金六花恋ひ物語

4.藤柴屋・鳥の子色

4.藤柴屋・鳥の子色
 
 
 久しぶりに帰った実家は何も変わっておらず、懐かしい生活臭を漂わせて雪乃を迎え入れた。
 由美子や旬は心配そうに接してくれたが、父の順一だけは何故か雪乃に怒っていた。
 
 「何しに帰ってきたんだ?たかが、喧嘩ごとぎで。雪乃は、田上家に嫁いだんだ。身勝手なことをするんじゃない!今すぐ、悠一朗くんのところへ帰れ」
 
 怒られるだろうな…、とは思っていた。田上酒造の嫁として、簡単に抜け出していい訳がない。雪乃は「ごめんなさい」と言ってその場に立ち尽くした。
 
 「何があったかは知らんが、堪忍するところは堪忍せんと、田上酒造の嫁は務まらんで」
 
 「…はい」
 
 「とりあえず、その汚い顔を洗ってこい」
 
 雪乃は崩れた化粧を落としに洗面所へ向かった。鏡に映る顔は、弱々しく、全てのことに負けてしまったかのような惨めさが滲み出ていた。そんな顔を見て、また涙が溜まる…。お湯を出し、勢いよく顔を濡らしていると、後ろから旬の声が聞こえてきた。
 
 「姉ちゃん、今から兄さん迎えに来てくれるって。今、父さんのとこに電話あった」
 
 雪乃は、タオルで顔を拭きながら「分かった…」と返事をした。雪乃は急いで自分の部屋に行き、着替えられそうな服を引っ張り出そうと、クローゼットを開けた。何かないかと探していると、六花模様の手ぬぐいが目に入った。雪乃は思わずそれを手に取り、無意識にそれをバッグの中に入れた。とりあえず適当に着替え、着替えも一緒にバッグに詰め込んだ。
 そうこうしているうちに、下の階から雪乃を呼ぶ声が聞こえてくる。雪乃は急いで下に降ると、玄関で順一と話している悠一朗の声が聞こえてきた。
 
 「この度は、僕のせいでご心配をおかけしてしまい申し訳ありませんでした…。二人で話し合って解決していきますので…」
 
 「いや、こちらこそ娘が勝手なことをしてしまって申し訳ない。普段は大人しいんだが、怒ると止められなくなるもんで…」
 
 「いや、それは全然…」
 
 階段から降りてきた雪乃の姿を見て、悠一朗は顔を少しだけ緩め「帰ろう」と手を差し出した。雪乃は頷きながらその手を握り、自分の靴を履いた。
 
 「あまり悠一朗くんに、迷惑かけるなよ」
 
 「分かってる…」
 
 雪乃は少しムスッとしながら、順一に返事をした。「雪…」と悠一朗は気を取り直すように、雪乃の背中をぽんぽんと叩いた。
 
 「では、連れて帰りますので僕たちはこれで失礼します」
 
 そう言って、長谷川家の家族全員に見送られながら、二人は長谷川家を後にした。
 
 
 歩きながら繋いだ手を離そうとしない悠一朗の横で、雪乃は「ごめんなさい…」と蚊の鳴くような声で呟いた。「いや、俺が悪い…」と悠一朗もボソッと呟き、二人はゆっくり顔を見合わせた。生温い夜風がふわりと二人の頬を掠め、静かに通り過ぎていく。
 
 「明日、朝一から新しい取引先のとこへ行かんなんくて、一週間ぐらい新潟行ってくる」
 
 「…えっ?新潟ですか?ごめんなさい。私、そんな出張があるなんて知らなくて…」
 
 「いいよ。それより、しばらく家を空けるけど平気か?」
 
 「…それは全然」
 
 寂しくないと言えば嘘になるが、雪乃は仕方ないと平然を装う。
 
 「帰ってきたら、ゆっくり話そう。包み隠さず、全部話すから」
 
 雪乃は悠一朗の鼻筋の通った横顔を眺め「はい…」と答えた。夫婦なのだから、一つ一つ、相手のことを知ることも大切だ。悠一朗の過去を知ることで、不安が解消されるならと、雪乃はその日を待とうと思った。
 田上家に着いた雪乃は、心配そうに待っていた凛子とウメに心から謝罪をした。凛子もウメも、自分たちの至らなさに反省していると、雪乃に頭を下げる。
 
 「明日から、俺不在になるから雪乃のこと頼む。外では常に一人にならないよう側に居てやってくれ。何かあったらすぐ連絡してくれればいいから」
 
 悠一朗は凛子とウメにそう言い残し、二人を帰らせた。離れの家に戻り、悠一朗はすぐに明日の準備に取り掛かる。雪乃はここが自分の家なんだと、部屋の匂いや使い慣れた家具を見て改めて気づく。帰ってきた安心感を抱きながら、雪乃は悠一朗の横に座って、出張で持っていく服を一緒に畳んだ。
 
