【第二部】天妃物語 ~「私以外にもたくさん妻室がいた天帝にお前だけだと口説かれます。信じていいのでしょうか」~
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「報告があったのはこの辺りか」
黒緋は離寛と京の都の外れにある雑木林に来ていた。
政治をつかさどる中務省の一つである陰陽寮には毎日陳情書や怪異の相談が寄せられている。そのなかで最近多いのがこの雑木林に鬼が現われるというものだ。
「ああ、この辺りだって聞いたぜ。この奥に廃寺があるはずで、……お、見つけた。ほらそこだ」
離寛が指差した先に今にも崩れそうな廃寺があった。
二人は廃寺に足を向けたが、その途中にある木々を目にして苦笑する。
「今も昔も好きだな。だいぶ古いのまであるようだ」
離寛は木々を見回して言った。
木の幹には呪いの藁人形が打ち付けてあったのだ。意識して探さなくても目に付くほどで、その数はおよそ二十を超えている。廃寺になる前から藁人形の儀式の場として使われていたのだろう。
こうした呪いの儀式は珍しいものではない。ここが特別に多いのではなく、どこの寺社にもある光景である。呪いの藁人形は貴族階級だけでなく一般民衆にも広く知られている呪法なのだ。
離寛は見回した光景に肩を竦める。
ひとつひとつの藁人形に微弱な邪気が残っていた。一度宿った邪気はそう簡単には風化されない。廃寺になった後もこうして呪いの痕跡だけが残るのだ。
「お、ここに邪気がない藁人形もあるぞ」
離寛が珍しそうに一つの藁人形を見た。
見た目は普通の藁人形だが、藁人形なら当たり前に宿している邪気がない。空っぽだ。
「こんなことあり得るのか? こんな物わざわざ作るんだ。普通、否が応でも邪気が宿るもんだろ」
「ああ、それとも誰かが邪気払いをしたか」
「この藁人形だけをか? 他のもしろよ」
「ハハハッ、もっともだ」
黒緋は可笑しそうに笑った。
邪気の宿っていない藁人形などただの藁の束。
もし邪気が宿っていない藁人形を作れる者がいるとするなら、それは怨みも妬みも知らないまっさらな赤ん坊くらいである。どんなに幼い子どもでも、人は感情を意識した時からまっさらではなくなるのだ。
その為、邪気の宿っていない藁人形事態が違和感なのである。
離寛が見回して聞いた。
「どうする。ここ浄化しとくか?」
自然劣化で藁人形が朽ちたとしても邪気と思念は残る。一つ一つは微弱でも積もりに積もれば空間が澱んで悪しき場となってしまう。今回多くの相談が寄せられたように怪異が発生しやすくなるのだ。
「ああ、頼む」
「分かった」
離寛が短い祝詞を唱えて指をスッと動かす。
瞬間、ビュッと風が吹き抜けた。
すると澱んだ空気は一掃され、廃寺一帯は清浄な地となった。廃寺の藁人形はただの藁の束となったのである。
こうして廃寺の空気は清浄化したが、だからこそ苦痛を感じるものもいるもので。
オオオオッ……! オオオオオオオオッ!!
ふと鬼の咆哮が空気を震撼させた。
もだえ苦しむような咆哮に離寛が「おっ」と眉を上げる。
「きたきた。浄化でお怒りだ」
離寛が面白そうに言った。
場の空気が重苦しいものに変わった。鬼の結界である。
まだ姿は見えないが鬼は結界を発動し、黒緋と離寛を閉じ込めたのだ。