30歳の誕生日にいつも通っているお弁当屋さんの店員さんとワンナイトしてしまったので2万円置いて逃げてきた

4. 話し合い

優一にそのまま手を引かれて、綾羽はタクシーに乗った。

「どこに行くんですか?」
「俺の家です。いいですか?」

何の許可を求められているか分からないほど初心でもない。嫌だと言ったらこのまま何もせずに綾羽の家まで送ってくれるんだろうなと想像しながら、綾羽は頷いた。

タクシーは意外なほどすぐに停まった。目の前にあるマンションは綾羽の勤めるオフィスから二駅の一等地で、家賃が相当高いのではないかと思う。

「ここが、家なんですか……?」
「はい」

もしかして実家がお金持ちだからアルバイトしかしてないのだろうか、と想像しながらマンションを見上げていると、手を引かれる。綾羽は慌てて優一を引き留めた。

「西野さん?」
「あの、待ってください。コンビニで、その……結婚の話は出しましたけど、まだその……」

優一は何度か瞬きしてから綾羽の言葉の意味を察したらしくサッと顔を赤くした。

「もちろんです。あの、先日の……そんなところ気を使わせてすみません。カバンに、あ、外に出したか……家に、残ってるので」
「あ、そうです、よね」

綾羽の顔もつられて熱くなった。

「西野さん!えっと、そのために来てもらったわけじゃなくて、もう少し俺のこと知って欲しいと思って招待しただけなので!」
「そうなんですか」

勝手に色々と勘違いしたことも恥の上塗りで、綾羽の顔はますます熱くなった。

「あ、もちろん、したくないってわけじゃ、ちょっと待ってください。ああもう、俺、かっこ悪すぎる。とにかく、ええと、まずは中に入りましょう。西野さん、コーヒーお好きですよね?コーヒーミルがあるので豆から挽きます!」

優一はパッと顔を逸らすと、綾羽の手を引いてマンションのエントランスに入った。

中扉が自動で開き、すぐにエレベーターホールがある。9階の角部屋に連れていかれて、マンションに入ると、あまり生活感のない1LDKの部屋に通された。廊下を行った先にデスクと大きなモニターが3台。立派なゲーミングチェアが置かれている。
デスクの上にゲーム機のハードが2台置いてあった。

「ハセさんって、eスポーツのプロとかですか?」
「え?いえ、あ、椅子ですか?椅子は確かにゲーミングチェアですね。あ、コントローラーも出しっぱなしだ。恥ずかしいな」

優一は苦笑いした。

「コーヒー淹れますね。お荷物はソファにどうぞ」

優一は綾羽をソファに座らせて、自分はキッチンに立った。

「西野さんはコーヒーはブラックですか?カフェラテとカフェモカも作れます。豆乳もありますけど」
「え?すごいですね」
「ブラックばっかり飲んでると胃がやられるので。コーヒーミルを買ったのも、淹れるの面倒になったらちょっとは控えるかなと思ったんですけど……結局1日5杯は飲んでますね。他には依存してるものはないですよ」

優一が冗談っぽく笑った。自分のことを話す、と言ってくれていたのを思い出した。

「じゃあ、ソイラテがいいです」
「かしこまりました」

店にいるように優一が答えた。
綾羽はソイラテの味が好きだが、人と一緒にいる時は基本的にはブラックを選ぶ。ブラックコーヒーが好きじゃない、なんて言うと「イメージ通りだね〜可愛い〜」などと言われるのが嫌なので、好きでも嫌いでもないブラックコーヒーを飲んでいた。

優一は綾羽の前でカッコつけないようにしてくれているし、綾羽も自分のことを偽るのはやめようと思って、そのまま素直に好きなものを伝える。

コーヒーフィルターを設置して、ゆっくりお湯が注がれていく。丁寧な手つきをみていると、綾羽は自分も大切にされているような気持ちになった。

優一の部屋は、大きなモニターと椅子以外あまり特徴的なところがない。一人暮らしの男性にしては綺麗な部屋だけど、綾羽の元彼が神経質で、部屋を一日2回掃除機とコロコロで掃除するような男だったので、アラサーの独り身男性はそんなものなんじゃないか、という印象もあった。