 
 ◇◇◇
 
 
 翌朝、雪乃が起きた時には悠一朗の姿は無かった。離れに向かい、雪乃は凛子とウメと一緒に三人で朝食を愉しんだ。
 
 「そうだ、雪さん。今日、藤柴屋の紫乃さんが来られます!」
 
 「え〜っ?あの紫乃さんがですか〜?」
 
 凛子からの突然な朗報に、雪乃はキラキラと目を輝かせる。憧れの女性に会える嬉しさで、興奮のあまり雪乃は手元にあったお茶を勢いよく溢した。でも、どうして田上家に?という疑問が脳裏を過り、お茶を拭きながら、来る理由を凛子に尋ねた。
 
 「藤柴屋とは、深いご縁がありまして。坊ちゃんの母、万里子さんは元々、藤柴屋の芸妓さんだったのですよ。今でも紫乃さんは、万里子さんをお姉さんのように慕っておられます」
 
 「えっ?そうだったのですか!」
 
 雪乃はあまりの衝撃に、両手で口を塞いだ。
 
 (だから、悠一朗さんのお母様はあんなべっぴんさんなんだ〜)
 
 写真を見させてもらった時に抱いた感情が、全て繋がった。
 
 「今日は、そんな万里子さんに御手を合わせたいとのことでご連絡をいただきました。ついでに雪さんにもお会いしたいと」
 
 雪乃は、紫乃をちゃんと迎え入れたいと思い、久しぶりに着物を着たいと凛子に申し出、急いで着物の身支度を手伝ってもらった。
 
 
 昼下がりの午後、芸妓らしい華やかな訪問着を纏った紫乃が、何やら大きな横長の風呂敷を抱えて田上家へやってきた。
 
 「ごめんくださいませ〜、藤柴屋の紫乃でございますぅ」
 
 「紫乃さん!ご無沙汰しております。お待ちしておりました」
 
 「あ〜ん、もぅ雪ちゃんったら、なんて可愛らしいのぉ〜。着こなし方も素敵じゃな〜い!」
 
 黒と白のドット柄のおうち着物を上手く着こなしていた雪乃を見て、紫乃は茶目っ気に褒め倒した。
 
 雪乃は、涼しくしておいた仏間に紫乃をお通しし、向かい合って腰を下ろした。すぐに、凛子が急須に入れたお茶と、長谷川庵で用意した七夕ならではの、天の川をイメージした羊羹を持ってくる。それを雪乃の横に置き、凛子はウメと共に雪乃の斜め後ろに身を置いた。雪乃はそれを紫乃の分と、万里子の分に取り分け、紫乃の前とお仏壇にそれぞれ添えた。
 
 「まぁ、立派な田上家の奥様になられて。ありがとう、雪ちゃん。先に、姉さまに御手を合わせてからいただくわね」
 
 そう言って、紫乃は着物の擦れる音を立てて仏壇の前に移動した。手慣れたように白檀の香りがするお線香を炙り、煙がすぅ〜っと登っていくのを見計らって静かに手を合わせた。
 
 美しい作法だなぁ…、と雪乃は紫乃の一つ一つの手の動きを、斜め横から眺めていた。手を合わせたあと、紫乃は万里子の遺影を見上げ「姉さま、来ましたよ」と言って小さく手を振った。
 こういう可愛らしい一面も彼女の魅力であり、雪乃はまた紫乃に憧れを抱いた。
 
 「皆さん、お待たせしました。さて、さて、ひんやりとしたうちに、いただきましょう!」
 
 しばし談笑を含めた会話をしながら、四人はお茶を愉しんだ。
 しばらくしてから、紫乃は思い出したかのように、持ってきた風呂敷に目を遣る。
 
 「そうそう。これね、姉さまから預かっていたもので、雪ちゃんにお渡ししようと思って持ってきたの」
 
 「お母様からですか…」
 
 その、横に長い風呂敷の中から出てきたのは、綺麗に包装された新品の着物だった。
 
 「そうよ。これね、姉さまが生前、悠一朗くんのお嫁さんにって言って買ったお着物なの。いつかお嫁さんが来たら、渡して欲しいと言われてずっと預かってたのよ。受け取ってくれる?」
 
 雪乃は口元を両手で塞ぎ、感極まって目を潤ませる。 
 丁寧に包装紙の端をめくると、そこにあったのは綺麗な鳥の子色(クリーム色)に、金の糸で蝶をあしらった訪問着だった。雪乃は震えた声で「はい…」と言い、素直にそれを受け取った。後ろに居たウメと凛子の啜り泣く声が聞こえ、雪乃も我慢できずつられて泣き出してしまった。
 紫乃も「感動よね…」と小さなハンカチでそっと目尻を拭きとり、遺影を見ながら続けた。
 
 「昔、藤柴屋に仕立て屋さんがよくおいでてね。田上家に嫁いだ後も、その仕立て屋さんが来る度おいでになって、ある日、姉さまが何やらじっくり着物を選んでらしたから『姉さま、ご自身用ですか?』って聞いたら『悠一朗のお嫁さん用に』なんて言うのよ。とても楽しそうに選んでいたから、私は何も言えなくて。冗談で『これはどうですか?』って青色のお着物を差し出したら『色物はだめよ〜。もっと柔らかくなくっちゃ」って言われて却下されたのぉ〜、あははは〜」
 
