金六花恋ひ物語
3.田上酒造
3.田上酒造
茶屋町の奥側、四区に歩みを進めると、何やら観光客で賑わいを見せている店がある。
『ねぇ、ここ、SNSで有名なお酒飲めるとこだよね〜』
『地酒だって』
『梅酒の飲み比べとかしてみたぁ〜い』
『ねぇ、あそこにいるお兄さん、SNSに載ってた人だよね?めっちゃカッコよくない?』
『え、やばっ。早く、中入ろーよ』
店頭にいるだけで、年齢問わず観光客から黄色い声を浴びせられる。立っているだけで、自然と客が寄ってくる国宝級の男。〈酒造のイケメン若旦那〉という名で、勝手に若いスタッフがSNSに投稿した影響で、若旦那の悠一朗は一躍有名人になっていた。
「若旦那の人気、すげ〜っすね。やっぱSNSに投稿して良かったっすわ〜」
「勝手にやめてくれよ…」
法被を着たバイトの祐介(ゆうすけ)が、ニヤニヤしながらスマホをいじる。フォロワー数やべーっすから、と休憩から戻ってきたバイトの理(おさむ)も、話に加わる。
「そんなん、どーでもいいから、祐介も理もはよ酒売ってくれ」
悠一朗は、少し怪訝そうに言う。本当にどうでもよかった。客が来てくれるのは有り難いことだが、仕事に支障をきたすのは他の従業員に迷惑がかかる。悠一朗は「はぁ…」と溜め息を吐きながら、酒造場に繋がる裏庭に出た。
「若旦那、また溜め息ついてますよー」
「あぁ。すまない…」
裏の酒造場で代師(だいし=麹造りの責任者)を務める、年上の倉田に突かれる。
「まぁ、売り上げいいっすから、いいじゃないっすか〜」
もと廻り(=酒母製造工程の責任者)を務める橋枝も、煙草をふかしながら、倉田の後に続けた。
「売り上げがいいのは、皆さんのお陰っすよ。俺じゃない」
そう言って、悠一朗も煙草に火をつけた。
蔵人たちは、何故か喫煙者が多い。酒造場はもちろん禁煙だが、杜氏である社長の善一朗も愛煙家なので、裏庭を喫煙所として解放している。
吟醸酒造りの最盛期が終わり、甑倒しと言われるその年の最後のもろみの仕込みを終わらせる時期に入った田上酒造は、時の流れが少し緩やかになっている。蔵人たちは、少し手が開く時間があり、こうして談笑を楽しんでいた。
店頭は相変わらず忙しく、地酒はもちろん、他の酒造メーカーから取り寄せている数種類の酒も販売していて、田上酒造でしか買えない限定品も数多く存在している。それを目掛けてやってくる顧客や、取引先が増えたことで、田上酒造は一つの製造メーカーとして、この地位に上り詰めた。
悠一朗の経営センスはズバ抜けて高く、この町屋で地酒の飲み比べを始めたのも、悠一朗の名案だった。やれることはやる。そういうスタンスだ。
「そろそろ新しい酒を考案したいんだが…」
「おおっ!マヂっすか。どんなんにします?」
「ん…。まだ何も思いついてない」
「頭の若旦那も、いずれは杜氏(とうじ)ですからね」
「まぁ…。親父にばっか頼ってらんねーんで。色々やんないと」
悠一朗は、珍しく気怠く椅子に座り、煙草の煙を上に向かって吐き出した。
「それより若旦那、そろそろ嫁さん迎えたらどうっすか?」
「最近みんなに言われる…」
「いないんすか?」
「いない…」
突拍子もないことを倉田に言われたが、あちこちから「夕食まだ?」と言われるレベルで結婚を聞かれる悠一朗は、全く以て冷静だった。
代々続く商いに嫁ぐ女は、苦労が伴う。
酒のことはもちろん、付き合いを覚えることや、何かにつけて「田上酒造の…」と見られることも多い。
お見合いという名の縁談も年々増え、色んな女性を見るも、気品・寛容・忍耐力を兼ね揃えた女性には、未だ出会えていない。
それに…。
「まぁ、後継者問題もあるし、良い人がいたら…っすね」
悠一朗は、煙草の火を思考と共に消しながら、適当に当たり障りのない返事を返した。
締め事務作業を終え、スタッフたちを見送り、酒造の裏手にある、母屋と離れがある自宅の敷地に戻った悠一朗は、お手伝いの凛子とウメの所に顔を出し、生活基準を置いている、新築一軒家の離れに帰った。
