花森課長、もっと分かりやすく恋してくれませんか?
「ですから花森課長は何故ここに?」

 文字通り、土足でプライベートを踏み荒らされている気がして苛立つ。

「それは転居届を書いて頂こうとーー」

「あぁ、ちょうど良かったです! 私、今夜から明さんの家に居候する事になったので」

 茶封筒を受け取って中身を引き出す。さっさと処理を済ませ、お引き取り願おう。
 明さんがすかさずペンを用意してくれた。

「って、住所欄が既に埋まってるんですが? まさか父や兄に部屋を用意させたとか? 勝手な真似をしないで下さい!」

 経済、精神的にも自立していると言い難いものの、実家から援助はされたくない。

「そちらの住所は私のマンションです。社長、副社長の了解を得て、あなたと暮らす事になりました。本来はお互いの理解を深めた後の方がいいのですが、香さんはどうにも危なっかしい」

「な、なんですか、それーー私が変な男に引っかかると宮田工業の看板に傷がつくから?」

 宮田家に部屋を用意されるより、事態はもっと悪いじゃないか。
 明さんの手前、お腹の底より込み上げてきた怒りをビールで冷やす。

「あなたは反発心で宮田家に相応しくない相手とばかり交際してきましたね? 考えてみて下さい、香さんを心から大事に想うなら身一つで追い出したりしない。私と暮らしましょう、不自由はさせませんよ」

 ゴクゴク喉を鳴らして飲み干すと、おかわりを要求する。花森課長の言い分は素面じゃとても聞いていられない。

 ふぅ、深呼吸する。

「花森課長、とりあえず呑みません? アルコールが2人の距離をぐっと縮めてくれますよ」

 私がザルだと知る明さんは即座に企みを察して、花森課長のグラスを用意した。

 何が不自由をさせませんよ、だ。私は政略結婚という鳥籠に入るつもりはない。課長を酔い潰して逃げてしまおう。

「乾杯」

 ーーこれが私達のゴングとなった。
< 8 / 61 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop