【第二部】天妃物語 ~「私以外にもたくさん妻室がいた天帝にお前だけだと口説かれます。信じていいのでしょうか」~
「黒緋さま、そんなことを……」
「俺はそんな事とは思っていない」
「でも過ぎたことです」
「過ぎたことでもだ」

 きっぱりと言われました。
 黒緋の口調は不機嫌なものですが、……ああいけません。気を抜くと口元がゆるんでしまう。
 また袖で口元を隠します。

「…………なにを笑っている」
「気のせいです」
「気のせいじゃないだろ。ほら」
「ああ、いけません」

 手をやんわりと掴まれて口元から離されました。
 黒緋が意地悪に目を細めます。

「ほらみろ」
「ふふふ、ばれてしまいましたか」

 私はなんだかおかしくなって小さく笑いました。
 こんな些細なやりとりが愛おしくて。

「あなたはもっと早くとおっしゃってくれますが、私は今で充分ですよ」

 今が幸せです。
 願わくば過去よりもこれからのことです。これからもこの幸せが続きますように。
 私はそう願うと、明日からの旅路の話しをします。

「ところで黒緋様、明日はどこまで行くんですか? 畿内(きない)巡りといいますが、畿内は広いのです。大和(やまと)ですか? それとも摂津(せっつ)ですか? そろそろ旅の目的を話してほしいんですが」

 旅といえば熊野詣(くまのもうで)石山詣(いしやまもうで)ですが、今の私たちの旅は寺社への参拝が目的ではありませんよね。
 私の質問に黒緋が眉を上げました。

「勘づいていたか、察しがいいな」
「私たちが寺社詣(じしゃもうで)というのも……。ふふ、きっと寺社に祀られている神々を驚かせてしまいます」
「それもそうだ」

 そう言って黒緋がニヤリと笑いました。
 神社仏閣に祀られているのは神族や神獣です。なかには天帝である黒緋が使役する式神もいました。天帝が式神を(もう)でに行くなんて、祀られた神々を困らせてしまうだけですよね。

「少し前から各地の村が蝗害(こうがい)に遭っていることは知っているだろう。それで少し気になることがあったんだ」
「気になることですか?」
蝗害(こうがい)が呪術の可能性がある」
「え、誰かが呪っているということですか?」
「そうだ。人か土地か物か、なににたいして呪っているか不明だがな」
「待ってください。もし蝗害(こうがい)が自然発生ではなく呪術だとしたら、その呪力の大きさは……」

 驚愕に言葉が続けられませんでした。
 もしこの蝗害(こうがい)が呪術によって起こされたなら、必要とされる呪力は対人や対物の比ではありません。なぜなら蝗害は各地で起こっているからです。これほど広範囲で大規模な呪術を行使できる人間なんているでしょうか。
 しかも斎王が豊穣の祭事を行なったあとに蝗害(こうがい)が起きているのです。それは斎王の祭事を無効にしたということ。
< 45 / 50 >

この作品をシェア

pagetop