ごめんなさい、私、人の気持ちがよく分からないの
「ねえ?何かヘンな臭いしない?あの子の席のあたりから。」
学園長の娘、イザベラはナターシャの席を指差して言った。
「貧乏な家の特有の臭いがするわ。」
そういうとイザベラは、いつものようにナターシャの顔をのぞきこみながらニヤついた。
「そう?自分では分からないの。ごめんなさい。」
ナターシャは特に気にする様子もなく、読書を続けていた。
イザベラはフンっと鼻を鳴らすと、
「あとで消臭剤を振り撒いときましょう。」
と、イザベラの取り巻きの女子達に言った。
『え、えぇ…』
取り巻き達は微妙な笑顔を浮かべながら、イザベラの後をついて行った。
取り巻きの一人が、小声でナターシャに、
(ごめんね…!)
と、声を掛けた。
するとナターシャは、読書していた顔をスッと上げ、
「何が?」
と答えた。
声を掛けた取り巻きは、気まずい笑顔のまま、イザベラの後を追いかけた。
ナターシャが読書を続けていると、隣の席の男子、シモンが声を掛けてきた。
「随分と塩対応なんだな。」
ナターシャは読書を続けたまま、
「何が?」
と繰り返した。
「イザベラはともかく、取り巻きの女子達はナターシャに悪気は無いんじゃないか?」
「悪気が無かった?どういう事なの?私はどうすれば良かったの?」
そう言うとナターシャは、シモンにチラッと目をやり、再び読書に戻った。
「……ったく。」
シモンはナターシャの事がいつも何となく気になっていた。
◇◇◇
ナターシャとイザベラが初めて出会ったのは、学園の入学式の日だった。
「ナターシャです。よろしく。」
「ナターシャさんね。私は学園長の娘、イザベラよ。よろしくね!」
「イザベラさんね。でも、学園長の娘って何で言ったの?」
「……え?」
「私の父は鍛冶屋だけど、言った方が良かったのかしら?」
「ば、馬鹿にしてるの!?」
……これが最初だった。
それから、
「私、髪型変えたのよ。分かる?」
イザベラが言うと取り巻き達は、
『分かる!凄い素敵だと思った!』
『どちらでセットされたのかしら!?』
『そんな髪型が似合ってて羨ましい!』
と、口々に褒め称えていた。
『ねえ!ナターシャ!?イザベラ様の髪型、凄い似合ってるわよね!?』
取り巻きの一人がナターシャに話を振った。
するとナターシャは、
「そう?私は前の髪型の方がいいと思ったけど。」
と言った。
すると周りの取り巻き達は顔を青くしながら、
『な、何言ってるの!?前のも良かったけど、今のも素敵でしょ!?』
『い、イザベラ様!気にされなくていいわよ!』
イザベラも、
「な、何なの!?この子!失礼ね!」
と、ナターシャをにらんだ。
ナターシャは、
「気を悪くされたの?ごめんなさい。わざとではないの。」
と言った。
しかし、それ以降もナターシャの言動はいつも、イザベラのいらだちを買っていた。
そんな経緯もあり、ナターシャは学園で浮いた存在になっていった。
そして、一人になったナターシャは、イザベラから目をつけられるようになってしまっていたのである。
◇◇◇
〜 掃除の時間 〜
イザベラは職員室の先生の机をふいてまわっていた。
『お!さすが学園長の娘!気が利きますな!』
「当然ですわ。私達が安心して学べるのも、先生方が熱心に指導してくださるお陰ですわ。」
そういうとイザベラは、役職順に席を回っていった。
先生方からの評価も上々だった。
一方、ナターシャはトイレの掃除をしていた。
女子トイレの掃除が終わり、男子トイレの掃除に取り掛かっていた。
……そこへシモンが入ってきた。
「…ぅおっと!なんでナターシャがここにいるんだ!?」
「ごめんなさい。だって、男子、誰もトイレ掃除しないでしょう?女子トイレが終わったからついでにやってるの。」
「そ、そうなのか。大変だな…。」
「大変?掃除してるだけよ?」
「そ、そうなんだけど……なんかごめんな。」
「何であやまるの?」
「い、いや…別に…」
その後もナターシャは黙々と男子トイレの掃除をしていた。
シモンはそんなナターシャをながめつつ、尋ねた。
「なあ、ナターシャは女子トイレの掃除もしてたんだろ?他の女子は何してんだ?」
「知らないわ。」
「全部ナターシャに押し付けて、ひどくねえか?」
「私は掃除の時間に掃除をしてるだけよ。」
「ま、まあそうだけど…」
シモンには、ナターシャが普段どんな事を考えているのか、見当もつかなかった。悲しんでいるのか、それとも何とも思っていないのか。ナターシャはほとんど喜怒哀楽を見せなかった。
するとチャイムが鳴った。
二人は教室に戻った。
イザベラも遅れて戻ってきた。
◇◇◇
〜 下校前 〜
『イザベラ様!先生方から、イザベラ様は凄く気が利くと評判よ!』
『私なんか、そこまで気が回らないわ!』
『さすが!イザベラ様だわ!』
「いいえ、私は当たり前の事をしてるだけよ。」
そんなやりとりを耳にしたシモンは、イザベラとその取り巻き達との会話に思わず口を挟んだ。
「で、でも、ナターシャは男子トイレまで掃除してくれてたんだぜ!」
シモンは、ナターシャのフォローをしたつもりだった。
しかし、イザベラの反応は冷ややかだった。
「ナターシャが男子トイレの掃除?そこまでして男子に取り入りたいのかしら?節操がないわね。」
イザベラはそう言い放つと、
「行きましょう。」
と、取り巻き達を引き連れて教室を出ていった。
そしてイザベラは、席に座っていたナターシャをチラッと見て、
「明日は強烈な消臭剤を持ってこなきゃ。」
と、ナターシャに吐き捨てた。
取り巻き達の中には、ナターシャに向かって『ゴメン!』ってポーズをとる者も居たが、ナターシャは何も反応しなかった。
シモンはナターシャの前に行った。
「なんか、ごめんな。」
「何が?」
「逆にイヤな思いさせちゃったな…。」
「逆?なんの逆?」
「い、いや、ナターシャが何も思ってなければいいんだ。」
するとナターシャは読みかけの本を手に取り、シモンにほんの少しだけ会釈をしながら教室を出ていった。
シモンは、ナターシャの事が何となく可哀想に思えていた。でも、それは自分の思い過ごしで、当のナターシャは本当に何とも思ってないのかも知れない。シモンはそんな気持ちを入り混じらせながら、ナターシャと接していた。
◇◇◇
そんなある日。
「ねえ、何か新しい遊び無いかしら?最近退屈だわ。」
イザベラが取り巻き達と話していた。
『じゃあ俺と付き合ってみてよ。きっと楽しいぜ〜』
その場には、いかにも軽そうな男子達も居て、そんな話題をしていた。
「なんで私がアンタと付き合わなきゃいけないのよ……って、いい事おもいついた!」
イザベラはニヤッと笑った。
「ねえアンタ、ナターシャに告白してみてよ!」
『な、ナターシャ?なんでだよ!?俺、全然しゃべった事すらないぜ?』
取り巻きの男子は驚いていた。
「だからいいんじゃない。きっとあの女、尻尾を振ってついていくから、一番盛り上がったところでバラすのよ!『ウソでした〜』って!これは面白いわよ!」
『でも、万が一振られたら、それはそれでショックじゃん!』
「それはそれで面白いじゃない!別にアンタじゃなくてもいいわよ。男子の中から誰か決めてよ!」
男子達は戸惑いながらも、誰がナターシャへの告白役を引き受けるか、相談をしだしていた。
すると、近くでこの話を聞きつけたシモンがやってきた。
「お、俺で良ければナターシャに告白するぜ?」
『うおっシモン、マジか!チャレンジャーだな!じゃあシモンにやってもらうぞ!』
男子達は胸を撫で下ろしていた。
イザベラも、
「さっすがシモン。笑いが分かってるぅ〜!」
と満足げだった。
シモンは、こんな事でナターシャを傷つけるのは可哀想だと思った。それならせめて、自分がその役を買ってでて、少しでもショックをやわらげるように行動しようと思った。
そして、シモンはナターシャのところへ行った。
ナターシャはいつもと変わらず、一人で本を読んでいた。
「な、ナターシャ。あとで校舎裏に来てもらっていいか?」
ナターシャは本から少し目を上げ、
「校舎裏?何で?」
と尋ねた?
