嘘と恋とシンデレラ



 再びひとりになったわたしに、戸惑いと違和感がのしかかってくる。

(何だったの……?)

 彼の言動や態度に()に落ちない気持ちを抱えながらも、一度深々とため息をつく。

 頭と気持ちの整理がつかないのはわたしも同じだ。
 一旦、状況をまとめてみよう。

 床頭台(しょうとうだい)に置かれていたボールペンを手に取り、生徒手帳を開いてみた。
 後ろの方の空白ページを広げる。

 ペンを握り、先ほど聞いた自分の名前を記してみた。

(灰谷こころ……)

 色々なことが記憶から抜け落ちているのに、文字やその書き方は忘れていなかった。

 不思議だ。
 記憶喪失と言っても、何もかもが“無”になるほど忘却しているわけではないみたい。

 生徒手帳から得た情報を元に、わたしに関することを書き出していく。
 学年、誕生日……。

 それから星野くんの名前と、もうひとりの彼については“?”と記しておいた。
 そのそばに“彼氏?”と書き加える。

『当たり前だろ、俺はこころの彼氏なんだから』

『何言ってるの? こころの恋人は僕だよ』

 ふたりともがそう言っていた。
 どうして恋人がふたりいるのだろう?

「どっちかが……嘘をついてる?」

 わたしが二股をかけていたとかでない限り、そういうことになるだろう。

 吹き荒れる風でざわざわと梢が揺れるみたいに、胸の内を不安感が掠めていく。

(何のために……?)

 動揺から心臓が不穏な音を刻んでいた。

 嘘をつく理由にどうしても正当性を見出せず、だんだん怖くなってくる。

 どちらかはきっと、わたしを騙そうとしているんだ。



「これからどうすればいいんだろう」

 呟いた声は虚空に吸い込まれる。

 彼らに関する問題以前にも、不安は山積みだった。
 家のことも学校のことも、どうすればいいのだろう。

「…………」

 大丈夫かな。
 わたしに頼れる人はいるのかな。

(早くぜんぶ思い出したい)

 かた、とペンを置いた。
 星野くんの名前が目に入り、つい先ほどの出来事が蘇ってくる。

『……怖かった。もう、不安で。あのときは本当にどうしようかと』

 “あのとき”。

 彼の口にしたその言葉と、つい口を滑らせてしまったみたいな反応が気にかかっていた。

 もしかして、それって────怪我をしたときのことだろうか?

(この傷について何か知ってるの?)

 額の皮下血腫……打撲(だぼく)のこと。
 咄嗟に何か隠したように見えた。

 先生の言葉を思い出す。

『状況的に歩道橋の階段から転落したと思われますが、額に不自然な皮下血腫がありまして』

『皮下、血腫?』

『いわゆるたんこぶです。擦り傷や出血がなかったので、転落時の怪我とは別である可能性があって……』

 わたしは額のガーゼに触れた。
 ずき、と痛みが響く。

 不安が渦を巻いてはびこり、雨雲みたいに膨らんでいく。

 速い鼓動が、浅い呼吸が、わたしから冷静さを奪っていった。

 この傷は何なんだろう?
 どうやって怪我をしたんだろう?

 いったい、わたしの身に何があったのだろう……。
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