この結婚には愛しかない
本来のキミは、仕事熱心で優しく思いやりがある。人望があり常に人に囲まれ、明るく笑顔に溢れていたこと。

ハラスメント委員会による調査が行われたが、真実は明かされなかったこと。

ついに出社できなくなったキミの家に、当時の大森次長が出向き、キミのお母さんを交えて話し合いをし、一緒に転職しようと誘ったと聞いた。


だから俺はキミを気にかけ、見守っていた。

人の顔色ばかり気にして、自分の意志を一切表に出さないどころか、表情すら失くしたキミに、せめて笑って欲しかった。

それから、仕事はやりがいがあること、その中に楽しさを見出して欲しかった。

社会人、そして組織に絶望して欲しくなかった。


キミと親しくなった宮内さんの声掛けで、4人で仕事終わりに飲みに行ったのをきっかけに、プライベートでも親交を深めて行った。

2人きりで会いたい。キミの恋人になりたい。

その願望はずっと隠し続け、最後に1度だけと、あの牡蠣イベントだけはわがままを言わせてもらった。

恋人ではないキミと、恋人同士のような休日を過ごしたかった。


「それからえーっと、なんて言う名前だったか、ほら、大森くんが銀行から連れてきた綺麗な、」

「小泉ですか?」

「そう、小泉さんだ。先日新規取引先とのキックオフミーティングに顔を出した時、ちょうど彼女が自社紹介をしていたんですけどね。その時の彼女は堂々と自信を持った立ち振る舞いで感心しました。先方の皆さんからも評判が良くてねえ。神田室長の指導のおかげでしょうねえ」

「いえ、彼女の実力です」


胸が、目頭が熱くなる。ああ、俺もう若くないのかな。

良かった。本当に良かった。がんばってるんだね。嬉しいよ。


俺の選択は間違えていなかった。


あの日彼女を連れ去らなくて、本当によかった。
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