「ちょっと話があるから。」
「ここでいいじゃない。」
「いや、ここじゃダメなんだ。」
「……よく分からないけど、分かったわ。」
……一部始終を少し離れたところで見ていたイザベラは、この展開に興奮気味だった。
〜 放課後 〜
シモンは校舎裏に来ていた。イザベラ軍団も身を隠してのぞいていた。
すると、ナターシャがやってきた。
「ナターシャ、悪いな。こんなところに呼び出して。」
「で、話って何かしら?」
「え、えっと……」
シモンは何て言おうか迷った。
『ウソの告白』って言うわけにもいかないし、イザベラ軍団が見ている手前、告白しないわけにもいかない。
「何もないのなら帰るわよ。」
ナターシャが帰ろうとしたその時、
「な、ナターシャ!俺と付き合わないか!?」
シモンはナターシャに告白の言葉を口にした。
シモンは結局、この場では告白をしておかないと、役を買って出たつじつまが合わなくなると判断した。
「付き合う?」
ナターシャがいぶかしげに尋ねた。
「お、おう…」
シモンは次の言葉が思いつかなかった。
一方、身を隠しているイザベラが盛り上がってる声がかすかに聞こえていた。
……しばらく沈黙が続いた。
すると、シモンは沈黙が耐えられなくなって、再び口を開いた。
「いきなり『付き合う』のがハードル高いなら、まずは『友達』って事でどうかな!?」
シモンは精一杯の笑顔を作りながら言った。
「友達?私とあなたが?」
「……そ、ともだち。」
…再び沈黙が流れた。
ナターシャ軍団も声をひそめ、見守っていた。
「め、迷惑かな?」
シモンは再び口を開いた。
するとナターシャは、
「分かったわ。じゃあ友達って事で。」
なんと、ナターシャは友達への誘いをOKしてくれた。
「そ、そうか。ありがとう。」
シモンは、少し予想外の反応に少し戸惑った。
「じゃあ、私とシモンは友達ね。」
「ああそうだ。友達だ。」
「それなら、一緒に帰りましょう。」
そして、ナターシャの方から、シモンに一緒に帰ろうと言った。
「お、おう…!」
シモンは予想外の反応に戸惑い続けていた。
…イザベラはそんなやりとりを見ながら、再びキャッキャッと騒ぎ出していた。
〜 帰り道 〜
シモンはナターシャと並んで歩いていた。
ナターシャは自分からしゃべるタイプじゃない事は分かっている。シモンはなんとか沈黙にならないように頑張ってしゃべっていた。
「なあ、いつも本読んでるけど、何の本読んでるの?」
「色々よ。」
「たとえば今は何の本読んでるの?」
「心理学の本よ。」
「そ、そうか…」
その後も、シモンは様々な話題を振った。
趣味の話や食べ物の話、家族の話や旅行の話…。
「俺、こないだ隣の国のバザーに行ってたんだけどさ、すごい人混みだったぞ!」
「そう。」
「珍しい置物も見つけてさ、高かったけどつい買っちゃったよ!」
「そうなんだ。」
「…………。」
…なかなか会話が続かない。
そもそも告白役を買って出たのはシモンである。
それに対し、一緒に帰ろうと提案してくれたのはナターシャである。
ナターシャの事をあまり楽しませられない事に、シモンは何だか申し訳なさを覚えていた。
「なんか、ごめんな。」
シモンは思わずあやまった。
「なんであやまるの?」
ナターシャは表情を変えずに尋ねた。
「つまんないよね?俺の話。」
するとナターシャは、
「そう?私は楽しかったけど。」
表情を変えずに、思いがけない言葉を口にした。
「そ、そうなの?」
「ええ。楽しかったわ。」
ナターシャがお世辞を使うタイプじゃないのは分かる。でも、この言葉はナターシャの反応を見てると、にわかに信じがたかった。
「私、楽しんでるように見えなかった?」
「そ、そんな事は……。」
「違ってたらごめんなさい。私、人の感情を読み取るのが苦手なの。」
そう言うとナターシャは、シモンの方へクルッと向いた。そして、
「ありがとう。楽しかったわ。じゃあね。」
そう言い残すと、ナターシャは自分の家の方向へと帰っていった。
シモンは、今日の自分の行動が、果たして正しかったのかどうか、自問自答を繰り返した。
◇◇◇
〜 次の日 〜
「シモン!昨日は最高だったわよ!」
イザベラは嬉しそうにシモンに話しかけていた。
「ナターシャったら、告白されて戸惑ってるかと思えば、友達になろうって言われて浮き足立ってたじゃない!上手かったわよ!」
「別に上手かねーよ…。」
シモンは、昨日の自分の行動が正しかったのか、今も自問自答を繰り返していた。
「で、いつバラすの?」
「バラすって何を?」
「『友達になるってのは『ウソ』でした〜』って事よ!」
「さ、さあな〜…」
「いつでもいいわよ!」
イザベラはシモンの肩をポンっとたたくと、取り巻き達のもとへ戻っていった。
…無論、シモンはそんな事をするつもりはなかった。
しかし、イザベラに対してはっきりとした態度を示せない自分の事を少し情けなく思えていた。
「こんな事やめようぜ」と言えない、自分の中の『弱さ』が情けなかった。
◇◇◇
〜 放課後 〜
シモンはナターシャに声を掛けた。
「なあナターシャ。今日も一緒に帰らないか?」
「え?何で?」
ナターシャはほんの少し、驚いた表情をしたように見えた。
「いや、昨日よりもっと、ナターシャを楽しませたくてさ。」
そう言うとナターシャは、
「…分かったわ。じゃあ一緒に帰りましょう。」
と言い、承諾してくれた。
〜 帰り道 〜
「しかし、今日の授業はダルかったよな〜」
「そう?どのあたりが?」
「だって、先生の話長かったじゃん。」
「分かんない。話が長いとダルいの?」
「ナターシャは平気なの?」
「別になんとも思わないわ。」
「…………。」
…やはり、昨日と同じパターンだった。
本当にナターシャは自分との会話を楽しんでいるのだろうか。シモンは昨日にも増して、不安になっていた。
…すると突然、ナターシャの目がパッと見開いた。
シモンがカバンに付けていた、キャラクターのキーホルダーに目をやったのである。
「こ、これ、隣の国の……?」
シモンは一瞬ビクッとなったが、
「えっ!あぁ、これ?そうそう。隣の国に行った時、記念にもらったんだ。隣の国の『門番ちゃん』ってキャラクターのキーホルダー。結構いいだろ?」
シモンは特に気にせずに付けていた物だった。
するとナターシャは、
「オレンジの門番ちゃん、すごいレアなんだよ。」
と、ナターシャが初めて自分から話を始めた。
「へ、へえ!オレンジはレアなんだ。なんか、ゴールドやシルバーもあったよ!」
シモンが話を振ると、
「へー。ゴールドは持ってるけど、シルバーがあるなんて知らなかったわ。でも、このオレンジはすごいかわいいね。」
ナターシャは、ほんの少し笑顔を浮かべながら『門番ちゃん』を見つめていた。
「ナターシャも、そんな笑顔になるんだな。」
シモンはそう言い、
「良かったらこのキーホルダー、ナターシャにあげようか?」
と言った。
するとナターシャは、ハッと我に返ったような表情になり、
「い、いや、いいわよ。何かごめんなさい。」
と、いつものナターシャに戻った。
シモンはナターシャの急な変化にまた、戸惑いながら、
「ナターシャが好きなんだったら、あげるよ?」
と、もう一度言った。
するとナターシャは、
「気を遣わせてしまったの?それならごめんなさい。それに…」
そして、
「……それに、私と一緒に帰ってるのって、イザベラ達とのゲームなんでしょう?昨日の告白もゲームなんでしょう?」
昨日のイザベラ達とのやりとりは、ナターシャにも聞こえていたのだった。
シモンは全身の血の気が引く思いがした。
「い、イザベラ達との会話のことか!あれは関係ないんだ!俺は純粋に、ナターシャの事をもっと知りたいって思っただけなんだ!」
シモンは自分でもアタフタしているのが分かった。
するとナターシャは、
「そう。それならごめんなさい。私、人の気持ちがよく分からないの。」
ナターシャは、昨日と同じような事を言った。
シモンの言葉にウソは無かった。
でも、シモンの心の中は言いようのない罪悪感に満ちていた。
「今日も一緒に帰れて、楽しかったわ。ありがとう。」
そう言い残すと、ナターシャは自分の家の方へと歩いていった。
(俺は何をしてるんだ?俺はどういうつもりなんだ?それに、あのナターシャが見せた笑顔…。いつもああいう笑顔を出させてあげるために、俺に出来る事はあるのか?…)
シモンはそんな事を考えながら、家路についた。
◇◇◇
〜 次の日 〜
シモンはナターシャに話しかけた。
「なあ、ナターシャ。」
「何かしら?」
ナターシャはいつものごとく、読書をしていた。
「次の休みに隣の国で『門番ちゃんフェア』があるのって知ってるか?」
「ええ、知ってるわよ。」
「行く予定あるのか?」
「行かないわよ。隣の国のだもの。」
……昨日の夜、シモンはナターシャが喜びそうなイベントを探していた。すると、隣の国で『門番ちゃんフェア』が開催される事を知ったのである。
「だったら、俺と一緒に行かないか?俺、隣の国は行った事あるしさ。任せてもらって大丈夫だぜ!」
すると、ナターシャは少しうつむいた。
「ど、どうしたの?」
シモンは何か地雷を踏んだのかとドキドキした。
「…ほんとうにいいの?」