「はい、どうぞ」

しばらくすると、優一がソイラテを持ってきてくれた。両手で受け取ってマグカップを包み込むと、ほっと肩の力が抜ける。

「ありがとうございます。美味しそう」
「1日5杯は練習してるので、それなりの味のはずです」

口をつけると豆乳の香りとコーヒーの香りが広がった。綾羽の頬もふっとゆるむ。

「美味しいです」
「よかったです」

優一も同じようにマグカップに口をつける。並んでソファに座ると本当にのんびりした気持ちになった。

「はー、丁寧な暮らしっていう感じ。ハセさん、私ハセ綾羽になるの悪くない気がします。あ、苗字ってどう書くんですか?羽と羽になっちゃうかも」
「羽?いえ、羽にサンズイの瀬の羽瀬じゃなくて、長い短いの長いに、山と谷の谷で長谷です」
「じゃあセーフですね。これ以上ふわふわした名前になったら、何を言われるか」
「ふわふわ?」
「私、癖っ毛でふわふわの髪じゃないですか。背も低くて、顔も幼めで、名前の綾羽も女の子らしくてふわふわしてるでしょう?パンツよりスカートが好きだし、色味も柔らかい方が好き。ネイルも好き。コーヒーはブラックよりソイラテ派です。こんな外見だから、中身もすっごくふわふわしてると思われてることが多くて」

綾羽はマグカップを置いて、ソファに寄りかかった。

「まぁ人並みにふわふわしてるところもあると思いますが、そうでもないところも多いです。お酒も強いんですよ。あの日は三軒梯子して、ワインとビールとカクテルを飲んでました。長谷さんは私がお酒に酔って男の人を呼び出してワンナイトするような女だと知ってるから夢は描いてないかもしれませんけど、誤解されてることも多いので先に言います」

優一はぱち、と瞬きした。

「西野さんが時々毒舌っぽく話すのは、それを牽制してるんですか?」
「え?私毒舌っぽくなってました?」

優一は少し思い出すように目線を下げた。

「毒舌というか、『パセリってなんのために入ってるか分からなかったけど美味しいパセリは美味しいんですね』とか、割とはっきりした言葉を選ぶなって思ってました」
「そうなんですか……」

それが”はっきり言う”に入っていると自覚がなくて、綾羽は少し顔を熱くした。

「俺が、西野さんの見た目に惹かれているだけかもと思って、不安になってるんですね」

優一が綾羽の髪に触れた。

「可愛い」

優一の優しい瞳に、綾羽はどきっと心臓が跳ねるのを感じた。

「違うんですか?」
「違うと言うのも違いますが、惚れたな、って思ったのは別の理由です。真剣に仕事をしてるのがかっこいいなと思って。最初は電話で誰かと喧嘩をしているのを聞いて、気になるようになりました」
「喧嘩……」

綾羽は身に覚えがなくて、首をかしげた。社外の人に聞かれるような場所で、仕事のことで誰かと喧嘩などしたことがあっただろうか。

「細かい内容は聞こえなかったんですけど『本当にお客様のこと考えてたらそんな発言絶対出てきません!』って怒ってましたよね」
「あー……」

数ヶ月前、中途で入社した後輩に指導していたのを聞かれていたらしい。トラブル対応に当たったその後輩が、謝罪もせず言い訳しか口にしないので、ついカッとなって怒鳴ったという最悪の思い出だ。あのあと、後輩には平謝りした。怒鳴ったって絶対に良くならないのは知っているし、指導方法として不適切だった。

「あれは、本当に不適切な説教で……恥ずかしいです」
「すごく熱意が伝わってきましたよ。それに、その後反省してたのも聞こえてましたし。そのまま地下鉄に乗ったのかなと思ったら、戻ってきて、いつも通り笑顔でランチボックスを買っていかれたので、なんというか、強いなって、思いました」