悠一朗はすぐに風呂に入り、バスタオルを首にかけたまま、一階のリビングに置いてあるL字のソファーにドスッと寝そべった。ポケットからスマホを取り出し、悠一朗は「はー」と息を吐きながら、田上酒造のSNSを開いた。
(フォロワー数ね…。そんなすげーのかよ…)
九千人。これが凄い数字なのか、SNSに疎い悠一朗には分からなかった。画面をスクロールしながら、コメント欄を見る。そこには、酒についてのレビューや、スタッフに対する嬉しい言葉が沢山綴られていた。少しだけ顔が緩むが、一番見たくないレビューに目が留まり、また口元が下がる。
〈若旦那さまがカッコ良かったです〉
〈酔いながらずっと眺めてました〜〉
〈若旦那様宛にDM送りました♡〉
〈若旦那さまと結婚したい…〉
カシャ、と勢いよくスマホのサイドボタンを押して、悠一朗はソファーの横にスマホを放り投げた。
寄って集って色を出してくる、こういう女が大嫌いだった。
現実を見ず、浮かれた妄想を平気で表に出そうとする女が…。
(結婚も女もうんざりだ…)
むしゃくしゃした気持ちで、顔を伏せていると、家のインターホンが鳴った。
悠一朗は気怠く這い上がり、玄関のドアを開ける。
「何?」
「ちょっといいか?」
ズカズカと音を立てながら、浴衣を羽織った善一朗が家の玄関に入ってくる。
「まぁまぁ、座れ」
「……」
善一朗はソファーに深く腰をかけ、悠一朗は斜め向かいに座った。ゴッホンと詰まるような咳をした後、善一朗が口を開く。
「最後の縁談の話がある…」
「……」
「町屋の一区にある長谷川庵、分かるだろ?」
「……」
「そこのお嬢さんとの縁談だ」
「……」
「どうする?」
「…どうするって、もう決まってんだろ?」
察しがいいな、お前は〜、と善一朗はガハガハと笑う。
仏頂面の悠一朗は、額に手を乗せ「はぁ…」と俯いた。
「再来週の水曜日、料亭のすずしま屋で顔合わせだ」
悠一朗は何も言わず、俯いたまま静かに頷いた。
「気になるなら見に行ってこい」
「…いや、いい」
「そうか。ワシは割といいと思うんだがなぁ〜」
善一朗はよっこらせと言って、ソファーから重い腰を上げた。
俺からの縁談はこれで最後だ…、と重量感のある声が、脳天から降りてくる。悠一朗は何も言わず、床の一点を見続けた。
玄関の扉がガチャンと閉まる。
その音が、やけに大きく聞こえたのは気のせいだろうか…。
悠一朗は、顔を上げて大きく息を吐きながら、虚な目で天井を仰いだ。
◇◇◇
「はぁっ?田上酒造のご子息とお見合い?私が?」
「そうだ!こんなチャンスねーぞ?」
「何かの手違いじゃなくて?」
浮かれた順一の話を聞くと、先日、善一朗が長谷川庵に立ち寄った際、接客している雪乃の姿を見て、順一に話を持ちかけたらしい。倅の嫁にしてくれないか、と。
「姉ちゃん、悠一朗さん知ってる?クソカッコいいよ」
「カッコイイ人だとは知ってるけど…。話したことないし…」
そういう噂で持ちきりなのは知っていたが、雲の上のような存在の人と縁談なんて、青天の霹靂だった。
「もう、姉ちゃんいい歳なんだし、早くお嫁に行かないと。マヂでこんなチャンスねーって」
旬が真剣な眼差しで顔を覗かせてくる。
「だとしても…ちょっと待ってよ…」
「お着物の用意しなきゃね〜、うふふ」
雪乃の言葉など聞く耳を持たず、由美子はカレンダーを捲りながら、順一と話す。
「もぉ〜、お母さんまで…」
「いいじ〜。縁談があるってのは〜。俺には何もなかったからなぁ〜」
そう言って叔父の守は、ニコニコしながら大人しく茶を啜っている。
「田上酒造かぁ…。何かご縁がありそうだね〜」
「いやぁ〜、あって欲しいよ俺は。悠一朗さんを、お兄さんって呼びたーい」
旬は思わず口から飛び出た涎を啜った。
「いいね〜それ」と守も旬の言葉に便乗する。
(そんな上手くいくわけないって…)
浮かれた家族を見ながら、雪乃は思った。
ただ、もう何を言っても、聞き入れてはもらえないだろう…。
それに、嬉しそうに笑う順一の顔を見たら、嫌だとは言えなかった。雪乃は仕方なく、家族に促されるまま、悠一朗との顔合わせを受け入れることにした。