そして、ナターシャは少し顔を上げた。
するとナターシャの表情は、昨日見せたような、少し柔らかい表情になっていた。
「い、いいとも!ナターシャさえよければ…」
「うれしい。ありがとう。」
ナターシャは、割とはっきりとした笑顔で応えていた。
周りの人も、いつもと違うナターシャの姿に驚いていた。
『なんだなんだ!?』
『ナターシャが笑ってるぞ!』
『笑う事ってあるんだ!』
にわかにざわめいていた。
「じ、じゃあ休みの日、予定空けておいてくれよな?」
「うん、分かった。」
ナターシャは手帳に予定を書き込んでいた。
シモンは席に戻った。
誘う前は、一抹の不安はあったが、昨日と同じようなナターシャの表情が見えて、内心少しホッとした。
…そこに、イザベラがやってきた。
「…ちょっとシモン。」
「なんだよ…」
「アンタ…」
「だ、だから何だっつーの!」
「アンタ、上手すぎだから!」
…イザベラは、これもシモンの作戦の一環だと思っていた。シモンにとって、イザベラの事はすでにどうでもよかったが、やはりイザベラに対し、はっきりとした態度を取る事はできなかった。
「お、おう…」
「ほんと、シモンは盛り上げ上手ね!『Xデー』が楽しみ過ぎるわ!」
そう言い残すと、取り巻き達を引き連れて向こうへ行った。
取り巻きの中には、シモンにめくばせをして、『お互い大変ね』って表情をしてくる女子もいた。
シモンは、自分はそんな立場だと思われているのかと、また少し自分が情けなくなった。
ともかく、ナターシャの笑顔が見られて、あとは当日を待つのみとなった。
◇◇◇
〜 イベント当日 〜
待ち合わせ場所で、シモンは先にナターシャを待っていた。
「あ、ナターシャ!」
時間ぴったりに、ナターシャは現れた。
「待たせてしまったのかしら。ごめんなさい。」
「いや、全然待ってないよ。それに時間通りだし。じゃあ行こうか。」
…そして二人は隣の国へと向かった。
馬車を乗り継ぎながらの移動だった。
その道中、ナターシャはポツリと言った。
「私、友達と馬車に乗るの、初めてなの。」
「そうなの?」
「ええ。私、友達いないから。」
「…………。」
シモンには、ナターシャの表情はいつもと変わらないように見えた。ただ、ナターシャが自分自身の事を話するのは初めてだった。
〜 移動中 〜
「あ!ナターシャ!そっちじゃない!」
「え?そうなの?ごめんなさい。」
「ナターシャってさ、もしかして、方向音痴?」
シモンはイタズラっぽい表情でナターシャに言った。
「ええそうよ。それが何か?」
でも、ナターシャはいつもの表情だった。
別に怒ってるわけじゃない。つまらないわけじゃない。ナターシャはこういう女の子なんだ。
シモンは改めて感じた。
そして、隣の国の『門番ちゃんフェア』会場に着いた。
「へえ、門番ちゃんがいっぱい。」
ナターシャの表情が少し柔らかくなった。
シモンも、そんなナターシャを見て嬉しくなっていた。
「ねえ見て、門番ちゃんよ。」
ナターシャは『門番ちゃん』の元へ走っていくために、シモンの手を取っていた。
シモンにとって、門番ちゃんはともかく、ナターシャの笑顔がたくさん見られるのが何よりの喜びだった。
そして、二人でフェアを巡っているうちに、少しずつ、ナターシャが打ち解けてきているのが分かった。
「ほら、門番ちゃんのお面。」
ナターシャはシモンの顔に、門番ちゃんのお面を付けた。
「かわいい。」
ナターシャの表情は、学園では見せないような柔らかい表情になっていた。
…ただ、気になる事もひとつあった。
ナターシャは何かする度に、『ごめんなさい』を口にするのだ。
「ナターシャ、俺トイレいくわ。」
「ごめんなさい。気づかなくて。」
「ナターシャ、ここ、さっきも通ったよね?」
「ごめんなさい。私、方向音痴だから。」
「ナターシャ、門番ちゃん以外のキャラクターも居るよ?」
「そうなの?ごめんなさい。気がつかなかったわ。」
…ただの口グセなのか分からない。考えすぎかも知れないが、ナターシャはナターシャで気を遣っているのかな、とも思った。
◇◇◇
〜 帰り道 〜
ナターシャとシモンは、自分の国への帰路についていた。
シモンが見る限り、ナターシャはいつもの表情に戻っていた。
「ナターシャ、今日は楽しかったな!」
シモンがそう言うと、ナターシャは、
「そう?それなら良かったわ。」
と言った。
シモンは少し不安になり、
「ナターシャは楽しくなかった?」
と言った。
するとナターシャは、
「いいえ。すごく楽しかったわ。」
と言った。そして、
「ごめんなさい。」
と言った。
シモンは、
「なんであやまるの?」
と尋ねた。
するとナターシャは話し出した。
「私……わたし、人の気持ちを読み取る事が苦手みたいなの。」
「前にも聞いたよ。」
「だから、知らない間に相手を傷つけていないか、いつも不安なの。」
「そんな事かんがえてたの?」
シモンは少し意外だった。
ナターシャがそんな風に考えていたなんて、思ってもいなかったのだ。
「私、ずっと友達が居ないの。」
「そうなのか…。」
「でも、それでいいってずっと思ってたの。私には無理だって。」
「……ナターシャ…。」
「だからせめて、人を傷つける事はしないようにだけ、気をつけているつもりなの。」
「…………。」
「でも、きっと、それすらも出来てないんだろなって思ってるの。」
「そ、そんな事……」
シモンは、ナターシャは自分が思っていたよりも遥かに繊細なんだ、と感じた。そして、そんなナターシャの事を傷つけるような事は、何があってもしてはいけないと改めて感じた。
「ねえ、シモン。」
「なに?」
「ゲームってまだ続いてるの?」
「ゲーム?」
「『ウソでした』っていうゲーム。」
「だ、だから!あれは関係ないって!」
「そうなんだ。ごめんなさい。私、本当に人の気持ちがうまく読み取れないの。」
その言葉を聞き、シモンは、
「それでいいんだよ。それがナターシャの良いところなんだよ。それに…それに、人の気持ちなんて、本当は誰にも分からないんだよ。」
と言った。
励ましの意味合いもあったが、半分は本音だった。
「そう……ありがとう。」
ナターシャはニコッと笑った。今までで一番柔らかい笑顔だった。そして、
「じゃあ、私とシモンは本当に友達?」
ナターシャは笑顔のまま尋ねた。
「ああ、もちろん。」
シモンもとびきりの笑顔で応えた。
すると、ナターシャは笑顔のまま、
「…うれしい。私、友達なんて居なくていいと思ってた。相手に嫌な思いさせちゃうくらいならって。でも……。」
「でも、なに?」
「でも、ね…。」
すると、ナターシャの目から一筋の涙がこぼれた。
そして…
「でも…やっぱり私、友達が欲しかった…!」
涙は一筋、二筋、続けざまに流れていった。
「ずっと一人だったから…!」
ナターシャの涙は止まる事なく流れ続けていた。
「…ナターシャは優しいんだよ。そんなに周りに気を遣わなくてもいいんだよ。」
シモンはそう言うと、ナターシャの肩をギュッと抱き寄せた。
ナターシャの肩は震えていた。
「ずっと辛かったんだな。打ち明けてくれてありがとう。」
「ごめんなさい…。」
ナターシャは涙を流しながら、またあやまっていた。
周りに気を遣いすぎて、自分で自分を傷つけてしまっていた…。そんなナターシャの事をシモンは、可哀想というよりも、なぜか愛おしく感じた。
そして、勇気を出して自分の事を話してくれたナターシャに、必ず報わなければいけないとも思った。
「安心して。ナターシャ。もう君にそんな辛い思いはさせないよ。」
ナターシャは涙を流しながらも、その表情はとても柔らかかった。
◇◇◇
それから数日後…。
「ねえシモン!いつになったらナターシャにバラすのよ!」
イザベラは少しいらだった様子でシモンに詰め寄っていた。
「いつって……そんな事……」
シモンは口ごもっていた。
「私達は楽しみにしてるのよ!ねえ、みんな!」
イザベラは取り巻き達に目をやった。
取り巻き達は表面上は笑顔を作っていた。
ただ、彼女達の中の誰も、楽しみにしていないのは明らかだった。
取り巻き達はまた、シモンにめくばせをし、(お互い大変ね)といったような目線を送っていた。
シモンは、そんなポジションに自分自身を置いている事が、心底許せなくなっていた。
「シモンが言わないのなら、もう私が言う!」
イザベラは豪を煮やしたかのように言い放つと、ズカズカとナターシャの前へ歩いていった。
「ねえ、ナターシャさん?」
ナターシャはいつもの表情で、イザベラの方をチラッと見た。
「アナタ、シモンとお友達になったそうね。」
「ええ。」
「友達になれて、嬉しかった?」
「ええ。」
「アハハハハ!アナタって意外と単純なのね!」
「ごめんなさい。何かおかしかったのかしら?」
…ナターシャは全く表情を変えなかった。
「でも、その『友達』っていうの、ウソなのよ!私達とシモンが考えた遊びだったのよ!告白もウソだし、友達ってのも、もちろんウソよ!アハハハハ!」
イザベラはナターシャの前で高笑いしていた。
…それでも、ナターシャの表情は変わらなかった。
イザベラはそんなナターシャを見て、少しいらだった様子で、
「何か反応しなさいよ!」
と言った。
その時!
