まで来てしまったのか。
いつの間にか背中に回された手が私を抱き寄せる。絡まる視線が外せない。こんなことなら、鉄アレイなんかじゃなくて防犯用のブザーでも忍ばせておいた方がよっぽど良かった。
「触らないで…!」
「急がなくて良いんだ、今すぐじゃなくても」
「貴方のせいなのね!全部知ってて…!」
「最後には受け入れて…お願いだ、シーア」
切ない声音を聞きながら私はルシウスの胸を叩き続ける。
黙って私を騙したくせに、どうして彼がこんなにも傷付いた顔をするのか分からなかった。