金六花恋ひ物語

5.氷襲の鶴折形

5.氷襲の鶴折形
 
 
 夕食を三人で済ませた後、凛子とウメを見送り、雪乃は離れの家で寝る準備を始めていた。
 
 (悠一朗さんからは連絡ないけど…『おやすみ』ぐらい送ってもいいよね)
 
 そう思いながら、雪乃は悠一朗にラインを打った。
 
 〈悠一朗さん、お疲れさまです。今日、藤柴屋の紫乃さんが来られました。また、帰ってこられたら色々お話ししますね。悠一朗さんも早めに休んでください。おやすみなさい〉
 
 すぐに既読がつき、折り返すようにぶるぶると電話が鳴る。悠一朗と電話をするなんて何ヶ月ぶりだろうか。雪乃は慌てた様子で画面をタップし、スマホを耳に当てた。
 
 「も、もしもし。雪乃です」
 
 「あ、雪乃?ラインありがとう。声聞きたかったから電話した。あ、ごめん。寝るところだった?」
 
 「いっ、いえいえ。ありがとうございます。わ、私も、悠一朗さんの声が聞けて嬉しいです」
 
 久しぶりに聞く電話越しの悠一朗の声に、また惚れてしまいそうになる。雪乃は好きになればなるほど痛む胸を抑えて、壁にもたれた。
 
 「なら良かった。今日、紫乃さん来られたん?」
 
 「あ、はい。悠一朗さんのお母様に御手を合わせに。それと、悠一朗さんのお母様が生前、お嫁さんにと買ってくださっていたお着物を頂戴しました…。紫乃さんがずっと預かっていてくださったようで…」
 
 「そうなんだ。良かったじゃん。きっと似合うだろうな、雪乃に」
 
 「とても嬉しかったです。思わず泣いてしまいました…」
 
 雪乃はまた目に涙を滲ませて、悠一朗にバレないよう、近くにあったティッシュでそっと涙を拭った。
 
 「母さんの気持ちを大事にしてくれたら、俺も嬉しいよ」
 
 悠一朗の優しい声に、また泣きそうになる。「はい…」という声が、どうしても震えてしまった。
 
 「雪乃、今日はもう寝よう。また明日連絡する」
 
 悠一朗の少し疲れているような声が、耳を通り抜ける。少し心配しながらも、お互い『おやすみ』と伝え合い、雪乃は静かに電話を切った。
 
 (大丈夫かな…悠一朗さん。疲れてるのに、電話をくれたり、声が聞きたいなんて言ったり、わざと私に気を遣ってたりするのかな…)
 
 雪乃はそんなことを思いながら、テレビ台の横に置いてある二人で写った結婚式の写真立てを眺めた。
 
 
 寝る準備を整え、雪乃は着物と一緒に入っていた鶴折形の手紙を持って、寝室へ向かった。
 ベッドに入り、鶴の折り目を破れないよう丁寧に解き、折り紙を戻すように一枚の紙にしていく。万里子の達筆な文字が見えはじめると、雪乃は何故か緊張してしまい、早くなる鼓動を抑えようと深呼吸を繰り返した。
 そして一呼吸おいて、一つ一つ心の中で読み上げた。
 
 
 ◯
 拝啓
 悠一朗のお嫁さんへ
 
 初めまして。悠一朗の母•万里子と申します。
 この度は、ご結婚おめでとうございます。
 直接お祝いできないことをどうかお許しください。
 
 小さな悠一朗を残し、この世を去らなければならないことが本当に悲しく、日々、命の燈が小さくなっていくのを感じはじめ、筆を握れるうちにこの手紙をしたためました。
 残りわずかな時間で何を残せるだろうかと考え、悩みに悩み、お嫁さんのあなたにはお着物を贈りたいという思いに至りました。
 ほんの軽い気持ちで受け取っていただけたら嬉しいです。 (着物のことが分からなければ、紫乃に聞いてみてください。きっと色々と教えてくれるはずです)

 田上家に嫁いで、辛い日々を過ごしていると思います。私も嫁いだ当時は随分と苦労しました。本来ならば、姑の私が担わなければならない事を、あなたに全て担わせてしまっていると思うと胸が痛みます。しばらくの間、心を痛めてしまうことがあるかもしれませんが、人は必ずあなたの良さに気づき、自然と認めていきますから、どうかあなたらしさを失わず、日々を過ごしてください。あなたならきっと大丈夫です。
 
 そして、悠一朗のことを少しだけ…。
 幼い頃から内気な子で、あまり感情を表に出すような子ではありませんでした。それ故、自分の中で何でも溜め込んでしまい、心に傷を負ったまま、大人になってしまったかもしれません。
 悠一朗のことを側で支えてもらいたいのは勿論ですが、一番の良き話し相手になってもらえたらと思うのです。口数が少ない分、誤解も多く、時間がかかるかもしれませんが、二人だけの良い絆を深めていってもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします。
 