「やめろ!」
シモンはイザベラを制止した。
「何よシモン!もうバラしちゃっていいでしょ!?アンタ、引き延ばし過ぎよ!」
「ウソじゃない!俺とナターシャは本当に友達なんだ!」
シモンは叫んだ。
ナターシャが居る手前、なんかじゃない。
これからは正直に生きる。そう決めたのだ。
「友達?笑わせないでよ!ナターシャと友達だなんて、アンタどうかしてるの!?」
「どうかしているのはお前だ!イザベラ!」
シモンは興奮し、イザベラに食ってかかった。
取り巻き達は突然のことに驚き、周りにも人が集まってきていた。
「ちょっとナターシャ!アンタ、シモンの事たぶらかしてんじゃないわよ!」
イザベラの矛先はナターシャへと向かった。
「ナターシャは関係ないだろ!」
シモンはそう言うと、ナターシャの表情を伺った。
ナターシャは特に動揺した様子もなく、いつものナターシャの表情のままだった。
「なあ、イザベラ。ナターシャが一体何をしたっていうんだ?ナターシャがお前や周りの人に何かしたか?」
「この子、失礼なのよ!」
「失礼って、具体的にどこがだよ?ナターシャ自身はイザベラや周りの人を軽んじた行動を取った事なんて、一度もないだろ?」
「な、なによ!」
イザベラはたじろいでいた。
「ナターシャが周りの人に、一度でも意図的に礼を欠くような行動をした事があるか?他人を傷つけようと思って行動した事があると思うか?」
さらに、
「確かに、ナターシャはみんなとは少し違う反応を返しているのかも知れない。でも、ナターシャが悪意を持って他人と接していた事が、一度でもあったと思うか?」
…突然のシモンの言葉を周りは固唾を飲んで聞いていた。
「俺はもう嫌なんだ。正しくない事に気を遣いながら過ごしていく事が。」
そして、
「そりゃ、他人に嫌われたい人なんて誰もいない。俺だってそうだ。なぜなら自分が傷つくからだ。そして、自分が傷つきたくないから、時として正しくない事でも受け入れてしまうんだ。」
イザベラの取り巻き達も、シモンの言葉に耳を傾けている。
「でも、他人を傷つけてしまうくらいなら、自分が傷つくのを我慢する方がいいって人だっているんだ!ナターシャのように!」
……周りの視線がナターシャに集中する!
だが、ナターシャの表情はそれでもなお、全く変わっていなかった。
「俺は…おれは、自分が正しいと思った事を貫く!」
そして、シモンはナターシャの目の前に行った。
「ナターシャ。」
…ナターシャの表情は変わらない。
「ナターシャ、改めて俺の気持ち、伝えさせてほしい。俺はナターシャの事が好きだ。でも、ナターシャを困らせたくはない。だから、今は友達として、俺のそばに居てほしい。」
シモンは改めて、ナターシャに『告白』をした。
ナターシャはやはり、表情が変わらないまま、
「友達?それ、前にも聞いたよ?」
と言った。ナターシャらしい反応だった。
「でも……」
ナターシャの表情が柔らかくなっていく。
「でも、すごく嬉しい……。」
ナターシャはニコッと笑った。
「シモンの事、信じてるから…。」
そして、一筋だけ涙を流した。
「…ごめんなさい。悲しくて泣いているわけじゃないの。」
また、ナターシャらしい言葉が発せられた。
「分かってるよ。」
シモンはとびきりの笑顔で返した。
「シモンがさっき言ってた話、実は私、ほとんど分かってなかったの。」
「ははっ。ナターシャらしいな。」
「でも、シモンが私のために、一生懸命になってくれているのは分かったの。それがすごい嬉しくて。」
ナターシャは一筋、また一筋と涙を流していた。
「ナターシャはナターシャのままでいいんだよ。」
シモンの本心だった。
シモンはナターシャの涙をハンカチで拭き、とびきりの笑顔を送った。
ナターシャも、目を潤ませたまま、シモンに向かって微笑んだ。
その時……
『わ、私ももう、我慢するのやめる!』
…突然、イザベラの取り巻きの一人が声を上げた。
『私も今までずっと、イザベラに気を遣ってばかりいた!イザベラの顔色ばかり見てた!でも、少しも幸せじゃなかった!』
イザベラは突然の事に激しく動揺した。
「ち、ちょっとアナタ、何を言ってるの!?」
すると、
『わ、私も!ほんとはこんな意地悪な事したくなかった!』
『ナターシャ、今までごめんなさい!許してなんて言えないけど、でも、これからは私も自分が正しいと思う事をする!』
次々に、イザベラの取り巻き達が声を上げ出した。
『私もすごく弱かった!弱い自分が嫌だった!でももう、こんな自分は卒業したい!』
みんなそれぞれの想いを語り出し、泣きながらイザベラとシモンの元へ駆け寄った。
『ナターシャ!ごめんなさい…!ごめんなさい…!』
泣きながらあやまっているイザベラの取り巻き達を見て、シモンは突然のことに驚いた。そして、ナターシャの表情を見た。
ナターシャは珍しく、少し困った表情をしていた。
「みなさん、ごめんなさい。私、何でみなさんが泣いているのか分からないの。私、人の気持ちを読み取るのが苦手だから…。」
それを見たシモンは、
「それでいいんだよ、ナターシャは。みんな、ナターシャの事が好きだってさ。」
ナターシャは困った表情をしていたが、やがてナターシャも泣き出した。
「…ごめんなさい。悲しくて泣いているわけじゃないの。ごめんなさい。」
…ナターシャも泣いていたが、その表情は今までで一番柔らかく、優しかった。
…一方イザベラは、何が起きているのか分からないといった表情で固まっていた。もはや、イザベラの周りには誰一人、居なくなっていた。
そんなイザベラの肩を、理事長の父がポンとたたいた。騒ぎを聞きつけてやってきたのである。
「…イザベラ。」
「……お、お父様…。」
「…もう、この学園にお前の居場所はない。分かるな?」
「……はい…。」
「すぐに転校の準備をする。…理事長として、父として、私は情けない。」
「ごめんなさい……。」
イザベラはそのまま学園を去っていった。
そんなイザベラの事を気に留める者は、誰も居なかった。
◇◇◇
数週間後…。
『おはよー!ナターシャ!』
「おはよう。」
『あ、ナターシャ!私、髪型かえたの!分かる?』
「ごめんなさい。分からなかったわ。」
『もう!ナターシャったら!ほらっ!前髪を巻いてみたの。どう?』
「へえ。私は前の髪型の方がいいと思ったけど。」
『アハハ!じゃあ、たまには前の髪型に戻してみるね!』
ナターシャと『イザベラの元•取り巻き達』は、今ではすっかり『友達』になっていた。
元•取り巻き達は皆、ナターシャと話をするときは心から楽しそうにしていた。
ナターシャはというと、今までのナターシャと変わらないように見えた。それでも、ナターシャの周りにはたくさんの人が集まるようになっていた。
「人気者だな、ナターシャ。」
シモンはナターシャにイタズラっぽい笑顔で言った。
「そう?ごめんなさい。私には分からないわ。」
いつものナターシャだった。
ただ、
「でも、これはシモンのおかげよ。私と友達になってくれて、本当にありがとう。」
ナターシャはニコッと笑った。
シモンには、ナターシャは心から笑っているように見えた。
「なあ、ナターシャ…ところでさ…。」
「なに?」
「俺が前に、『まずは友達から』って言ったの、覚えてる?」
「ええ、覚えているわ。」
「そろそろ、その『友達』の先に行きたいんだけど…。」
シモンは少し、照れくさそうに言った。
「友達の先?ごめんなさい。意味がよく分からないわ。私、人の気持ちを読み取るのが苦手なの。」
ナターシャはいつもの言葉を繰り返していた。
シモンは自分に正直に生きると決めた。
しかし、それとは別に、正直に『告白』する事はなかなか勇気がいるものだな、と感じていた。
そんな事を考えていると、ナターシャからシモンに声を掛けてきた。
「ねえ、シモン。」
「なに?ナターシャ。」
「シモン、あのね。」
そして、
「私、シモンのことが大好き。」
ナターシャは驚くほど真っ直ぐな瞳で、シモンを見つめていた。
「ナターシャ…」
「大好きよ。シモン。」
ナターシャの言葉もまた、本当に真っ直ぐな言葉だった。
「ナターシャ、ごめんな。俺が言わなきゃいけないのに。」
「なんであやまってるの?私はシモンの事が大好きって言っただけよ?」
「ナターシャ、俺もナターシャの事が大好きだ。」
シモンは思わず、ナターシャを抱きしめた。
「ありがとう。嬉しい。」
ナターシャは心から幸せそうな表情だった。
涙を流すこともなく、ただただ笑顔に包まれていた。
そんな二人を見て、周りの『友達』も皆、心から祝福していた。
自分には『弱さ』がある。
ただ、誰かを守るという『強い気持ち』があれば、自分の弱さを乗り越えられるのかも知れない。
シモンはそんな風に思った。
「ナターシャ。大好きだよ。ありのままの君が。」
学園長の娘、イザベラはナターシャの席を指差して言った。
「貧乏な家の特有の臭いがするわ。」
そういうとイザベラは、いつものようにナターシャの顔をのぞきこみながらニヤついた。
「そう?自分では分からないの。ごめんなさい。」
ナターシャは特に気にする様子もなく、読書を続けていた。
イザベラはフンっと鼻を鳴らすと、
「あとで消臭剤を振り撒いときましょう。」
と、イザベラの取り巻きの女子達に言った。
『え、えぇ…』
取り巻き達は微妙な笑顔を浮かべながら、イザベラの後をついて行った。
取り巻きの一人が、小声でナターシャに、
(ごめんね…!)
と、声を掛けた。
するとナターシャは、読書していた顔をスッと上げ、
「何が?」
と答えた。
声を掛けた取り巻きは、気まずい笑顔のまま、イザベラの後を追いかけた。
ナターシャが読書を続けていると、隣の席の男子、シモンが声を掛けてきた。
「随分と塩対応なんだな。」
ナターシャは読書を続けたまま、
「何が?」
と繰り返した。
「イザベラはともかく、取り巻きの女子達はナターシャに悪気は無いんじゃないか?」
「悪気が無かった?どういう事なの?私はどうすれば良かったの?」
そう言うとナターシャは、シモンにチラッと目をやり、再び読書に戻った。
「……ったく。」
シモンはナターシャの事がいつも何となく気になっていた。
◇◇◇
ナターシャとイザベラが初めて出会ったのは、学園の入学式の日だった。
「ナターシャです。よろしく。」
「ナターシャさんね。私は学園長の娘、イザベラよ。よろしくね!」
「イザベラさんね。でも、学園長の娘って何で言ったの?」
「……え?」
「私の父は鍛冶屋だけど、言った方が良かったのかしら?」
「ば、馬鹿にしてるの!?」
……これが最初だった。
それから、
「私、髪型変えたのよ。分かる?」
イザベラが言うと取り巻き達は、
『分かる!凄い素敵だと思った!』
『どちらでセットされたのかしら!?』
『そんな髪型が似合ってて羨ましい!』
と、口々に褒め称えていた。
『ねえ!ナターシャ!?イザベラ様の髪型、凄い似合ってるわよね!?』
取り巻きの一人がナターシャに話を振った。
するとナターシャは、
「そう?私は前の髪型の方がいいと思ったけど。」
と言った。
すると周りの取り巻き達は顔を青くしながら、
『な、何言ってるの!?前のも良かったけど、今のも素敵でしょ!?』
『い、イザベラ様!気にされなくていいわよ!』
イザベラも、
「な、何なの!?この子!失礼ね!」
と、ナターシャをにらんだ。
ナターシャは、
「気を悪くされたの?ごめんなさい。わざとではないの。」
と言った。
しかし、それ以降もナターシャの言動はいつも、イザベラのいらだちを買っていた。
そんな経緯もあり、ナターシャは学園で浮いた存在になっていった。
そして、一人になったナターシャは、イザベラから目をつけられるようになってしまっていたのである。
◇◇◇
〜 掃除の時間 〜
イザベラは職員室の先生の机をふいてまわっていた。
『お!さすが学園長の娘!気が利きますな!』
「当然ですわ。私達が安心して学べるのも、先生方が熱心に指導してくださるお陰ですわ。」
そういうとイザベラは、役職順に席を回っていった。
先生方からの評価も上々だった。
一方、ナターシャはトイレの掃除をしていた。
女子トイレの掃除が終わり、男子トイレの掃除に取り掛かっていた。
……そこへシモンが入ってきた。
「…ぅおっと!なんでナターシャがここにいるんだ!?」
「ごめんなさい。だって、男子、誰もトイレ掃除しないでしょう?女子トイレが終わったからついでにやってるの。」
「そ、そうなのか。大変だな…。」
「大変?掃除してるだけよ?」
「そ、そうなんだけど……なんかごめんな。」
「何であやまるの?」
「い、いや…別に…」
その後もナターシャは黙々と男子トイレの掃除をしていた。
シモンはそんなナターシャをながめつつ、尋ねた。
「なあ、ナターシャは女子トイレの掃除もしてたんだろ?他の女子は何してんだ?」
「知らないわ。」
「全部ナターシャに押し付けて、ひどくねえか?」
「私は掃除の時間に掃除をしてるだけよ。」
「ま、まあそうだけど…」
シモンには、ナターシャが普段どんな事を考えているのか、見当もつかなかった。悲しんでいるのか、それとも何とも思っていないのか。ナターシャはほとんど喜怒哀楽を見せなかった。
するとチャイムが鳴った。
二人は教室に戻った。
イザベラも遅れて戻ってきた。
◇◇◇
〜 下校前 〜
『イザベラ様!先生方から、イザベラ様は凄く気が利くと評判よ!』
『私なんか、そこまで気が回らないわ!』
『さすが!イザベラ様だわ!』
「いいえ、私は当たり前の事をしてるだけよ。」
そんなやりとりを耳にしたシモンは、イザベラとその取り巻き達との会話に思わず口を挟んだ。
「で、でも、ナターシャは男子トイレまで掃除してくれてたんだぜ!」
シモンは、ナターシャのフォローをしたつもりだった。
しかし、イザベラの反応は冷ややかだった。
「ナターシャが男子トイレの掃除?そこまでして男子に取り入りたいのかしら?節操がないわね。」
イザベラはそう言い放つと、
「行きましょう。」
と、取り巻き達を引き連れて教室を出ていった。
そしてイザベラは、席に座っていたナターシャをチラッと見て、
「明日は強烈な消臭剤を持ってこなきゃ。」
と、ナターシャに吐き捨てた。
取り巻き達の中には、ナターシャに向かって『ゴメン!』ってポーズをとる者も居たが、ナターシャは何も反応しなかった。
シモンはナターシャの前に行った。
「なんか、ごめんな。」
「何が?」
「逆にイヤな思いさせちゃったな…。」
「逆?なんの逆?」
「い、いや、ナターシャが何も思ってなければいいんだ。」
するとナターシャは読みかけの本を手に取り、シモンにほんの少しだけ会釈をしながら教室を出ていった。
シモンは、ナターシャの事が何となく可哀想に思えていた。でも、それは自分の思い過ごしで、当のナターシャは本当に何とも思ってないのかも知れない。シモンはそんな気持ちを入り混じらせながら、ナターシャと接していた。
◇◇◇
そんなある日。
「ねえ、何か新しい遊び無いかしら?最近退屈だわ。」
イザベラが取り巻き達と話していた。
『じゃあ俺と付き合ってみてよ。きっと楽しいぜ〜』
その場には、いかにも軽そうな男子達も居て、そんな話題をしていた。
「なんで私がアンタと付き合わなきゃいけないのよ……って、いい事おもいついた!」
イザベラはニヤッと笑った。
「ねえアンタ、ナターシャに告白してみてよ!」
『な、ナターシャ?なんでだよ!?俺、全然しゃべった事すらないぜ?』
取り巻きの男子は驚いていた。
「だからいいんじゃない。きっとあの女、尻尾を振ってついていくから、一番盛り上がったところでバラすのよ!『ウソでした〜』って!これは面白いわよ!」
『でも、万が一振られたら、それはそれでショックじゃん!』
「それはそれで面白いじゃない!別にアンタじゃなくてもいいわよ。男子の中から誰か決めてよ!」
男子達は戸惑いながらも、誰がナターシャへの告白役を引き受けるか、相談をしだしていた。
すると、近くでこの話を聞きつけたシモンがやってきた。
「お、俺で良ければナターシャに告白するぜ?」
『うおっシモン、マジか!チャレンジャーだな!じゃあシモンにやってもらうぞ!』
男子達は胸を撫で下ろしていた。
イザベラも、
「さっすがシモン。笑いが分かってるぅ〜!」
と満足げだった。
シモンは、こんな事でナターシャを傷つけるのは可哀想だと思った。それならせめて、自分がその役を買ってでて、少しでもショックをやわらげるように行動しようと思った。
そして、シモンはナターシャのところへ行った。
ナターシャはいつもと変わらず、一人で本を読んでいた。
「な、ナターシャ。あとで校舎裏に来てもらっていいか?」
ナターシャは本から少し目を上げ、
「校舎裏?何で?」
と尋ねた?
