嘘と恋とシンデレラ
ふたりして顔を上げ、声の出どころを見る。
先ほど愛沢くんのいた戸枠のところに、見慣れない男子が立っていた。
「なに?」
「急いで職員室行った方がいいぞ」
「え、何で?」
「さっきお前が教室出て行ってからノート回収するってなってさ。出してないやつは減点だって」
「マジかよ」
愛沢くんが思いきり顔をしかめる。
「お前、古典やばいって言ってたじゃん? だから一応言いにきた」
「あー、ありがとな! 今から行ってくる」
どうやらクラスメートらしい彼に従い、愛沢くんは素早く席を立った。
「ごめん、こころ。ちょっと待っててくれ」
「あ、うん! 全然」
慌ただしく教室を出ていく背を見送ってから、わたしは手の中の睡眠薬を見つめる。
(チャンスだ)
思わぬ展開だったけれど、願ってもみない好機が訪れた。
とはいえノートを職員室まで提出しにいく時間なんて知れている。
この間に出来ることは限られていた。
星野くんと話しにいくには足りないが、睡眠薬を仕込むには充分だ。
当初の計画通り、そうすれば確実に時間を稼げるだろう。
「…………」
彼のペットボトルを手に取り、キャップを回した。
壁際を向いて自分の身体で死角を作りながら薬の袋を開ける。
心臓がばくばくと高鳴り、指先は緊張で小さく震えておぼつかない。
バレたら終わりだ、というプレッシャーと良心の呵責がせめぎ合う。押し潰されそうだ。
割り切ったはずなのに、いざ実行するにあたって今さら腰が引けていた。
それでもどうにか粉を流し込むと、すぐにキャップを閉める。
空になった袋をくしゃりと潰したとき、駆けてくる足音が聞こえた。
「!」
慌ててペットボトルを机の上に置く。
戻ってきた愛沢くんは、呼吸を整えながらこちらへ歩み寄ってきた。
「……あー、疲れた。もうマジで勘弁」
「は、早かったね」
「全力疾走したもん。あいつ厳しくて融通利かねぇし」
それは古典の先生のことを言っているのだろう。
わたしのクラスの担当教員とは違うから初めて聞く印象だった。
記憶をなくす前には聞いたことがあったかもしれないけれど、今はどっちだっていい。
「!」
椅子に腰を下ろした彼はペットボトルを掴み、キャップを開けた。
まだすべて溶けきっていないから、よく見たら気付かれてしまうかもしれない。