夏のおわりと、恋のはじまり
第2話「恋とか」
私から希望が失われたように、辺りはすっかり暗くなっていた。乏しく光る街灯に照らされた海沿いの夜道を、私とユウキは歩いていた。
「俺は、他の季節も好きだけど」
意気消沈しながら歩く私の隣で、ボソッとユウキが呟いた。
「何かが終わるってさ、悪いことばかりじゃないんじゃない?」
私を笑ったことに、いまさら負い目を感じてるのだろうか。黙っていると、さらにユウキが口を開く。ユウキはだいたいいつでも聞き役だ。あまり自分から進んで話すようなタイプではない。
「終わりがあるって、何かが始まるってことだろ」
確かに夏が終わったって、色んなことが待っていて、何かが始まるだろう。でもこの透けるような寂しさはどうしようもない。
それに私には「夏休み」以上に楽しくて、ワクワクして、ドキドキすることなんて、ない気がするのだ。いや、きっとない。でも一応、聞いてみることにした。
「たとえば、どんなこと?」
ユウキは、私から目を逸らすと首の後ろを掻いた。
「……恋とか?」
瞬間、生暖かい潮風が私たちの間に流れた気がした。
……え?
ユウキから、そんな色っぽい話が出て来るとは思わなかった。私と大して変わらない精神構造かと思っていたのに、そんなことも考えたりするんだと、私は言葉が見つからなくなった。そして急に取り残された気分になった。
どうしてそんな気持ちになったかは、分からない。でも何かが終わる時、人はそう言った何かしらの感情に襲われるのかもしれない。
「恋なんて、始まる予定ないよ、私」
「始まらないなんて、なんで言えるの。分からないじゃん」
ユウキの少し低めの真面目な声に、ドキッとした。さっきまで、私をケタケタ笑って馬鹿にしていたくせに、急になんだよ。
「……ユウキはそういう相手、いるんだ?」
声が少し震えた。この手の話は、ユウキとしたことがない。まるで一気に秋が来たように、外気が肌寒く感じた。
「いるよ」
そう呟くユウキは私が知らない人間のようだった。こんな表情をするなんて、初めて知った。
「そ、そうなんだ」
そう答えるのが、やっとだった。夏は色んなものを終わらせて行く。ユウキにもし彼女が出来たら、ユウキとのこの気のおけない関係も終わることだろう。それを私に感じさせる涼やかな風が、腕を凪いだ。
ああ、本当に「夏」が終わって行く――
終わって行くんだな。
物悲しかったけど、夏の終わりは感傷に耽るのにはピッタリだと思った。夏は私の心に共感し、一緒に心中してくれるつもりのようだ。
「目の前にいる」
「……えっ」
そう、口から思わず声が出た。私はわけも分からず、心臓が止まりそうになった。いや、本当は理解できたから、止まりそうになったのかもしれない。
「目の前にいるって、おまえのことなんだけど」
ユウキは急に立ち止まり、真っ直ぐこちらを見据えてきた。その視線に思わず私も足が止まる。動けない。
「絶対ないって、言えるの? 始まるかもしんないじゃん」
湿った夕方の空気が喉に絡みつき、うまく呼吸ができなくなる。頭の中が混乱して、上手く考えがまとまらない。な、なんで、こいつこんなこと急に言い出したわけ。きゅ、急すぎない?
どうしてこんな話になったのだ。ユウキが私を好きってこと?
