政略結婚は純愛のように番外編〜チョコの思い出〜
そして、今
小さく割った板チョコを入れたボールを、お湯を張ったボールにつけると、中のチョコがトロリと溶け出す。
「わぁ! 溶けてきた!」
ヘラを持った沙羅が声をあげた。
「ゆっくりかき混ぜてね」
笑みを浮かべて由梨が言うと、彼女は目を輝かせたまま嬉しそうに頷いた。
そんなふたりを、隼人を抱いた隆之が微笑んで見ていた。
隆之が休みのこの日、由梨は沙羅と一緒にチョコレート作りをしている。
沙羅にせがまれたからである。
何事にも積極的で好奇心旺盛な彼女は、今年はじめて保育園でバレンタインなるものについて先生や友達から情報を仕入れてきたのだ。
『好きな子に、チョコをあげる日なんでしょ? チョコって自分でも作れるの? お母さん、沙羅もやってみたい〜!』
正直言って由梨はお菓子作りにはあまり自信がない。
街にチョコが溢れるこの季節は好きだけど、今までのバレンタインは、買ってくる専門だった。
でも娘と一緒に……と考えたら、なんだか少しわくわくしてやってみることにしたのだ。
子育てをしていると、今まで自分が手を出さなかったこともやってみようと思えるのが不思議だった。
とはいえ、難しいものは作れない。
そこで、溶かして型に流し込む簡単なレシピを見つけてきて、チャレンジしてるというわけだ。
溶けたチョコレートに生クリームを加えると、沙羅は丁寧に一生懸命混ぜている。
真剣な目とふっくらしたほっぺが可愛かった。
すっかり混ざったチョコをゆっくり型に流し込む。
「あとは、上にいろいろ飾り付けをして固まったら完成」
なんとかなったと安心して、由梨はホッと息を吐いた。
沙羅はさっそく、星やハート、四角や丸など可愛い形の型に流し入れられたチョコの上に、カラフルな飾りを好きなように乗せている。
「はっくんには、この車の形のチョコね」
隆之の腕の中の隼人に向かって沙羅が言う。
隼人が「うまうま」と答えた。
「だけど、はっくんはまだ食べちゃダメだから、お父さんに食べてもらって」
隆之が首を傾げた。
「お父さんにはくれないのか?」
「あげるよ、お父さんにはねー、これ!」
沙羅が指差したのは丸い型のチョコだった。
「それか、ありがとう。食べるのが楽しみだ」
隆之がにっこりと微笑むと、沙羅も嬉しそうににっこりして、どの型のチョコを誰にあげるかを報告し始める。
「三角はじじで、これが秋元サン」
そして最後に、カラフルな飾りをたっぷり載せたハートのチョコを指差して嬉しそうに宣言する。
「これはゆうくん!」
そして満面の笑みを浮かべた。
「はるかちゃんがね、一番好きな子にはハートのチョコをあげるのよって言ってたの」
「……なるほど。ゆうくん、喜んでくれるといいな」
「うん!」
優しく答えてはいるものの口元がやや歪んでいる隆之に、由梨は笑いを噛み殺した。
「そういえばはるかちゃんのパパは会社でたくさんチョコをもらってくるって言ってたよ。はるかちゃんにくれるんだって! お父さんももらってくる?」
沙羅が期待のこもった目で隆之を見る。
隆之が優しく答えた。
「お父さんは、会社ではチョコをもらわないことにしてるんだ」
「えー、どうして?」
「まぁ、いろいろ理由はあるんだけど。そもそもお父さんにチョコをくれる人はいないよ」
彼が会社でチョコレートをもらわないのは、役員が社員と個人的なやり取りをするのは、あまり好ましくないからだ。
それ以外にも、もらうと収拾つかなくなるという理由もある。
長坂の話によると、副社長に就任した直後は、結構な量になったという。
しかも中にはとても義理とは思えないものもあった。
当然もらっておいて返さないわけにいかないから、相手が誰か記録しておかなくてはならない。
それが普段の彼の業務を多少なりとも圧迫していた。
長坂が秘書になってからは、一切受け取らないと決めて、周知徹底したのだという。
「じゃあお母さんもお父さんにチョコあげなかったの? いっしょの会社でしょう?」
沙羅からの問いかけに、由梨は頷いた。
「そうね。お母さんも会社では一度もあげなかったよ。結婚してからは、お家であげるようにして……」
でもそこで。
「……一度も?」
隆之が呟いた。
「え?」
由梨が首を傾げると、なにやら不可解な表情でこちらをジッと見つめている。
「隆之さん?」
問いかけても答えてはくれなかった。
そんな彼を見つめながら、由梨は考えを巡らせる。
今由梨が話していた会社でのバレンタインの話に、彼は引っかかっているのだろうか……?
