花森課長、もっと分かりやすく恋してくれませんか?
 クッキーを齧って、極力こともなげに言う。実際のところ、花森課長が自分を好いているなんて情報は処理しきれない。

 当の本人を見やれば焦る風でもなく。

「花森君、香は亡き妻の忘れ形見。見ての通り、目に入れたって痛くないのだ。野心を持つのは結構、だが迂闊に手を出し泣かせたりすればどうなるかーー」

「社長、せっかくのお祝いの日にやめませんか?」

 なんと父の脅しを遮った。これには父も目を丸くする。
 課長は私の隣に立ち、膝の上にたまったクッキーの破片を払う。ついでに唇の縁をハンカチで拭った。折り目正しく、清潔なハンカチから課長の匂いがする。

「私も生半可な気持ちで転職してませんし、目に入れても痛くないのはこちらも同じ事。この先、彼女だけは何があろうとお守りします」

 社長、副社長相手に怯まず言い切った。なにより私へ向け宣言した。
 そしてそんな折、カメラを携えた広報部がやってくる。

「失礼します。一枚宜しいですか?」

 首から掛けた光るレンズに、一同は表情を習性で整えた。

「あ、あぁ。家族が揃っているなんて珍しいからな。撮ってもらおうか」

「偶然を装っちゃって。兄さんが手配したくせに。私は映らないよ、社内報に掲載されたら堪らないもの」

 あれは新入社員の頃。素性を隠し入社したはずが、社内報で社長の娘と紹介されたのだ。皆に読まれるとは考えず、抱負や宮田工業について熱く語ってしまい黒歴史化となる。

「あの社内報は父さんが得意先にも渡してたなぁ」

「家に保存版もあるぞ。花森君も読むかい?」

「いえ、私も所持してます。香さん、ほら立って下さい」

 腕を引き上げられ、離席させられた。課長はそのまま集合写真のポジションへエスコートする。

「社内報を持ってるってどうして? ていうか課長も映るんですか?」

「家族写真なのでしょう? 近い将来、夫、義弟、それから息子になるのですから映らねばなりません。違いますか?」

 私、兄、父へ順番に視線を送って、同意を求めた。
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