幼馴染なんて、実際は兄弟みたいなものだ。幼馴染と言っても、この漁村の小さな集落で生まれた私にとっては、歳の近い子は全員幼馴染なのだ。集落のみんなは家族のような、親戚のようなものだ。
正直、ユウキをそう言う対象として見たことがない。同い年の弟みたいなもの。
いつか王子さまがやってくるか、この漁村から出て、大人で素敵な彼氏ができるものかと思ってた。
だいたいユウキは昔だからデリカシーってものない。さっきだって十日ぶりに会った私を見るなり「黒っ」って叫んだではないか。
七五三の時に、私の着物姿を見て、ギョッとしていたことを今でも忘れていないし、小学校の劇の時だって、ピーターパンのウェンディ役になった私を「似合ってない」と一蹴したのだ。
ユウキは昔、私よりずっとチビで、なのに負けず嫌いで、勉強でも、スポーツでも、なんでも私に張り合ってきた。好きなんて微塵も感じなかった。ほとんどライバルだ。
確かに、いつの間にか背を抜かされたころから、なんだか雰囲気が変わってきた。声が低くなったし、それに合わせて昔みたいに張り合ってこなくなった。
それでもやっぱり、人を小馬鹿にするようなところはあるし、とても私を異性として意識していたとは思えない。
また人をからかって面白がるつもりではと、ユウキの顔を覗き込んで見た。ユウキの上からの眼差しと目線が合う。その眼差しは穏やかなのに、哀愁に満ちているように感じた。こんなユウキの顔を今まで見たことがない。
トクンと胸が鳴った。
いや、違う。弟みたいなものだし。家族同然だし。そんな急に変わるものじゃないでしょ。
だけど……
どうしてこんなにドキドキしてるんだろう。さっきの言葉一つで、ユウキがまったく別の人間に見えた。ずるい、本当にユウキはいつもずるい。
「え、その、えっと……」
うまく言葉が出てこない。なんて言ったらいいか、考えがまとまらない。なんで私、こんなことになってるんだろう。
「ほら、今、俺のこと意識しただろ?」
ユウキはいつものユウキに戻り、ニヤッと口角を上げた。
「は?」
「なんか、始まりそうな気がしなかった?」
キリキリとした痛みが胸に込み上げてくる。
「やっぱり、私のこと、からかったのっ!」
ハハハとユウキは悪びれもせず、また笑い出し、私から逃げるように戯けながら駆け出した。私は怒りが込み上げて来て、体がカッと熱くなった。ユウキを一発ぶん殴ってやらなければ気が収まらない。私は、戯けながら逃げるユウキを追いかけた。
つづく
「俺は、他の季節も好きだけど」
意気消沈しながら歩く私の隣で、ボソッとユウキが呟いた。
「何かが終わるってさ、悪いことばかりじゃないんじゃない?」
私を笑ったことに、いまさら負い目を感じてるのだろうか。黙っていると、さらにユウキが口を開く。ユウキはだいたいいつでも聞き役だ。あまり自分から進んで話すようなタイプではない。
「終わりがあるって、何かが始まるってことだろ」
確かに夏が終わったって、色んなことが待っていて、何かが始まるだろう。でもこの透けるような寂しさはどうしようもない。
それに私には「夏休み」以上に楽しくて、ワクワクして、ドキドキすることなんて、ない気がするのだ。いや、きっとない。でも一応、聞いてみることにした。
「たとえば、どんなこと?」
ユウキは、私から目を逸らすと首の後ろを掻いた。
「……恋とか?」
瞬間、生暖かい潮風が私たちの間に流れた気がした。
……え?