由梨が秘書課で働いていた頃のバレンタインはとにかく楽しかったという記憶がある。
長坂と菜々と三人で、あれがいいこれがいいとわいわい言い合って交換した。
確か始まりは、お世話になっている長坂に贈りたいと思ったことだった……。
——と、そこで。
「あ!」
あることを思い出して声をあげる。
隆之が目を細めて、咎めるように由梨を見た。
そして「あっぶー!」と腕の中でジタバタする隼人を抱いたまま、くるりとこちらに背を向ける。そのまま、スタスタとリビングの方へ歩いていった。
そういえば、一度その決まりを知らないでチョコを渡したことがあったんだ!
働きたてで右も左もわからない頃のことだから、すっかり忘れていたけれど……。
「ねーじゃあお母さんは誰にあげてたの?」
「え? そ、そうね、お母さんはね……長坂さんとか菜々ちゃんにあげてたな……」
「長坂さん! 菜々お姉ちゃん! 沙羅もあげたい!」
今年知ったばかりのイベントに興味津々の沙羅に答えながら、由梨は隆之をチラリと見る。
ソファに座り、隼人をあやしている彼は、もうすっかりその話題には興味がないといった様子だ。
でもその背中には"気にしている"とはっきりと書いてあった。
〈つづく〉
「わぁ! 溶けてきた!」
ヘラを持った沙羅が声をあげた。
「ゆっくりかき混ぜてね」
笑みを浮かべて由梨が言うと、彼女は目を輝かせたまま嬉しそうに頷いた。
そんなふたりを、隼人を抱いた隆之が微笑んで見ていた。
隆之が休みのこの日、由梨は沙羅と一緒にチョコレート作りをしている。
沙羅にせがまれたからである。
何事にも積極的で好奇心旺盛な彼女は、今年はじめて保育園でバレンタインなるものについて先生や友達から情報を仕入れてきたのだ。
『好きな子に、チョコをあげる日なんでしょ? チョコって自分でも作れるの? お母さん、沙羅もやってみたい〜!』
正直言って由梨はお菓子作りにはあまり自信がない。
街にチョコが溢れるこの季節は好きだけど、今までのバレンタインは、買ってくる専門だった。
でも娘と一緒に……と考えたら、なんだか少しわくわくしてやってみることにしたのだ。
子育てをしていると、今まで自分が手を出さなかったこともやってみようと思えるのが不思議だった。
とはいえ、難しいものは作れない。
そこで、溶かして型に流し込む簡単なレシピを見つけてきて、チャレンジしてるというわけだ。
溶けたチョコレートに生クリームを加えると、沙羅は丁寧に一生懸命混ぜている。
真剣な目とふっくらしたほっぺが可愛かった。
すっかり混ざったチョコをゆっくり型に流し込む。
「あとは、上にいろいろ飾り付けをして固まったら完成」
なんとかなったと安心して、由梨はホッと息を吐いた。
沙羅はさっそく、星やハート、四角や丸など可愛い形の型に流し入れられたチョコの上に、カラフルな飾りを好きなように乗せている。
「はっくんには、この車の形のチョコね」
隆之の腕の中の隼人に向かって沙羅が言う。
隼人が「うまうま」と答えた。
「だけど、はっくんはまだ食べちゃダメだから、お父さんに食べてもらって」
隆之が首を傾げた。
「お父さんにはくれないのか?」
「あげるよ、お父さんにはねー、これ!」
沙羅が指差したのは丸い型のチョコだった。
「それか、ありがとう。食べるのが楽しみだ」
隆之がにっこりと微笑むと、沙羅も嬉しそうににっこりして、どの型のチョコを誰にあげるかを報告し始める。
