嘘と恋とシンデレラ

 心臓を直接鷲掴みにされたようだった。

 あまりにも目ざとい。まるで隙がない。
 最初から予測して警戒していたのではないか、とさえ思う。

 だけど、何にしてももう後には引けない。

 わたしは手にしたカッターナイフの刃を押し出し、勢いよく取り出すと無我夢中で振った。

「……っ」

「あ……!」

 一拍置いてはたと我に返る。

 気づけば響也くんの白い頬に鮮やかな赤色の線が浮かび上がっていた。

 さっと血の気が引いていく。
 恐ろしくなって力が入らなくなり、カッターナイフを取り落とした。

(どうしよう)

 重たげな鼓動が加速する。
 呼吸は不安定に震えていた。

 傷つけるつもりなんてなかった。

 ただ追い込まれた状況を打開したい一心で、死へ(いざな)おうとする彼の手を遠ざけたい一心で、とにかく必死だった。

(どうしよう……)

 動揺から目の前が霞んだ。
 だけど赤色だけは鮮明に、わたしを責め続ける。

 すっかり狼狽(うろた)えてしまうと、硬直するわたしを不意に隼人が引き寄せた。

 するりと響也くんの手から解放される。
 隼人は彼から庇ってくれるように前に立った。

「おい、もう消えろ。二度とこころに近づくな」

 (おく)せず凄む隼人の背中を見た。
 内心、恐怖や動揺に支配されたまま驚いてしまう。

(守ってくれてる……?)

 ……よく分からなくなってきた。

 わたしを殺そうとした彼が、どうして助けてくれるのだろう?

「…………」

 響也くんは何も言わず、隼人とわたしにそれぞれ一瞥(いちべつ)くれた。
 余裕の笑みはもう消え去っている。

 いや、そういうわけじゃなかった。

 彼はそのあと、くす、と笑った。
 思わずこぼれてしまった、といった具合に。

 嘲笑とか強がりとかそういう種類の笑い方ではなくて、ただ純粋に満足そうだった。
 わけが分からなくて戸惑う。

「おい……」

 さすがに隼人も困惑を顕にしていた。
 その先に言葉を続けられないでいる。

 それからややあって笑みを消した響也くんは、わたしに意味ありげな視線を残してから屋上を後にした。



 わたしたちふたり以外の気配が完全に消えると、隼人がこちらに向き直った。

「!」

 それを見たわたしは慌てて屈み、カッターナイフを拾い上げる。
 油断なく切っ先を構えた。咄嗟の判断だった。

「こころ……」

「来ないで」

 首に残った痛みも、息が出来ない苦しみも、焼きついた恐ろしさも、まだ鮮明に残っている。

 さっきは響也くんの手から守ってくれたけれど、わたしにとっては隼人だって充分過ぎるくらいに危険人物なのだ。

 彼は黙って刃を見つめたあと、ふと悲しげな表情をたたえる。

「ごめん」

 予想外の一言だった。
 鋭利(えいり)な警戒心が図らずも()げる。

「昨日……やり過ぎたよな」

 一歩踏み込んできたのを見て、再びカッターナイフを構え直した。

「そんなのもう信じられないよ……!」

 泣きそうな気持ちで突き返す。

「そうやって、怖い思いさせてから優しくしたり謝ったり……。わたしなら簡単に騙せると思ってるの?」

 これまでそんなことが何度もあった。

 裏切られても信じようとして、だけど信じかけては裏切られて、結局は彼の掌の上で踊らされていただけだ。

「違う! 頼むから聞いてくれ」

 ただならぬ様子に気圧され、言葉を失った。
 どうしたというのだろう。

 何だか無視出来なくて、突っぱねることが正しいとも思えなくて、そろそろとカッターナイフを下ろす。
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