嘘と恋とシンデレラ

第9話

     ◇



 教室へ戻ると、6時間目が始まって少し経った頃だった。

 今日はそれで終わりだけれど、とても授業に集中出来るような精神状態じゃない。
 わたしは逃げるように早退した。

 手当てしてもらった頬の傷は浅かったものの、いつまでもひりひり痛んでいるような気がする。

 ばたん、と自室のドアを閉めると、背中を滑らせるようにして床にへたり込んだ。

(やっぱり、もう愛沢くんのことは信じられない……)

 (たが)が外れる瞬間をこの目で見た。

 わたしに向かって花瓶を投げつけ、そのせいで傷を負っても平然と笑っていた。

 まともじゃない。
 とても正気の沙汰(さた)とは思えない。

(小鳥ちゃんの言う通り、星野くんを信じるべきなのかな)

 だけど、何だかそれさえ作為(さくい)的なものを感じる。

 もしかしたら彼女は星野くんに丸め込まれていて、利用されたのかもしれない。
 自分を信じるよう誘導するために。

「もう分かんないよ……」

 誰も信じられない。何も分からない。すべてが疑わしく思える。
 このままでは殺されるかもしれないというのに。



 俯いて頭を抱えた。
 渦巻く焦りのせいで、じわ、と涙が滲んだ。

(思い出して、お願い)

 言い聞かせるように唱える。

 少しずつだけれど、確かに記憶は戻りつつあるのだ。
 家族や幼少期のことは思い出せたのだから、頑張ればすべてを取り戻せるはず。希望はある。

 突き落とされた瞬間とか殴られた瞬間のことだって、断片的とはいえ蘇ってきた。

 記憶はなくなったのではなく、思い出せないだけで残っているはずなのだ。
 身体が覚えていたことがあったというのが何よりの証拠だ。

「うーん……」

 家族のことなんかは関係の深さや付き合いの長さのお陰で思い出せたのかもしれない。
 それ以外はどうだったっけ?

(……そういえば、何かをしたときにふと思い出した感じだったような)

 何か、きっかけがあれば────思い出せるかも。

 はっと顔を上げ、涙を拭った。
 慌ただしく立ち上がるとそのまま家を飛び出す。

 この時間帯なら、星野くんにも愛沢くんにも会うことはないだろう。



     ◇



 例の歩道橋まで来ると、上に立って見下ろしてみる。

 ()れたコンクリートや()びた鉄骨を目の当たりにして足がすくんだ。

(こんなところから突き落とされたんだ……)

 ぞっとした。

 それと同時に胸の内がざわつき、ぶわっと強風が吹き上がったような錯覚(さっかく)を覚える。

 手すりに手を載せ、目を閉じた。思い浮かべてみる。

 夜、ここに立っているわたし。
 後ろから手が伸びてくる。

(背後にいるのは────)
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