初夜をすっぽかされたので私の好きにさせていただきます
02.カプレット家の末娘
私には婚約者がいる。
ロカルド・ミュンヘンと言う名の彼は、美しい金髪に長身、正に童話の中の王子様のような理想的な存在だった。同学年で同じ学校に通っているが、特進クラスと呼ばれる名実ともに優れた、選ばれた者のみが許される階級に彼は属している。
子爵とは名ばかりでギリギリの農地経営を手掛けるカプレット家の、それも末娘である私が、何故そのような高位の子息と婚約を結ぶ運びとなったか。一説では賭け事に負けたロカルドの父親が致し方なく受け入れたとか、この機にカプレット家の農場をミュンヘン家の領土として吸収しようとしている、とか様々なことが囁かれているようだが、子供である私は何も知らない。
私が理解していることは、ただ一つだけ。
美しい自分の婚約者が微塵も私のことなど愛していないということ。実際に彼が、友人たちから私について聞かれた際に「シーアは大人しく地味な女だ」と説明しているのも聞いたことがある。好きな相手のことをこう形容することが照れ隠しなのだとしたら、彼は大層な恥ずかしがり屋ということになる。
ロカルドと私は、毎週金曜日にミュンヘン家で行われる夕食会の時以外はほとんど顔を合わさない。デートだってまともにしたことはないし、学園でのパーティーにもロカルドは友人たちと出席するので、私が彼と連れ立って参加したことはない。
それでも、私たちは婚約関係にある。
いずれは夫婦となり、私はロカルドを支える身となる。
私はただただ、縋るようにそう信じていた。周囲の人間からロカルドとの婚約を疑われたり、彼の親衛隊のような令嬢たちから嫌がらせを受けたりしても、私は泣き言を言わなかった。外野の彼らが何と言おうと、自分たちの婚約を覆すことなど出来ないと知っていたから。
「……シーア様、もう今日は…」
幼い頃から私の世話をしてくれていた侍女のステファニーは心配そうに私にガウンを差し出す。私は自室のテーブルに座ってお茶を飲みながら、現れることのない婚約者を待っていた。
あと数分で私は18歳になる。
この国では女性が成人を迎える夜、婚姻関係にある男女は共に初めての夜を迎えることになっていた。『初夜の儀』と呼ばれる一夜が持つ意味は大きく、若い令嬢であれば誰もが憧れることだった。
そのイベントを、私は今すっぽかされようとしている。
理由は既に分かっていた。ロカルドはきっと彼の同級の令嬢と共に居るのだ。夜遅くまで二人がプライベートな時間を過ごしているらしい、という情報は私の耳にも届いている。
「ステファニー、今夜のことはお父様に言わないで」
「……しかし!シーア様、これは明らかな裏切りです!」
「私だって分かってる。でも、父を傷付けたくないの」
「シーア様……」
「ロカルド様には私から確認を取るわ。お願い、それまでは何も他言しないでちょうだい」
「……承知いたしました、」
頭を下げてステファニーが部屋を出て行くのを見届けてから、私は冷え切った紅茶を飲み干した。
「貴方が言った通りになったわ…ルシウス」
ロカルドの友人であるルシウス・エバートンから「君の婚約者は他に想い人が居るようだ」と聞いたのは、ほんの数日前の話。わざわざ私の家に出向いてまで、そんな話をしに来た彼を初めは疑った。
しかし、見せられた数枚の写真や、ロカルドと相手の令嬢マリアンヌの学園での様子を聞くうちに、僅かな希望も消え失せた。それでも、そんな彼でもきっと『初夜の儀』だけは守ってくれると思っていたのに。せめてもの礼儀を尽くすことさえ、してくれないなんて。
目を閉じると両目からは堰を切ったように涙が零れ落ちる。今この瞬間にも、愛する婚約者は他の女の耳元で愛を囁いているのだろうか。
彼の頭の中に、婚約者である私の誕生日が記録されていたのかすら微妙なところだ。最近食事をした際も、誕生日に関する質問は一切無く、いつものように淡々と時間を消化するだけだった。
(どうやら、もうこれまでみたい…)
立ち上がって本棚に手を這わす。抜き取った一冊の本に挟まる紙を握り締めた。ルシウス・エバートンはどういうわけか、彼の個人的な理由から私の復讐に手を貸してくれると言った。
紙に書かれていたのはエバートン家の住所。明日、学校の帰りに寄ってみるつもりだ。ルシウスは、私のことをいったいどんな顔で迎えるのだろう。