花森課長、もっと分かりやすく恋してくれませんか?
「おっと、宮田工業の頭脳を傷付けたら大変だ」

 そっと毛先を撫でて、にっこり微笑む。顔を覗き込む仕草は紳士的でありながら、強烈な色気を放つ。しかも良い香りがして。

「それでは先に失礼しますね、スケジュールがおしています。私が気に入らないのであれば悪戯じゃなく、そのお利口な頭を活用下さい」

 課長が再び書類を手に取り、破り捨てた。
私は固まってしまい、何も言い返せない。

 細かく散る紙がまるで花弁みたいだった。



 定時後の約束を守る気など更々無い、守るとも言ってない。終業の合図と共に作業着を脱ぎ去り、飲食街へと繰り出す。

 準備中のプレートが掛かるバーへ構わず踏み込み、さっそくマスターに泣き付く。

「ちょっと聞いてよ! 明さん」

 当然、店内にお客さんはおらず、仕込み中のカレーの匂いが漂う。店主の明さんはカウンター内で鍋を掻き回しつつ、穏やかに私を迎えてくれた。

「いらっしゃい、今日は早いんだね?」

「残業を禁止されちゃったの! ひどくない?」

「香ちゃんはワーカーホリック。帰れるなら早く帰った方がいいよ。で、ビールにする?」

 グラスを煽るジェスチャーに頷く。それから不満を示す。

「帰る家が無いって知っているくせに。明さんまで私に意地悪するんだ?」

「ははっ、男には可愛い女の子をつい苛めちゃう所があるものさ。また、おじさんとやりあったの? それとも宮田君?」

 明さんとは家族ぐるみの付き合いをしており、兄と同級生、私は年の離れた幼馴染という関係だ。

「今回は花森課長。明さんは花森課長を知ってる?」

 話ながら正面ヘ腰掛ける。彼が自分のお店を持ってどのくらい経つだろう? 壁に飾る集合写真の私は制服を着ている。

 父も兄も明さんが作るカレーが大好きで、忙しい合間を縫って来店するそうだ。
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