「ちょっと話があるから。」
「ここでいいじゃない。」
「いや、ここじゃダメなんだ。」
「……よく分からないけど、分かったわ。」
……一部始終を少し離れたところで見ていたイザベラは、この展開に興奮気味だった。
〜 放課後 〜
シモンは校舎裏に来ていた。イザベラ軍団も身を隠してのぞいていた。
すると、ナターシャがやってきた。
「ナターシャ、悪いな。こんなところに呼び出して。」
「で、話って何かしら?」
「え、えっと……」
シモンは何て言おうか迷った。
『ウソの告白』って言うわけにもいかないし、イザベラ軍団が見ている手前、告白しないわけにもいかない。
「何もないのなら帰るわよ。」
ナターシャが帰ろうとしたその時、
「な、ナターシャ!俺と付き合わないか!?」
シモンはナターシャに告白の言葉を口にした。
シモンは結局、この場では告白をしておかないと、役を買って出たつじつまが合わなくなると判断した。
「付き合う?」
ナターシャがいぶかしげに尋ねた。
「お、おう…」
シモンは次の言葉が思いつかなかった。
一方、身を隠しているイザベラが盛り上がってる声がかすかに聞こえていた。
……しばらく沈黙が続いた。
すると、シモンは沈黙が耐えられなくなって、再び口を開いた。
「いきなり『付き合う』のがハードル高いなら、まずは『友達』って事でどうかな!?」
シモンは精一杯の笑顔を作りながら言った。
「友達?私とあなたが?」
「……そ、ともだち。」
…再び沈黙が流れた。
ナターシャ軍団も声をひそめ、見守っていた。
「め、迷惑かな?」
シモンは再び口を開いた。
するとナターシャは、
「分かったわ。じゃあ友達って事で。」
なんと、ナターシャは友達への誘いをOKしてくれた。
「そ、そうか。ありがとう。」
シモンは、少し予想外の反応に少し戸惑った。
「じゃあ、私とシモンは友達ね。」
「ああそうだ。友達だ。」
「それなら、一緒に帰りましょう。」
そして、ナターシャの方から、シモンに一緒に帰ろうと言った。
「お、おう…!」
シモンは予想外の反応に戸惑い続けていた。
…イザベラはそんなやりとりを見ながら、再びキャッキャッと騒ぎ出していた。
〜 帰り道 〜
シモンはナターシャと並んで歩いていた。
ナターシャは自分からしゃべるタイプじゃない事は分かっている。シモンはなんとか沈黙にならないように頑張ってしゃべっていた。
「なあ、いつも本読んでるけど、何の本読んでるの?」
「色々よ。」
「たとえば今は何の本読んでるの?」
「心理学の本よ。」
「そ、そうか…」
その後も、シモンは様々な話題を振った。
趣味の話や食べ物の話、家族の話や旅行の話…。
「俺、こないだ隣の国のバザーに行ってたんだけどさ、すごい人混みだったぞ!」
「そう。」
「珍しい置物も見つけてさ、高かったけどつい買っちゃったよ!」
「そうなんだ。」
「…………。」
…なかなか会話が続かない。
そもそも告白役を買って出たのはシモンである。
それに対し、一緒に帰ろうと提案してくれたのはナターシャである。
ナターシャの事をあまり楽しませられない事に、シモンは何だか申し訳なさを覚えていた。
「なんか、ごめんな。」
シモンは思わずあやまった。
「なんであやまるの?」
ナターシャは表情を変えずに尋ねた。
「つまんないよね?俺の話。」
するとナターシャは、
「そう?私は楽しかったけど。」
表情を変えずに、思いがけない言葉を口にした。
「そ、そうなの?」
「ええ。楽しかったわ。」
ナターシャがお世辞を使うタイプじゃないのは分かる。でも、この言葉はナターシャの反応を見てると、にわかに信じがたかった。
「私、楽しんでるように見えなかった?」
「そ、そんな事は……。」
「違ってたらごめんなさい。私、人の感情を読み取るのが苦手なの。」
そう言うとナターシャは、シモンの方へクルッと向いた。そして、
「ありがとう。楽しかったわ。じゃあね。」
そう言い残すと、ナターシャは自分の家の方向へと帰っていった。
シモンは、今日の自分の行動が、果たして正しかったのかどうか、自問自答を繰り返した。
◇◇◇
〜 次の日 〜
「シモン!昨日は最高だったわよ!」
イザベラは嬉しそうにシモンに話しかけていた。
「ナターシャったら、告白されて戸惑ってるかと思えば、友達になろうって言われて浮き足立ってたじゃない!上手かったわよ!」
「別に上手かねーよ…。」
シモンは、昨日の自分の行動が正しかったのか、今も自問自答を繰り返していた。
「で、いつバラすの?」
「バラすって何を?」
「『友達になるってのは『ウソ』でした〜』って事よ!」
「さ、さあな〜…」
「いつでもいいわよ!」
イザベラはシモンの肩をポンっとたたくと、取り巻き達のもとへ戻っていった。
…無論、シモンはそんな事をするつもりはなかった。
しかし、イザベラに対してはっきりとした態度を示せない自分の事を少し情けなく思えていた。
「こんな事やめようぜ」と言えない、自分の中の『弱さ』が情けなかった。
◇◇◇
〜 放課後 〜
シモンはナターシャに声を掛けた。
「なあナターシャ。今日も一緒に帰らないか?」
「え?何で?」
ナターシャはほんの少し、驚いた表情をしたように見えた。
「いや、昨日よりもっと、ナターシャを楽しませたくてさ。」
そう言うとナターシャは、
「…分かったわ。じゃあ一緒に帰りましょう。」
と言い、承諾してくれた。
〜 帰り道 〜
「しかし、今日の授業はダルかったよな〜」
「そう?どのあたりが?」
「だって、先生の話長かったじゃん。」
「分かんない。話が長いとダルいの?」
「ナターシャは平気なの?」
「別になんとも思わないわ。」
「…………。」
…やはり、昨日と同じパターンだった。
本当にナターシャは自分との会話を楽しんでいるのだろうか。シモンは昨日にも増して、不安になっていた。
…すると突然、ナターシャの目がパッと見開いた。
シモンがカバンに付けていた、キャラクターのキーホルダーに目をやったのである。
「こ、これ、隣の国の……?」
シモンは一瞬ビクッとなったが、
「えっ!あぁ、これ?そうそう。隣の国に行った時、記念にもらったんだ。隣の国の『門番ちゃん』ってキャラクターのキーホルダー。結構いいだろ?」
シモンは特に気にせずに付けていた物だった。
するとナターシャは、
「オレンジの門番ちゃん、すごいレアなんだよ。」
と、ナターシャが初めて自分から話を始めた。
「へ、へえ!オレンジはレアなんだ。なんか、ゴールドやシルバーもあったよ!」
シモンが話を振ると、
「へー。ゴールドは持ってるけど、シルバーがあるなんて知らなかったわ。でも、このオレンジはすごいかわいいね。」
ナターシャは、ほんの少し笑顔を浮かべながら『門番ちゃん』を見つめていた。
「ナターシャも、そんな笑顔になるんだな。」
シモンはそう言い、
「良かったらこのキーホルダー、ナターシャにあげようか?」
と言った。
するとナターシャは、ハッと我に返ったような表情になり、
「い、いや、いいわよ。何かごめんなさい。」
と、いつものナターシャに戻った。
シモンはナターシャの急な変化にまた、戸惑いながら、
「ナターシャが好きなんだったら、あげるよ?」
と、もう一度言った。
するとナターシャは、
「気を遣わせてしまったの?それならごめんなさい。それに…」
そして、
「……それに、私と一緒に帰ってるのって、イザベラ達とのゲームなんでしょう?昨日の告白もゲームなんでしょう?」
昨日のイザベラ達とのやりとりは、ナターシャにも聞こえていたのだった。
シモンは全身の血の気が引く思いがした。
「い、イザベラ達との会話のことか!あれは関係ないんだ!俺は純粋に、ナターシャの事をもっと知りたいって思っただけなんだ!」
シモンは自分でもアタフタしているのが分かった。
するとナターシャは、
「そう。それならごめんなさい。私、人の気持ちがよく分からないの。」
ナターシャは、昨日と同じような事を言った。
シモンの言葉にウソは無かった。
でも、シモンの心の中は言いようのない罪悪感に満ちていた。
「今日も一緒に帰れて、楽しかったわ。ありがとう。」
そう言い残すと、ナターシャは自分の家の方へと歩いていった。
(俺は何をしてるんだ?俺はどういうつもりなんだ?それに、あのナターシャが見せた笑顔…。いつもああいう笑顔を出させてあげるために、俺に出来る事はあるのか?…)
シモンはそんな事を考えながら、家路についた。
◇◇◇
〜 次の日 〜
シモンはナターシャに話しかけた。
「なあ、ナターシャ。」
「何かしら?」
ナターシャはいつものごとく、読書をしていた。
「次の休みに隣の国で『門番ちゃんフェア』があるのって知ってるか?」
「ええ、知ってるわよ。」
「行く予定あるのか?」
「行かないわよ。隣の国のだもの。」
……昨日の夜、シモンはナターシャが喜びそうなイベントを探していた。すると、隣の国で『門番ちゃんフェア』が開催される事を知ったのである。
「だったら、俺と一緒に行かないか?俺、隣の国は行った事あるしさ。任せてもらって大丈夫だぜ!」
すると、ナターシャは少しうつむいた。
「ど、どうしたの?」
シモンは何か地雷を踏んだのかとドキドキした。
「…ほんとうにいいの?」