ユウキから、そんな色っぽい話が出て来るとは思わなかった。私と大して変わらない精神構造かと思っていたのに、そんなことも考えたりするんだと、私は言葉が見つからなくなった。そして急に取り残された気分になった。
どうしてそんな気持ちになったかは、分からない。でも何かが終わる時、人はそう言った何かしらの感情に襲われるのかもしれない。
「恋なんて、始まる予定ないよ、私」
「始まらないなんて、なんで言えるの。分からないじゃん」
ユウキの少し低めの真面目な声に、ドキッとした。さっきまで、私をケタケタ笑って馬鹿にしていたくせに、急になんだよ。
「……ユウキはそういう相手、いるんだ?」
声が少し震えた。この手の話は、ユウキとしたことがない。まるで一気に秋が来たように、外気が肌寒く感じた。
「いるよ」
そう呟くユウキは私が知らない人間のようだった。こんな表情をするなんて、初めて知った。
「そ、そうなんだ」
そう答えるのが、やっとだった。夏は色んなものを終わらせて行く。ユウキにもし彼女が出来たら、ユウキとのこの気のおけない関係も終わることだろう。それを私に感じさせる涼やかな風が、腕を凪いだ。
ああ、本当に「夏」が終わって行く――
終わって行くんだな。
物悲しかったけど、夏の終わりは感傷に耽るのにはピッタリだと思った。夏は私の心に共感し、一緒に心中してくれるつもりのようだ。
「目の前にいる」
「……えっ」
そう、口から思わず声が出た。私はわけも分からず、心臓が止まりそうになった。いや、本当は理解できたから、止まりそうになったのかもしれない。
「目の前にいるって、おまえのことなんだけど」
ユウキは急に立ち止まり、真っ直ぐこちらを見据えてきた。その視線に思わず私も足が止まる。動けない。
「絶対ないって、言えるの? 始まるかもしんないじゃん」
湿った夕方の空気が喉に絡みつき、うまく呼吸ができなくなる。頭の中が混乱して、上手く考えがまとまらない。な、なんで、こいつこんなこと急に言い出したわけ。きゅ、急すぎない?
どうしてこんな話になったのだ。ユウキが私を好きってこと?
幼馴染なんて、実際は兄弟みたいなものだ。幼馴染と言っても、この漁村の小さな集落で生まれた私にとっては、歳の近い子は全員幼馴染なのだ。集落のみんなは家族のような、親戚のようなものだ。
正直、ユウキをそう言う対象として見たことがない。同い年の弟みたいなもの。
いつか王子さまがやってくるか、この漁村から出て、大人で素敵な彼氏ができるものかと思ってた。
だいたいユウキは昔だからデリカシーってものない。さっきだって十日ぶりに会った私を見るなり「黒っ」って叫んだではないか。
七五三の時に、私の着物姿を見て、ギョッとしていたことを今でも忘れていないし、小学校の劇の時だって、ピーターパンのウェンディ役になった私を「似合ってない」と一蹴したのだ。
ユウキは昔、私よりずっとチビで、なのに負けず嫌いで、勉強でも、スポーツでも、なんでも私に張り合ってきた。好きなんて微塵も感じなかった。ほとんどライバルだ。
確かに、いつの間にか背を抜かされたころから、なんだか雰囲気が変わってきた。声が低くなったし、それに合わせて昔みたいに張り合ってこなくなった。
それでもやっぱり、人を小馬鹿にするようなところはあるし、とても私を異性として意識していたとは思えない。
また人をからかって面白がるつもりではと、ユウキの顔を覗き込んで見た。ユウキの上からの眼差しと目線が合う。その眼差しは穏やかなのに、哀愁に満ちているように感じた。こんなユウキの顔を今まで見たことがない。
トクンと胸が鳴った。
いや、違う。弟みたいなものだし。家族同然だし。そんな急に変わるものじゃないでしょ。
だけど……
どうしてこんなにドキドキしてるんだろう。さっきの言葉一つで、ユウキがまったく別の人間に見えた。ずるい、本当にユウキはいつもずるい。
「え、その、えっと……」
うまく言葉が出てこない。なんて言ったらいいか、考えがまとまらない。なんで私、こんなことになってるんだろう。
「ほら、今、俺のこと意識しただろ?」
ユウキはいつものユウキに戻り、ニヤッと口角を上げた。
「は?」
「なんか、始まりそうな気がしなかった?」
キリキリとした痛みが胸に込み上げてくる。
「やっぱり、私のこと、からかったのっ!」
ハハハとユウキは悪びれもせず、また笑い出し、私から逃げるように戯けながら駆け出した。私は怒りが込み上げて来て、体がカッと熱くなった。ユウキを一発ぶん殴ってやらなければ気が収まらない。私は、戯けながら逃げるユウキを追いかけた。
つづく