優一は朗らかに笑った。

「人としての未熟さをそう言われると死にたくなるので思い出さないでもらえますか?」

綾羽が早口で告げると、優一は綾羽を優しく見つめた。その視線に居心地が悪くなり、綾羽はさっと目を逸らした。

「長谷さんって変わってますね。そんなの好感度下がることはあっても上がりませんよ」
「そうですか?それは今まで周りにいた人が、見る目がなかっただけじゃないでしょうか」

少し距離が近付いた。手が重なって、軽く唇が触れた。

「ちょっと気の強い女の人が、俺の前でそういう可愛い顔を見せてくれるとぐっときます。すごく優しくしたくなる」
「んっ」

もう一度唇が重なって、綾羽はそのままソファーに押し倒された。

「どんな顔か自分だと分からないんですが」
「可愛い顔です。戸惑いと、照れ、かな?」

角度を変えて、キスを繰り返し、そのうち舌が絡んだ。手際良く片手でブラウスのボタンを外されていき、胸元があらわになる。

「長谷さんって結構女性慣れしてます?」

割と初心な、不器用な印象だったのに、いつの間にかこの優しさが計算されたもののように見えてきた。優一はぎくりと固まった。

「え?いえ、慣れているとはとても……経験に乏しいとも言いませんが……軽薄に見えましたか?」
「キスしながら片手でブラウスのボタン外せるのが意外だったので。ちなみに元カノは何人ですか?」

優一が気まずそうに苦笑いした。

「知りたいですか?」
「ええ。貴方のこと教えてくれるって言ったじゃないですか」
「そうですね……元カノは二人です。高校まで男子校だったので、大学時代に初めて人と付き合って、学生時代にあともう一人。ちなみに2回とも振られてます」
「奇遇ですね。私も毎回振られてます」
「そうなんですか?」
「ええ、イメージと違うって言われるから。長谷さんはなんで振られるんですか?理由がなさそうな気もするけど」

顔が良くて穏やかで優しい。ランチで雑談したときは楽しくて居心地がよかったし、リードするときはリードしてくれる。手際が良くて、多分セックスも独りよがりではなくちゃんと気遣ってくれるんじゃないだろうか、と想像させる。
優一は少し苦い顔をした。

「『私にはもったいない』そうです。本当の理由は分かりません。その後付き合っていた彼氏のことを考えると、俺とは一緒にいてつまらなかったのかなと想像してますが……。社会人になってから好きになった人には、いい人だけど男に見えないって言われましたね」

優一が、もう一度キスをする。

「だから今日は、ちょっと頑張ってみました。怖くないですか?」
「頑張ってるんですか?」
「頑張ってます。緊張して吐きそう」

綾羽は吹き出して笑った。

「二度目なのに」
「西野さんは覚えていないんでしょう?俺にとっては二度目ですが、西野さんにとっては一回目だし、下手くそでもう結婚できないって思われて振られたら、悲しいから」
「そんなことでは振りませんよ。私ちょっと感じにくいかもしれないですけど、長谷さんのせいじゃないから気にしないでくださいね」

元彼相手のときは濡れにくくて、ひっそりジェルを用意させてもらったくらいだ。セックスが嫌いなわけではないけれど、結婚生活で重視するほど好きでもない。
優一に触られるのは嫌だと思わないから、綾羽にとってはそれで十分だ。

「そうなんですか?ちゃんと気持ちよくなってもらいたいな」

優一が気遣うように綾羽の頬を撫でて、またキスを繰り返す。

「ん、っふ……」

ブラウスのボタンが完全に外れて、お腹にもヒヤリとした空気が触れた。優一の手が綾羽の腹と、腰に沿って撫でていき、スカートから覗く足に触れた。

「西野さん」
「ん……長谷さん、そうだ、あの、シャワーは」
「浴びたいですか?俺はこのままでもいいけど」
「できれば、先に……」
「分かりました」

唇が離れた。綾羽が起きあがろうとすると、優一がまたキスをする。身体が密着していて、下半身に硬いものが当たったのが分かり、綾羽はビクッと跳ねた。

「離れがたいので、一緒に浴びてもいいですか」
「え?!えっと、……いいですよ」

綾羽が少し考えてから頷くと、優一が甘えるように綾羽の首元に顔をすり、と擦った。
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