嘘と恋とシンデレラ
「……分かった」
そう答えた星野くんがそっと離れる。
穏やかながら隙のなさを感じさせる、不思議な声色だった。
カッターナイフを持つわたしの手を包み込むように握り、顔を傾けて淡く微笑んだ。
「きみが望むなら」
するりとそれが彼の手に渡ると、かちかちと刃が押し出される。
その音は異様に大きく響いて聞こえた。
「え……っ?」
「どんなことでもするよ。こころのためならね」
外灯の光を鈍く弾く薄い刃。
それと彼を見比べ、わたしは呼吸を忘れる。
恍惚としてさえいるような星野くんの微笑に、ぞくりとした。
(どんなことでも……?)
恐怖にも似た危機感が背中を滑り落ちていく。
────人殺しでさえ厭わない、という意味だろうか。
“まさか”とは思うものの、それが飛躍し過ぎた考えだとは言い切れないように感じた。
とても冗談とは思えないのだ。
星野くんの表情は柔らかいけれど、その眼光は鋭く本気そのもので。
すっかり気圧され、怯んでしまう。
逃れるように手を引き後ずさった。
「……こころ?」
「い、いい。忘れて!」
力なく首を左右に振る。
自分の心音が耳元で聞こえるような気がした。
動揺を隠せていないのは自分でも分かったけれど、どうにか平静を装う。
そうしていないと彼に圧倒されて飲み込まれてしまう。
「わたし、帰るね」
踵を返して足早に歩き去った。
「え……。待って、こころ」
星野くんの声にも振り向けないで、半ば逃げるように公園を後にする。
ゆらゆら定まらない感情が波立って、わたしを揺さぶっていく。
踏み出す一歩一歩が重くて、着地のたびに目眩がするようだった。
彼はわたしが望めば、愛沢くんを殺してしまうつもりなんだ。
それくらいのことをしてのける覚悟があるんだ。
(おかしいよ……)
異常だと言わざるを得ない。
いくら好きだという気持ちがあったって、普通そこまで出来るものじゃない。
“何でも”にも限度がある。あって然るべきだ。
(殺すなんて────)
ぎらつく刃と狂気じみた笑みを思い出す。
……星野くんは優しい。
けれど、倫理観や恋愛観がどこかずれているのかもしれない。
信じて頼っていいものか、分からなくなってきた。
少なくとも愛沢くんのような直接的な凶暴さはないけれど。
単にその矛先が、わたしではないところに向いているというだけかもしれない。
「どうしよう」
立ち止まると、思わず呟いた。
愛沢くんから逃れたい、と思ったのは事実。
それで星野くんに縋ったのも事実。
だけれど、わたしは決して愛沢くんを害したいわけじゃない。
星野くんにそうして欲しいわけでももちろんない。