 紫乃と万里子の昔話を聞いて、雪乃は心の底から万里子という女性に会いたくなった。選んでもらった着物を着て、一緒に和菓子と茶を嗜めたらどんなけ幸せだっただろうかと、雪乃は着物を撫でながら思った。
 
 ふとその時、何か硬いものに触れたと思い、雪乃は被さっている包装紙を全体に広げた。
 
 (ん?何だろ…)
 
 すると着物の上に、着物と同じ色で重ねられた布と、中央に鶴が折られた分厚い手紙が入っていた。
 
 「まったくチャーミングなことをするのね、姉さまは。この布は恐らく、襲色目(かさねいろめ=服の色の重なりを表す言葉)の氷襲(こおりがさね)。これは折形(おりがた)に見立てたお手紙ね」
 
 「へぇ〜。そんなのがあるのですか!わぁ〜、初めていただきました。折形のお手紙」
 
 雪乃は感動して、折形を見ながら瞳をゆらゆらさせた。氷襲という色は冬に用いる色らしい。偶然にも雪乃の名前にぴったりだと、紫乃は笑っていた。
 
 「お手紙は、一人の時にゆっくり読んだらいいわ。あら、もうこんな時間。そろそろお暇しないと。今夜も藤柴屋は大忙しだからぁ〜」
 
 雪乃は紫乃を町屋の田上酒造店の前まで送り届けようと、門を出て一緒に歩いていく。
 
 「ねぇ雪ちゃん。色んな目があるかもしれないけど、あなたなら絶対乗り越えられるから、堂々と胸を張って、田上酒造の女将さんを務めなさい。いつだって、姉さまがあなたの味方をしてくれるわ。もちろんこの紫乃も、雪ちゃんの味方だしね」
 
 「…紫乃さん。ありがとうございます。心強いです!また、いらしてくださいね」
 
 「もちろんよ。たまには手を合わせに行かないと、姉さまが夢に出てくるから〜。紫乃ぉ〜って、あはははは。じゃあまた、今度の茶会でね〜」
 
 そう言って、紫乃は雪乃に軽く手を振りながら、颯爽と藤柴屋へ帰っていった。
 
 
 「女将さぁ〜ん!」
 
 「お、か、み、さぁ〜ん!」
 
 (……?)
 
 「若旦那の奥さぁ〜ん!」
 
 自分にに向けられた声だと気づき、雪乃はハッと声のする方へ振り向く。すると、田上酒造の店舗で働いているスタッフたちが、入口の引き戸を開けて手を振っていた。
 
 「祐介くん、理くん!あ、涼(すず)ちゃんも!」
 
 「もぉ〜、俺らに全然気づいてくんないんで、嫌われちゃったかと思ったじゃないっすか〜」
 
 「ごめ〜ん、ごめ〜ん」と雪乃は両手を合わせながら、田上酒造の店舗に足を踏み入れた。
 
 「この辺で女将さんなんて、奥さんしかいないっすよ〜」
 
 「ってか、今日もお綺麗っすね〜」
 
 「ホントに!涼もお着物の似合う女になりたい!ってか、奥さんみたいになりたーい」
 
 「え?無理やろ」
 「うん。ムリムリ無理」
 
 「はぁ〜?二人とも何やてー?うわぇ〜ん、奥さぁ〜ん。酷くないですか〜この二人ぃ〜」
 
 泣きべそをかく真似をしながら抱きついてくる涼に、雪乃はヨシヨシと頭を撫でた。
 
 「涼ちゃんはとっても可愛いよ」
 
 「おい!聞いたかそこの二人ぃ!」
 
 祐介と理は、誰もいない店内で「いらっしゃいませ〜」と言って聞こえないフリをした。三人のやり取りを笑いながら見ていると、酒造の橋枝が店舗の様子を見にカタカタと音を立ててやってきた。

 「おい!おまえら!若旦那がいないからって、サボってたら若旦那に言いつけるぞ!奥さん、足留めさせてしまってすんません。こいつら、奥さん見るとついつい話したくなるみたいで…」
 
 「いえいえ、こちらこそお仕事の邪魔をしてしまってすみません。ごめんね、みんな」
 
 アルバイトの三人は「全然!」と片手を横にフリフリさせていた。
 
 「また、酒造にも顔出してください!蔵人たちも喜ぶんで」
 
 「うわっ!蔵人さんらもサボりっすかぁ〜。若旦那に言いつけますよぉ〜」
 
 「サボりじゃね〜よ、バカ。目の保養だ目の!」
 
 皆んな何だかんだ仲がいいんだなぁ、とスタッフたちの会話を聞いて、雪乃はクスッと笑ってしまう。悠一朗の人柄の良さが、功をなしているのだろうか。
 
 「では、私はこれで」と言って、雪乃は皆んなに軽く頭を下げ、お客さんで賑わってきた店舗を後にする。
 ふっと見上げた夕暮れの空は、雲一つなく綺麗なオレンジ色で輝いていた。
 万里子の伝えたかった思いが真っ直ぐ届けられているように━︎━︎━︎。
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