「三角はじじで、これが秋元サン」
そして最後に、カラフルな飾りをたっぷり載せたハートのチョコを指差して嬉しそうに宣言する。
「これはゆうくん!」
そして満面の笑みを浮かべた。
「はるかちゃんがね、一番好きな子にはハートのチョコをあげるのよって言ってたの」
「……なるほど。ゆうくん、喜んでくれるといいな」
「うん!」
優しく答えてはいるものの口元がやや歪んでいる隆之に、由梨は笑いを噛み殺した。
「そういえばはるかちゃんのパパは会社でたくさんチョコをもらってくるって言ってたよ。はるかちゃんにくれるんだって! お父さんももらってくる?」
沙羅が期待のこもった目で隆之を見る。
隆之が優しく答えた。
「お父さんは、会社ではチョコをもらわないことにしてるんだ」
「えー、どうして?」
「まぁ、いろいろ理由はあるんだけど。そもそもお父さんにチョコをくれる人はいないよ」
彼が会社でチョコレートをもらわないのは、役員が社員と個人的なやり取りをするのは、あまり好ましくないからだ。
それ以外にも、もらうと収拾つかなくなるという理由もある。
長坂の話によると、副社長に就任した直後は、結構な量になったという。
しかも中にはとても義理とは思えないものもあった。
当然もらっておいて返さないわけにいかないから、相手が誰か記録しておかなくてはならない。
それが普段の彼の業務を多少なりとも圧迫していた。
長坂が秘書になってからは、一切受け取らないと決めて、周知徹底したのだという。
「じゃあお母さんもお父さんにチョコあげなかったの? いっしょの会社でしょう?」
沙羅からの問いかけに、由梨は頷いた。
「そうね。お母さんも会社では一度もあげなかったよ。結婚してからは、お家であげるようにして……」
でもそこで。
「……一度も?」
隆之が呟いた。
「え?」
由梨が首を傾げると、なにやら不可解な表情でこちらをジッと見つめている。
「隆之さん?」
問いかけても答えてはくれなかった。
そんな彼を見つめながら、由梨は考えを巡らせる。
今由梨が話していた会社でのバレンタインの話に、彼は引っかかっているのだろうか……?
由梨が秘書課で働いていた頃のバレンタインはとにかく楽しかったという記憶がある。
長坂と菜々と三人で、あれがいいこれがいいとわいわい言い合って交換した。
確か始まりは、お世話になっている長坂に贈りたいと思ったことだった……。
——と、そこで。
「あ!」
あることを思い出して声をあげる。
隆之が目を細めて、咎めるように由梨を見た。
そして「あっぶー!」と腕の中でジタバタする隼人を抱いたまま、くるりとこちらに背を向ける。そのまま、スタスタとリビングの方へ歩いていった。
そういえば、一度その決まりを知らないでチョコを渡したことがあったんだ!
働きたてで右も左もわからない頃のことだから、すっかり忘れていたけれど……。
「ねーじゃあお母さんは誰にあげてたの?」
「え? そ、そうね、お母さんはね……長坂さんとか菜々ちゃんにあげてたな……」
「長坂さん! 菜々お姉ちゃん! 沙羅もあげたい!」
今年知ったばかりのイベントに興味津々の沙羅に答えながら、由梨は隆之をチラリと見る。
ソファに座り、隼人をあやしている彼は、もうすっかりその話題には興味がないといった様子だ。
でもその背中には"気にしている"とはっきりと書いてあった。
〈つづく〉