電車を降りると、早くも潮の匂いに包まれた。
海風を受けて、せっかくの前髪が崩れてしまう。
駅には思ってるよりも人は少なかった。
駅の周りに並ぶ飲食店。
人気のチェーン店からこぢんまりとした喫茶店まで色々な店が揃っていた。

海に向かう桔梗の足取りは弾んでいる。
強い風に揺すられる真っ白のシャツ。
普段の桔梗のイメージとは違う今日の桔梗は、おそらく気合を入れてきたのだろう。

「ほら、海」

少し遠くに見える海を指差す。
真っ青な空と海の境目が真っ直ぐに伸びている。
久しぶりに見た海に私も興奮したけど、初めて海を見る桔梗はもっと楽しそうだった。

「すげえ」

素直に海に感心する桔梗はなんだか可愛い。
私も得意げになってしまって、海の話で盛り上がった。
夏休みの小学生たちが浮き輪を持って、水着を着て走る。
懐かしいその光景に、なんだかほっとした。

海が近づくにつれて、賑やかな声もはっきりと聞こえてくるようになる。
途中、桔梗が足を止めた。

「どうしたの」

私も足を止めて桔梗の顔を覗き込む。
嬉しそうでも悲しそうでもない、不思議な表情。

「いや、羨ましいなって」

本当にそれだけ、と聞き返したかった。
桔梗の違和感は多少感じていたし、私に教えてくれてない何かがあるような気もする。
だけど、それをむやみに聞くのはルール違反だ。
私だって、桔梗にすらも教えたくないことだってある。
桔梗だから言えないことだってあるだろう。
それを桔梗に問いただされたりしたら嫌だ。
それはきっと、桔梗の立場から見ても同じだろう。

たしかに海とは遠い場所に住んでいるけど、高校生で海に一度も行ったことがないなんて普通じゃありえないだろう。
その時点からして、もう変だ。

でも、そのおかげで私は桔梗の初めての海を一緒に過ごすことができた。
それは嬉しいし、すごく幸せなこと。
二人で共有できる時間がたくさんあることが今は何よりも楽しかった。
私だって、高校生らしい青春を手にすることができるかもしれない。
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