翌日。
雪乃は、配達ついでに苺大福を持って、綾美のいる福原呉服店を尋ねた。昨日、勝手に決まった縁談の話を、綾美に話さねば…と思っていた。
「マヂ〜?あのイケメン若旦那と?やったじ〜!」
お客さんの帯を畳みながら、綾美はキラキラと目を光らせる。
「悠一朗先輩も、本腰入れ始めたのかな?今までモテすぎて、特定の女性はいなかったはず。はい。雪ちゃん、お茶どうぞ〜」
雪乃は、ペコっと頭を下げる。
熱いお茶と、差し入れた苺大福を皿に分けて持ってきてくれたのは、綾美の夫・斗真だった。両親がいない斗真は、福原家に婿養子として入った。賑やかな福原家の生活は愉しいらしく、親子関係も円満だそうだ。綾美の母・美幸も仕立てをしながら、嬉しそうに続ける。
「私もお相手がいるとは聞いたことないわいね〜。でも、この雪ちゃんがね〜、田上さんとこの坊ちゃんと。いいじゃな〜い。お似合いよ〜」
「いやぁ…綾美ママ。そんなことないですって…。田上さんが、どんな方か分かんないですし…、それに、そんな素敵な方と、私は色んな意味で釣り合わないと思います…」
「何言ってんのよ?あんたどんだけいい女か分かってんのーっ?」
綾美が雪乃の肩をポンっと叩いた。着物の似合う女はそういないの、と雪乃の歪んだ帯紐を整える。
「不安かもしれないけど、会ってみたらいいじゃん。もしかしたら、良い人かもしれないし〜、ご縁がないと思ったんなら断ればいいし。ね?」
雪乃は「そうかな…」と言いながら、出してもらった茶を啜る。綾美と斗真は「おいひぃ〜」と言いながら、仲睦まじく長谷川庵の苺大福を頬張っていた。
「雪ちゃんのお母さんからお電話いただいてるから、お着物の仕立ては私たちに任せてちょーだい!」
綾美の母は、袖から腕を伸ばし、拳を掲げた。
そんなやる気満々な綾美の母を見てしまった雪乃は、目尻を下げながら、苦笑いするしかなかった━︎━︎。
茶屋町の奥側、四区に歩みを進めると、何やら観光客で賑わいを見せている店がある。
『ねぇ、ここ、SNSで有名なお酒飲めるとこだよね〜』
『地酒だって』
『梅酒の飲み比べとかしてみたぁ〜い』
『ねぇ、あそこにいるお兄さん、SNSに載ってた人だよね?めっちゃカッコよくない?』
『え、やばっ。早く、中入ろーよ』
店頭にいるだけで、年齢問わず観光客から黄色い声を浴びせられる。立っているだけで、自然と客が寄ってくる国宝級の男。〈酒造のイケメン若旦那〉という名で、勝手に若いスタッフがSNSに投稿した影響で、若旦那の悠一朗は一躍有名人になっていた。
「若旦那の人気、すげ〜っすね。やっぱSNSに投稿して良かったっすわ〜」
「勝手にやめてくれよ…」
法被を着たバイトの祐介(ゆうすけ)が、ニヤニヤしながらスマホをいじる。フォロワー数やべーっすから、と休憩から戻ってきたバイトの理(おさむ)も、話に加わる。
「そんなん、どーでもいいから、祐介も理もはよ酒売ってくれ」
悠一朗は、少し怪訝そうに言う。本当にどうでもよかった。客が来てくれるのは有り難いことだが、仕事に支障をきたすのは他の従業員に迷惑がかかる。悠一朗は「はぁ…」と溜め息を吐きながら、酒造場に繋がる裏庭に出た。
「若旦那、また溜め息ついてますよー」
「あぁ。すまない…」
裏の酒造場で代師(だいし=麹造りの責任者)を務める、年上の倉田に突かれる。
「まぁ、売り上げいいっすから、いいじゃないっすか〜」
もと廻り(=酒母製造工程の責任者)を務める橋枝も、煙草をふかしながら、倉田の後に続けた。
「売り上げがいいのは、皆さんのお陰っすよ。俺じゃない」
そう言って、悠一朗も煙草に火をつけた。
蔵人たちは、何故か喫煙者が多い。酒造場はもちろん禁煙だが、杜氏である社長の善一朗も愛煙家なので、裏庭を喫煙所として解放している。
吟醸酒造りの最盛期が終わり、甑倒しと言われるその年の最後のもろみの仕込みを終わらせる時期に入った田上酒造は、時の流れが少し緩やかになっている。蔵人たちは、少し手が開く時間があり、こうして談笑を楽しんでいた。