そして、ナターシャは少し顔を上げた。
するとナターシャの表情は、昨日見せたような、少し柔らかい表情になっていた。
「い、いいとも!ナターシャさえよければ…」
「うれしい。ありがとう。」
ナターシャは、割とはっきりとした笑顔で応えていた。
周りの人も、いつもと違うナターシャの姿に驚いていた。
『なんだなんだ!?』
『ナターシャが笑ってるぞ!』
『笑う事ってあるんだ!』
にわかにざわめいていた。
「じ、じゃあ休みの日、予定空けておいてくれよな?」
「うん、分かった。」
ナターシャは手帳に予定を書き込んでいた。
シモンは席に戻った。
誘う前は、一抹の不安はあったが、昨日と同じようなナターシャの表情が見えて、内心少しホッとした。
…そこに、イザベラがやってきた。
「…ちょっとシモン。」
「なんだよ…」
「アンタ…」
「だ、だから何だっつーの!」
「アンタ、上手すぎだから!」
…イザベラは、これもシモンの作戦の一環だと思っていた。シモンにとって、イザベラの事はすでにどうでもよかったが、やはりイザベラに対し、はっきりとした態度を取る事はできなかった。
「お、おう…」
「ほんと、シモンは盛り上げ上手ね!『Xデー』が楽しみ過ぎるわ!」
そう言い残すと、取り巻き達を引き連れて向こうへ行った。
取り巻きの中には、シモンにめくばせをして、『お互い大変ね』って表情をしてくる女子もいた。
シモンは、自分はそんな立場だと思われているのかと、また少し自分が情けなくなった。
ともかく、ナターシャの笑顔が見られて、あとは当日を待つのみとなった。
◇◇◇
〜 イベント当日 〜
待ち合わせ場所で、シモンは先にナターシャを待っていた。
「あ、ナターシャ!」
時間ぴったりに、ナターシャは現れた。
「待たせてしまったのかしら。ごめんなさい。」
「いや、全然待ってないよ。それに時間通りだし。じゃあ行こうか。」
…そして二人は隣の国へと向かった。
馬車を乗り継ぎながらの移動だった。
その道中、ナターシャはポツリと言った。
「私、友達と馬車に乗るの、初めてなの。」
「そうなの?」
「ええ。私、友達いないから。」
「…………。」
シモンには、ナターシャの表情はいつもと変わらないように見えた。ただ、ナターシャが自分自身の事を話するのは初めてだった。
〜 移動中 〜
「あ!ナターシャ!そっちじゃない!」
「え?そうなの?ごめんなさい。」
「ナターシャってさ、もしかして、方向音痴?」
シモンはイタズラっぽい表情でナターシャに言った。
「ええそうよ。それが何か?」
でも、ナターシャはいつもの表情だった。
別に怒ってるわけじゃない。つまらないわけじゃない。ナターシャはこういう女の子なんだ。
シモンは改めて感じた。
そして、隣の国の『門番ちゃんフェア』会場に着いた。
「へえ、門番ちゃんがいっぱい。」
ナターシャの表情が少し柔らかくなった。
シモンも、そんなナターシャを見て嬉しくなっていた。
「ねえ見て、門番ちゃんよ。」
ナターシャは『門番ちゃん』の元へ走っていくために、シモンの手を取っていた。
シモンにとって、門番ちゃんはともかく、ナターシャの笑顔がたくさん見られるのが何よりの喜びだった。
そして、二人でフェアを巡っているうちに、少しずつ、ナターシャが打ち解けてきているのが分かった。
「ほら、門番ちゃんのお面。」
ナターシャはシモンの顔に、門番ちゃんのお面を付けた。
「かわいい。」
ナターシャの表情は、学園では見せないような柔らかい表情になっていた。
…ただ、気になる事もひとつあった。
ナターシャは何かする度に、『ごめんなさい』を口にするのだ。
「ナターシャ、俺トイレいくわ。」
「ごめんなさい。気づかなくて。」
「ナターシャ、ここ、さっきも通ったよね?」
「ごめんなさい。私、方向音痴だから。」
「ナターシャ、門番ちゃん以外のキャラクターも居るよ?」
「そうなの?ごめんなさい。気がつかなかったわ。」
…ただの口グセなのか分からない。考えすぎかも知れないが、ナターシャはナターシャで気を遣っているのかな、とも思った。
◇◇◇
〜 帰り道 〜
ナターシャとシモンは、自分の国への帰路についていた。
シモンが見る限り、ナターシャはいつもの表情に戻っていた。
「ナターシャ、今日は楽しかったな!」
シモンがそう言うと、ナターシャは、
「そう?それなら良かったわ。」
と言った。
シモンは少し不安になり、
「ナターシャは楽しくなかった?」
と言った。
するとナターシャは、
「いいえ。すごく楽しかったわ。」
と言った。そして、
「ごめんなさい。」
と言った。
シモンは、
「なんであやまるの?」
と尋ねた。
するとナターシャは話し出した。
「私……わたし、人の気持ちを読み取る事が苦手みたいなの。」
「前にも聞いたよ。」
「だから、知らない間に相手を傷つけていないか、いつも不安なの。」
「そんな事かんがえてたの?」
シモンは少し意外だった。
ナターシャがそんな風に考えていたなんて、思ってもいなかったのだ。
「私、ずっと友達が居ないの。」
「そうなのか…。」
「でも、それでいいってずっと思ってたの。私には無理だって。」
「……ナターシャ…。」
「だからせめて、人を傷つける事はしないようにだけ、気をつけているつもりなの。」
「…………。」
「でも、きっと、それすらも出来てないんだろなって思ってるの。」
「そ、そんな事……」
シモンは、ナターシャは自分が思っていたよりも遥かに繊細なんだ、と感じた。そして、そんなナターシャの事を傷つけるような事は、何があってもしてはいけないと改めて感じた。
「ねえ、シモン。」
「なに?」
「ゲームってまだ続いてるの?」
「ゲーム?」
「『ウソでした』っていうゲーム。」
「だ、だから!あれは関係ないって!」
「そうなんだ。ごめんなさい。私、本当に人の気持ちがうまく読み取れないの。」
その言葉を聞き、シモンは、
「それでいいんだよ。それがナターシャの良いところなんだよ。それに…それに、人の気持ちなんて、本当は誰にも分からないんだよ。」
と言った。
励ましの意味合いもあったが、半分は本音だった。
「そう……ありがとう。」
ナターシャはニコッと笑った。今までで一番柔らかい笑顔だった。そして、
「じゃあ、私とシモンは本当に友達?」
ナターシャは笑顔のまま尋ねた。
「ああ、もちろん。」
シモンもとびきりの笑顔で応えた。
すると、ナターシャは笑顔のまま、
「…うれしい。私、友達なんて居なくていいと思ってた。相手に嫌な思いさせちゃうくらいならって。でも……。」
「でも、なに?」
「でも、ね…。」
すると、ナターシャの目から一筋の涙がこぼれた。
そして…
「でも…やっぱり私、友達が欲しかった…!」
涙は一筋、二筋、続けざまに流れていった。
「ずっと一人だったから…!」
ナターシャの涙は止まる事なく流れ続けていた。
「…ナターシャは優しいんだよ。そんなに周りに気を遣わなくてもいいんだよ。」
シモンはそう言うと、ナターシャの肩をギュッと抱き寄せた。
ナターシャの肩は震えていた。
「ずっと辛かったんだな。打ち明けてくれてありがとう。」
「ごめんなさい…。」
ナターシャは涙を流しながら、またあやまっていた。
周りに気を遣いすぎて、自分で自分を傷つけてしまっていた…。そんなナターシャの事をシモンは、可哀想というよりも、なぜか愛おしく感じた。
そして、勇気を出して自分の事を話してくれたナターシャに、必ず報わなければいけないとも思った。
「安心して。ナターシャ。もう君にそんな辛い思いはさせないよ。」
ナターシャは涙を流しながらも、その表情はとても柔らかかった。
◇◇◇
それから数日後…。
「ねえシモン!いつになったらナターシャにバラすのよ!」
イザベラは少しいらだった様子でシモンに詰め寄っていた。
「いつって……そんな事……」
シモンは口ごもっていた。
「私達は楽しみにしてるのよ!ねえ、みんな!」
イザベラは取り巻き達に目をやった。
取り巻き達は表面上は笑顔を作っていた。
ただ、彼女達の中の誰も、楽しみにしていないのは明らかだった。
取り巻き達はまた、シモンにめくばせをし、(お互い大変ね)といったような目線を送っていた。
シモンは、そんなポジションに自分自身を置いている事が、心底許せなくなっていた。
「シモンが言わないのなら、もう私が言う!」
イザベラは豪を煮やしたかのように言い放つと、ズカズカとナターシャの前へ歩いていった。
「ねえ、ナターシャさん?」
ナターシャはいつもの表情で、イザベラの方をチラッと見た。
「アナタ、シモンとお友達になったそうね。」
「ええ。」
「友達になれて、嬉しかった?」
「ええ。」
「アハハハハ!アナタって意外と単純なのね!」
「ごめんなさい。何かおかしかったのかしら?」
…ナターシャは全く表情を変えなかった。
「でも、その『友達』っていうの、ウソなのよ!私達とシモンが考えた遊びだったのよ!告白もウソだし、友達ってのも、もちろんウソよ!アハハハハ!」
イザベラはナターシャの前で高笑いしていた。
…それでも、ナターシャの表情は変わらなかった。
イザベラはそんなナターシャを見て、少しいらだった様子で、
「何か反応しなさいよ!」
と言った。
その時!
