御曹司は初心な彼女を腕の中に抱きとめたい
翌朝、きっちり時間通り九時半にチャイムが鳴った。
私が玄関を開けると引っ越しスタッフを引き連れた馬場さんが立っていた。
私はただ立っているだけで、あっという間に梱包され、トラックに乗せられてしまった。
蒼生さんのマンションの方もスタッフを引き連れ入るとなにもかも一昨日のままだった。
私の部屋に行くとそこの荷物は無言で梱包されていく。リビングやバスルームなどにある私のものも全て片付けられた。
荷物は全て運ばれると、私は最後に一緒に過ごした寝室に入った。彼の匂いに包まれると涙が混み上げてくる。私は天井を見上げ、涙がこぼれないように我慢する。チェストに置かれた彼のタオルが目に入った。きっと昨日の朝使ったままここに置きっぱなしにしていったのだろう。どうしても彼の匂いに包まれていたくてバッグの中に仕舞い込んだ。こんなものを持っていくなんてどうかしてる。彼のにおいだなんてすぐに消えてしまうのはわかっている。でも急に引き離されてしまった私は彼に別れを告げることも彼に感謝を伝えることもできずに終わってしまった。もう少しだけ彼と一緒に住んでいたんだとせめてもの余韻を感じたかった。

「さて、ここから2時間はかかるのでゆっくりされてください。到着したら声をかけます」

そういうと運転席と後部座席との仕切りが閉められた。
私ももう彼と話気にもなれない。気力なく、座席に寄りかかるといつの間にか眠ってしまった。
気がつくと私の荷物はマンションの中に運び込まれたあとだった。
馬場さんが手配してくれたマンションは5階建ての五階にあり、程よく繁華街にあり買い物にも困らなさそうだ。

「このマンションは買い上げていますので家賃はご心配なく。あとこれは社長からお渡しするように言われてますから」

馬場さんはチェストの上に分厚い封筒を置く。

「そうそう、ここにサインをお願いします」

彼がカバンから取り出してきたのは契約書だった。内容を確認すると、蒼生さんとは今後一切の連絡を断つことや連絡先が見つからないようにすることが書かれていた。他にも彼の仕事を邪魔するようなことがあれば社会的制裁を与えると恐ろしいことまで書かれていた。私が逆恨みするとでも思っているの? 確かに逆恨みされても仕方ないことをしていると思う。彼らにそういう自覚はあるのかもしれない。最後に今回の契約について口外することも禁じると書いてあった。もうなんでもいい。私は渡されたペンでサインをした。二部用意されており私に一部を渡すとこれが最後とばかりに挨拶をし、帰っていった。
朝早くから動き始めたのに今はもう夜になっていた。気がつくと冷蔵庫の中に食材が詰め込まれていた。完璧で用意周到ですごい人だと苦笑してしまう。私は水を取り出すと口にした。
これからのことを考えないと、と必死に頭を回転させる。まずは携帯の番号を変えないと。それに両親にそれだけは伝えなければと思った。契約のことは話せないが娘が引っ越して連絡もつかなくなったとなると失踪したと思われても仕方ない。連絡先だけは知らせておこうと思った。なんだかだんだんと冷静になってきた。もうここまできたらなるようにしかならないんだと開き直るしかなかった。
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