御曹司は初心な彼女を腕の中に抱きとめたい
久しぶりに戻ってきた私のマンションは冷え切っていた。
エアコンをつけ、ソファに座ると部屋を見回した。
狭いな……。
改めて自分の部屋がどれだけのものか実感した。彼の家のキッチンくらいしかない私の部屋。これが私の現実だった。
彼のお父さんの言うように私にはなにもなかったのだと理解せざるを得なかった。
こんな狭い部屋によく彼が来てくれていたものだと笑うしかなかった。
やっぱり初恋は叶わないって本当なんだな。
彼に惹かれるこの気持ちをもう止めなければならない。
今日はもう涙が枯れ果てるまで泣き続けよう。それで泣くのはおしまい。
明日からのことはまた明日考えよう。
私は今までの人生でこんなに泣いたことがあったかと思うほど泣き続けた。
翌日はそのまま体調を崩し欠勤した。就職して初めてのことだった。

【昨日のお話をよく考えました。蒼生さんと別れます】

私は昨日聞いた馬場さんの番号へショートメールを送った。するとわかったという旨の連絡がきた。今後の相談をしたいので直接話をしたいと言われ、私のマンションに夜来てもらうことになった。
蒼生さんへは今日も嘘をつくのが辛い。でも帰れないと心配するはず、と思いメッセージを考えていると都合よく彼は今日泊まり込みになりそうだとメッセージがきた。頑張って、といつものように返信をしたところで玄関のチャイムが鳴った。
インターホンで確認すると馬場さんが立っていた。

「お早い決断で助かります。まもなく蒼生さんは後継者指名を受けるので、その前に去ってもらいたいと思っていたところでした」

私の気持ちなんて考えもしていないんだなと正直感じた。でも彼にとってもお父さんにとっても蒼生さんは大切な後継者。私なんてどうでもいいのだろう。

「それで、できるだけ早く引越しをしていただきたい。いつできますか?」

「え? 仕事のこともありますし、すぐに辞めるなんてできません。引越し先も考えなければなりませんし」

しどろもどろに伝えると、馬場さんはそんなのは簡単な問題だと言わんばかりの表情を浮かべていた。

「仕事ならこちらで手を回し、明日から出勤しなくても大丈夫なようにします。引越し先ですが、希望の場所があればすぐに探します。特になければこちらで探したところにひとまず移動していただきます。あとはなにか問題でも?」

三橋製薬にかかると人ひとり辞めさせるのも、姿を消させるのも簡単なのだと思うと恐ろしくなる。反対にそこまでしてすぐにでも消えて欲しいんだと思うと私の存在ってなんなんだろうと悲しくなった。

「特にないです」

小さな声でそう伝えると馬場さんはどこかに電話を始めた。何度か電話のやりとりをしているが私はもう興味も関心もない。
呆然とソファに座っていると話がついたのか馬場さんが話しかけてきた。。

「引越し先が見つかりました。明日の午前中に移動します。仕事も体調不良で休職という形をひとまずとります。そのまま退職になるよう手配しました。明日蒼生さんがマンションにいないうちにあちらの荷物も片付けましょう」

何もかも完璧に手配されてしまい、私は呆気にとられてしまう。自分の引っ越し先さえ知らないのに明日引っ越すことが決まっているなんて滑稽だ。
そうこうしているうちに馬場さんは「明日9時半にまたきます」とだけ言い残し帰っていった。
また人の声がしなくなった私の部屋はとても無機質でなにも感じなくなってしまった。
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