「やめろ!」
シモンはイザベラを制止した。
「何よシモン!もうバラしちゃっていいでしょ!?アンタ、引き延ばし過ぎよ!」
「ウソじゃない!俺とナターシャは本当に友達なんだ!」
シモンは叫んだ。
ナターシャが居る手前、なんかじゃない。
これからは正直に生きる。そう決めたのだ。
「友達?笑わせないでよ!ナターシャと友達だなんて、アンタどうかしてるの!?」
「どうかしているのはお前だ!イザベラ!」
シモンは興奮し、イザベラに食ってかかった。
取り巻き達は突然のことに驚き、周りにも人が集まってきていた。
「ちょっとナターシャ!アンタ、シモンの事たぶらかしてんじゃないわよ!」
イザベラの矛先はナターシャへと向かった。
「ナターシャは関係ないだろ!」
シモンはそう言うと、ナターシャの表情を伺った。
ナターシャは特に動揺した様子もなく、いつものナターシャの表情のままだった。
「なあ、イザベラ。ナターシャが一体何をしたっていうんだ?ナターシャがお前や周りの人に何かしたか?」
「この子、失礼なのよ!」
「失礼って、具体的にどこがだよ?ナターシャ自身はイザベラや周りの人を軽んじた行動を取った事なんて、一度もないだろ?」
「な、なによ!」
イザベラはたじろいでいた。
「ナターシャが周りの人に、一度でも意図的に礼を欠くような行動をした事があるか?他人を傷つけようと思って行動した事があると思うか?」
さらに、
「確かに、ナターシャはみんなとは少し違う反応を返しているのかも知れない。でも、ナターシャが悪意を持って他人と接していた事が、一度でもあったと思うか?」
…突然のシモンの言葉を周りは固唾を飲んで聞いていた。
「俺はもう嫌なんだ。正しくない事に気を遣いながら過ごしていく事が。」
そして、
「そりゃ、他人に嫌われたい人なんて誰もいない。俺だってそうだ。なぜなら自分が傷つくからだ。そして、自分が傷つきたくないから、時として正しくない事でも受け入れてしまうんだ。」
イザベラの取り巻き達も、シモンの言葉に耳を傾けている。
「でも、他人を傷つけてしまうくらいなら、自分が傷つくのを我慢する方がいいって人だっているんだ!ナターシャのように!」
……周りの視線がナターシャに集中する!
だが、ナターシャの表情はそれでもなお、全く変わっていなかった。
「俺は…おれは、自分が正しいと思った事を貫く!」
そして、シモンはナターシャの目の前に行った。
「ナターシャ。」
…ナターシャの表情は変わらない。
「ナターシャ、改めて俺の気持ち、伝えさせてほしい。俺はナターシャの事が好きだ。でも、ナターシャを困らせたくはない。だから、今は友達として、俺のそばに居てほしい。」
シモンは改めて、ナターシャに『告白』をした。
ナターシャはやはり、表情が変わらないまま、
「友達?それ、前にも聞いたよ?」
と言った。ナターシャらしい反応だった。
「でも……」
ナターシャの表情が柔らかくなっていく。
「でも、すごく嬉しい……。」
ナターシャはニコッと笑った。
「シモンの事、信じてるから…。」
そして、一筋だけ涙を流した。
「…ごめんなさい。悲しくて泣いているわけじゃないの。」
また、ナターシャらしい言葉が発せられた。
「分かってるよ。」
シモンはとびきりの笑顔で返した。
「シモンがさっき言ってた話、実は私、ほとんど分かってなかったの。」
「ははっ。ナターシャらしいな。」
「でも、シモンが私のために、一生懸命になってくれているのは分かったの。それがすごい嬉しくて。」
ナターシャは一筋、また一筋と涙を流していた。
「ナターシャはナターシャのままでいいんだよ。」
シモンの本心だった。
シモンはナターシャの涙をハンカチで拭き、とびきりの笑顔を送った。
ナターシャも、目を潤ませたまま、シモンに向かって微笑んだ。
その時……
『わ、私ももう、我慢するのやめる!』
…突然、イザベラの取り巻きの一人が声を上げた。
『私も今までずっと、イザベラに気を遣ってばかりいた!イザベラの顔色ばかり見てた!でも、少しも幸せじゃなかった!』
イザベラは突然の事に激しく動揺した。
「ち、ちょっとアナタ、何を言ってるの!?」
すると、
『わ、私も!ほんとはこんな意地悪な事したくなかった!』
『ナターシャ、今までごめんなさい!許してなんて言えないけど、でも、これからは私も自分が正しいと思う事をする!』
次々に、イザベラの取り巻き達が声を上げ出した。
『私もすごく弱かった!弱い自分が嫌だった!でももう、こんな自分は卒業したい!』
みんなそれぞれの想いを語り出し、泣きながらイザベラとシモンの元へ駆け寄った。
『ナターシャ!ごめんなさい…!ごめんなさい…!』
泣きながらあやまっているイザベラの取り巻き達を見て、シモンは突然のことに驚いた。そして、ナターシャの表情を見た。
ナターシャは珍しく、少し困った表情をしていた。
「みなさん、ごめんなさい。私、何でみなさんが泣いているのか分からないの。私、人の気持ちを読み取るのが苦手だから…。」
それを見たシモンは、
「それでいいんだよ、ナターシャは。みんな、ナターシャの事が好きだってさ。」
ナターシャは困った表情をしていたが、やがてナターシャも泣き出した。
「…ごめんなさい。悲しくて泣いているわけじゃないの。ごめんなさい。」
…ナターシャも泣いていたが、その表情は今までで一番柔らかく、優しかった。
…一方イザベラは、何が起きているのか分からないといった表情で固まっていた。もはや、イザベラの周りには誰一人、居なくなっていた。
そんなイザベラの肩を、理事長の父がポンとたたいた。騒ぎを聞きつけてやってきたのである。
「…イザベラ。」
「……お、お父様…。」
「…もう、この学園にお前の居場所はない。分かるな?」
「……はい…。」
「すぐに転校の準備をする。…理事長として、父として、私は情けない。」
「ごめんなさい……。」
イザベラはそのまま学園を去っていった。
そんなイザベラの事を気に留める者は、誰も居なかった。
◇◇◇
数週間後…。
『おはよー!ナターシャ!』
「おはよう。」
『あ、ナターシャ!私、髪型かえたの!分かる?』
「ごめんなさい。分からなかったわ。」
『もう!ナターシャったら!ほらっ!前髪を巻いてみたの。どう?』
「へえ。私は前の髪型の方がいいと思ったけど。」
『アハハ!じゃあ、たまには前の髪型に戻してみるね!』
ナターシャと『イザベラの元•取り巻き達』は、今ではすっかり『友達』になっていた。
元•取り巻き達は皆、ナターシャと話をするときは心から楽しそうにしていた。
ナターシャはというと、今までのナターシャと変わらないように見えた。それでも、ナターシャの周りにはたくさんの人が集まるようになっていた。
「人気者だな、ナターシャ。」
シモンはナターシャにイタズラっぽい笑顔で言った。
「そう?ごめんなさい。私には分からないわ。」
いつものナターシャだった。
ただ、
「でも、これはシモンのおかげよ。私と友達になってくれて、本当にありがとう。」
ナターシャはニコッと笑った。
シモンには、ナターシャは心から笑っているように見えた。
「なあ、ナターシャ…ところでさ…。」
「なに?」
「俺が前に、『まずは友達から』って言ったの、覚えてる?」
「ええ、覚えているわ。」
「そろそろ、その『友達』の先に行きたいんだけど…。」
シモンは少し、照れくさそうに言った。
「友達の先?ごめんなさい。意味がよく分からないわ。私、人の気持ちを読み取るのが苦手なの。」
ナターシャはいつもの言葉を繰り返していた。
シモンは自分に正直に生きると決めた。
しかし、それとは別に、正直に『告白』する事はなかなか勇気がいるものだな、と感じていた。
そんな事を考えていると、ナターシャからシモンに声を掛けてきた。
「ねえ、シモン。」
「なに?ナターシャ。」
「シモン、あのね。」
そして、
「私、シモンのことが大好き。」
ナターシャは驚くほど真っ直ぐな瞳で、シモンを見つめていた。
「ナターシャ…」
「大好きよ。シモン。」
ナターシャの言葉もまた、本当に真っ直ぐな言葉だった。
「ナターシャ、ごめんな。俺が言わなきゃいけないのに。」
「なんであやまってるの?私はシモンの事が大好きって言っただけよ?」
「ナターシャ、俺もナターシャの事が大好きだ。」
シモンは思わず、ナターシャを抱きしめた。
「ありがとう。嬉しい。」
ナターシャは心から幸せそうな表情だった。
涙を流すこともなく、ただただ笑顔に包まれていた。
そんな二人を見て、周りの『友達』も皆、心から祝福していた。
自分には『弱さ』がある。
ただ、誰かを守るという『強い気持ち』があれば、自分の弱さを乗り越えられるのかも知れない。
シモンはそんな風に思った。
「ナターシャ。大好きだよ。ありのままの君が。」