 追記
 もし生まれ変わることができるのなら、もう一度悠一朗の母になって、今度はちゃんと長生きして、二人の門出をこの目で祝い、あなたと一緒に食事をしたり、買い物をしたり、旅行に行ったり、そんな人生を歩みたいと思います。
 
 あなたに会える世界線を願って 万里子

 ◯
 

 (幼い悠一朗さんを置いていかなきゃならないなんて、どれだけお辛かっただろう…。きっとこの時も、無理をされてこの手紙を書いてくださったんだろうな…)
 
 「あぁ…」と目に涙を滲ませて、溜め息を漏らしながら、雪乃は仰向けになって万里子の手紙で顔全体を覆った。
 
 「私もお母様にお会いしたいです…。会って、一緒に食事したいです。買い物したり旅行したりしましょうよ…」
 
 雪乃は存分に万里子の思いに浸たり、田上家の嫁として強くなることと、悠一朗とちゃんと向き合い、お互いの気持ちを尊重できる夫婦を目指そうと誓った。
 
 
 ◇◇◇
 
 
 一週間が経った週末の夕暮れ時、悠一朗は無事新潟から帰ってきた。安堵感が滲み出ている様子から、商談が上手くいったのだろうと、雪乃は察した。
 
 「お疲れさまでしたね。何か飲みますか?」
 
 「そうだな、ビールでも飲もうかな。一緒に飲む?」
 
 「じゃ…、少しだけ」
 
 雪乃は冷蔵庫から冷えた缶ビールとグラスを二つ取り出し、ソファーに座っている悠一朗の元へ持っていった。グラスに注いだ缶ビールを悠一朗に渡し、雪乃もソファーへ腰をかけた。
 
 「乾杯」
 
 グラスの鳴る音が静かなリビングに響く。悠一朗は勢いよくグラスの中身を飲み干し、雪乃も一口、二口と喉の奥へ流し込んだ。
 
 「寂しかった?」
 
 「い、いや、そんな…。わ、私は大丈夫です」
 
 「そうか。寂しくなかったんだ…。俺は寂しかったけど」
 
 悠一朗はグラスに追加の缶ビールを注ぎながら、チラリと雪乃を見る。目が合い、久しぶりに会う悠一朗にどう接していいか分からない様子で、雪乃はまた少量のビールを口に含んだ。
 
 「話さなきゃなんねーよな。こないだの続き」
 
 雪乃は思い出したかのように、コクっと頷きながら悠一朗の方へ顔を向けた。悠一朗はグラスの一点を見つめながら、申し訳なさそうに口を開いた。
 
 「他の女とキスしたことは謝る。本当に申し訳なかった…。どんな理由があろうと、していいことじゃなかった。隠してた訳じゃないけど…、知らなくていいことってあるから、言う必要はないかなって思って言わなかった…。でもそれが、結果として雪乃を傷つけてしまったから…それも謝る。ただ、これだけは言わせてくれ。俺からは絶対していない。相手からの不意打ちで、かわせられなかっただけなんだ…」
 
 今更何を言っても、言い訳に聞こえてしまう。そんな言葉しか言えない悠一朗を、雪乃は優しく見つめた。
 雪乃をチラッと見たあと、悠一朗はまた申し訳なさそうに続ける。
 
 「そいつ、由真っていうんだけど…同級生なんだ。昔から何度も好意を寄せられてて、断ってんのにしつこく付き纏ってくるから、俺の連れたちの間でも手を焼いていた。あの日、たまたま店で出会しちまって、結婚を報告したら、俺に「何で?」って泣き散らすは、町で怒鳴り散らすはで、終いには「家まで送って」の一点張りで手に負えなかったんだ…。雪乃に写真を送った人?も何事かと思ったんだろうな。撮られてもおかしくない状況だった」
 
 「綾美の旦那さんが近くに居たみたいで…。綾美経由で写真が…」
 
 「斗真か…。斗真の奥さんにも心配かけたな。すまない。もう、あいつには付き纏うなって伝えたし、雪乃にも会わないでくれって伝えたから、しばらくは何もしてこねーと思う。でも、またなんかされたら今度はすぐに言ってくれ」
 
 「…分かりました」
 
 これを機に、今後は誰とどこで会うのか、お互いにちゃんと伝え合うことを約束した。
 そして雪乃は本題である、もう一つの気になっていることを悠一朗に尋ねた。
 
 「悠一朗さんの過去を詮索したいとは思わないんですが…、どうしても気になってしまって…。その…、由妃さんって方は…どういう存在なんでしょうか?」
 
 「あぁ…由妃か…。昔、片思いしてた人で、結婚したいと思ってた人」
 
 悠一朗の返答に、雪乃は胸が少しぎゅーっと縮むような痛みを感じた。悠一朗自ら結婚したいと思った女性。自分には到底足元にも及ばない方なんだろうと、雪乃は何とも言えない気持ちになった。グラスの一点を見つめたまま、雪乃は尋ねた。
 
