嘘と恋とシンデレラ

 わたしは身を縮めるようにして急いで階段を下りていった。
 教室へ逃げ帰る。

 ばくばくと心臓が早鐘(はやがね)を打っていた。
 席につくと、小さく震える自分の肩を抱く。

「……っ」

 当初は、星野くんと暴力なんて結びつかないと思っていた。
 でも、そうでもないのかもしれない。

(昨日だって……)

 力もかなり強かった。
 引っ張られたら振りほどけないほどで、抵抗の余地もなかった。

 さっきの音も、わたしの想像通りなら────。

『信じられないのは仕方がないにしてもさ……疑わないでよ。あんまりだ』

 完璧な仮面が剥がれ始めている。
 その欠片が足元に募りつつあった。

(……わたしだって信じたいよ)



     ◇



 今日一日、わたしは小鳥ちゃんから離れないようにしていた。

 星野くんとも愛沢くんとも接する勇気が出なくて、彼らを避けてどうにかやり過ごし、放課後に至る。
 何だかものすごく長い一日だった。

「小鳥ちゃん、今日部活?」

「ううん、今日はないよー」

「じゃあ一緒に帰ろ……!」

 心の底からほっとしながら彼女の手を引く。

「え? いいけど……どうしたの? そんな急いで」

 戸惑う小鳥ちゃんには申し訳ないけれど、あれこれ説明している暇もなかった。
 いつ彼らに捕まるか分からない。

 保健室のこともあって、小鳥ちゃんにストレートに助けを求めることも躊躇(ためら)われた。

 さながら狩猟者(ハンター)に狙われる獲物のように、あるいは得体の知れない脅威に追われるように、わたしは人の間を()って廊下を突き進んでいく。

 激しい心音が落ち着かない。
 あまりの不安と恐ろしさで終始酸素が薄く感じた。



 校門を潜り、どうにか学校から脱する。
 たったそれだけのことに、どっと疲れてしまった。

「……こころ、何かから逃げてるの?」

 (いぶか)しむように尋ねられる。
 ぎくりとしたものの、打ち明ける気にはなれなかった。

 愛沢くんは以前、彼女に脅迫めいた口止めをしていたし、また、彼女自身は星野くんの危うさを知らない。

 わざわざ余計な心配や心労をかけたくなかった。
 わたしが口を噤んでいれば、当事者に仕立て上げなくて済む。巻き込まないで済む。

「そ、そういうわけじゃないよ」

 誤魔化すようにぎこちなく笑ってから、はたと気が付く。

 空がどんよりと重たく曇っていた。
 微かな雨のにおいが鼻先を掠める。

「ほら、雨降りそうだったから!」

「……あ、本当だ」

 薄暗く厚い雲を見上げた小鳥ちゃんが眉を下げた。

「えー、今日雨なの? 天気予報見てなかったから傘ないよ」

「もう帰りだし大丈夫じゃない?」

「でもせっかく部活ないんだから、こころとどっか遊びに行きたかったのにー」

 不満そうに口を(とが)らせる彼女を見て、思わず笑みがこぼれた。

 ひりひりと(すさ)んでいた心が()えていく。
 すり減らした神経が元通りになっていく。

 本来あるべき日常へと連れ戻してくれた。

(小鳥ちゃんがいてくれてよかった)
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