 「悠一朗さん、今でもその方のことが気になりますか…?」
 
 「…そんな風に見える?」
 
 悠一朗は切なそうに雪乃を見つめる。雪乃は、チラッと悠一朗を見てはすぐに目を逸らし、俯きながら問いかけた。
 
 「無理…していませんか…?」
 
 「してないよ…」
 
 「もし、してるのなら…私は悠一朗さんの気持ちを尊重したいので、気持ちが私に向くまで…離れ…っ」
 
 悠一朗は勢いよく雪乃の頭を引き寄せて、それ以上の言葉を言わせないよう、口を塞ぐかのようにキツく口づけをした。雪乃の呼吸が止まり、目を開けたまま悠一朗の顔を見る。ゆっくり唇が離れ、閉じていた悠一朗の小刻みに揺れる瞳を見つめた。
 
 「それ以上言うな…。俺は絶対、雪乃から離れない」
 
 「…でもっ」
 
 「由妃のことなんて、今更どうでもいい。もう昔の話だ。今はちゃんと、雪乃と向き合いたいんだ…。こんな俺じゃダメか?」
 
 悠一朗に両手を掴まれた雪乃は、何の抵抗もせず悠一朗にされるがまま悠一朗の膝の上に跨った。雪乃は解けた両手を胸の前でもじもじしながら、頬を朱色に染めて正直な思いを吐き出した。
 
 「ゆ、悠一朗さんがいいに決まってるじゃないですか…。私は悠一朗さんのことが、好きで好きで堪らないんです…。こんなに誰かを好きになったのは初めてで、だから…自分の気持ちを曝け出したら嫌われちゃうかなとか、どうしたら好きになってもらえるかなとか、色々考えちゃって…。この一週間だって、本当は凄く寂しくて、会いたくて会いたくて…ずっと…」
 
 雪乃はあまりの恥ずかしさに、悠一朗の右肩に顔を埋めた。好きな人に、ちゃんと好きと言えたのは初めてだった。悠一朗も雪乃を抱きしめながら、雪乃に聞こえるように答えた。
 
 「俺だって、雪乃のことが好きで好きで堪んないんだよ…。好きになってもらう?とっくに好きだっつーの。俺こそ、雪乃は俺のこと好きじゃないんじゃないかって思ってた。一緒に寝るの嫌だって言うし、なんかまだ敬語でどっか他所よそしいし…」
 
 「え…?」と雪乃は顔をゆっくり上げて、首を少し横に傾けた。「悠一朗さんは私のこと好きなんですか…?」と驚いたように尋ねる雪乃に、悠一朗は「はー」と何で分かんねーんだよと言いたげに、雪乃の胸元に顔を埋めた。雪乃はそんな悠一朗の耳元に口を近づけ、勇気を振り絞って囁いた。
 
 「…じゃ、一緒に寝る?悠一朗…」
 
 突然、雪乃から呼び捨てで話しかけられた悠一朗は、ハッと顔を上げ、照れくさそうに見つめてくる雪乃を、可愛い動物を愛でるような視線で見つめ返した。
 
 「や、やっぱダメですよね?呼び捨てなんて…。ご、ごめんなさい!」
 
 「いや、いいよ」
 
 悠一朗は慌てふためく雪乃の腰をぎゅっと抱き寄せ、雪乃の頭を後ろから優しく抱えて唇を軽く重ねた。それから悠一朗は、雪乃の耳から首筋にかけて唇を落とし、甘い声で囁いた。
 
 「…もう一回呼んで」
 
 「んっ…。ん、…ゆ、ゆういちろ…」
 
 「…ベッド行こうか」
 
 雪乃は耳を赤くしながらコクっと頷き、悠一朗にすっと横抱きされた。二人はこれから始まる蕩けるような甘い時間に胸を躍らせ、熱った体温のまま二階の寝室へ向かおうとしたその時だった。
 
 『ピンポーン』
 
 横抱きしていた雪乃を下ろし「誰だよ?」と悠一朗が血相を変えてインターホンの画面を見ると、別荘から数ヶ月ぶりに帰ってきた善一郎が映し出されていた。
 
 「おーい!一緒に食べんかー?美味しいもん買うてきたんや。雪ちゃんも連れて、こっちへこい」
 
 ブチギレ寸前な悠一朗を何とか宥め、雪乃は「あ、お父様!すぐ行きますね」と言ってインターホンを切った。
 
 「あの、クソジジイ…。早くくたばれ!」
 
 「まぁまぁ、行きましょう。ね?」
 
 「またお預けかよ…」
 
 良い感じの雰囲気を見事に壊されたが、お互いの気持ちを確かめ合うことができて、雪乃の不安だった気持ちは、土砂降りの雨が止んだように晴れた。
 「あー、もー、本当うぜー」と嘆く悠一朗に、雪乃はクスクスと笑いながら二人は仲良く手を繋いで、善一郎のいる母屋まで歩いていった。
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