店頭は相変わらず忙しく、地酒はもちろん、他の酒造メーカーから取り寄せている数種類の酒も販売していて、田上酒造でしか買えない限定品も数多く存在している。それを目掛けてやってくる顧客や、取引先が増えたことで、田上酒造は一つの製造メーカーとして、この地位に上り詰めた。
悠一朗の経営センスはズバ抜けて高く、この町屋で地酒の飲み比べを始めたのも、悠一朗の名案だった。やれることはやる。そういうスタンスだ。
「そろそろ新しい酒を考案したいんだが…」
「おおっ!マヂっすか。どんなんにします?」
「ん…。まだ何も思いついてない」
「頭の若旦那も、いずれは杜氏(とうじ)ですからね」
「まぁ…。親父にばっか頼ってらんねーんで。色々やんないと」
悠一朗は、珍しく気怠く椅子に座り、煙草の煙を上に向かって吐き出した。
「それより若旦那、そろそろ嫁さん迎えたらどうっすか?」
「最近みんなに言われる…」
「いないんすか?」
「いない…」
突拍子もないことを倉田に言われたが、あちこちから「夕食まだ?」と言われるレベルで結婚を聞かれる悠一朗は、全く以て冷静だった。
代々続く商いに嫁ぐ女は、苦労が伴う。
酒のことはもちろん、付き合いを覚えることや、何かにつけて「田上酒造の…」と見られることも多い。
お見合いという名の縁談も年々増え、色んな女性を見るも、気品・寛容・忍耐力を兼ね揃えた女性には、未だ出会えていない。
それに…。
「まぁ、後継者問題もあるし、良い人がいたら…っすね」
悠一朗は、煙草の火を思考と共に消しながら、適当に当たり障りのない返事を返した。
締め事務作業を終え、スタッフたちを見送り、酒造の裏手にある、母屋と離れがある自宅の敷地に戻った悠一朗は、お手伝いの凛子とウメの所に顔を出し、生活基準を置いている、新築一軒家の離れに帰った。
悠一朗はすぐに風呂に入り、バスタオルを首にかけたまま、一階のリビングに置いてあるL字のソファーにドスッと寝そべった。ポケットからスマホを取り出し、悠一朗は「はー」と息を吐きながら、田上酒造のSNSを開いた。
(フォロワー数ね…。そんなすげーのかよ…)
九千人。これが凄い数字なのか、SNSに疎い悠一朗には分からなかった。画面をスクロールしながら、コメント欄を見る。そこには、酒についてのレビューや、スタッフに対する嬉しい言葉が沢山綴られていた。少しだけ顔が緩むが、一番見たくないレビューに目が留まり、また口元が下がる。
〈若旦那さまがカッコ良かったです〉
〈酔いながらずっと眺めてました〜〉
〈若旦那様宛にDM送りました♡〉
〈若旦那さまと結婚したい…〉
カシャ、と勢いよくスマホのサイドボタンを押して、悠一朗はソファーの横にスマホを放り投げた。
寄って集って色を出してくる、こういう女が大嫌いだった。
現実を見ず、浮かれた妄想を平気で表に出そうとする女が…。
(結婚も女もうんざりだ…)
むしゃくしゃした気持ちで、顔を伏せていると、家のインターホンが鳴った。
悠一朗は気怠く這い上がり、玄関のドアを開ける。
「何?」
「ちょっといいか?」
ズカズカと音を立てながら、浴衣を羽織った善一朗が家の玄関に入ってくる。
「まぁまぁ、座れ」
「……」
善一朗はソファーに深く腰をかけ、悠一朗は斜め向かいに座った。ゴッホンと詰まるような咳をした後、善一朗が口を開く。
「最後の縁談の話がある…」
「……」
「町屋の一区にある長谷川庵、分かるだろ?」
「……」
「そこのお嬢さんとの縁談だ」
「……」
「どうする?」
「…どうするって、もう決まってんだろ?」
察しがいいな、お前は〜、と善一朗はガハガハと笑う。
仏頂面の悠一朗は、額に手を乗せ「はぁ…」と俯いた。
「再来週の水曜日、料亭のすずしま屋で顔合わせだ」
悠一朗は何も言わず、俯いたまま静かに頷いた。
「気になるなら見に行ってこい」
「…いや、いい」
「そうか。ワシは割といいと思うんだがなぁ〜」
善一朗はよっこらせと言って、ソファーから重い腰を上げた。
俺からの縁談はこれで最後だ…、と重量感のある声が、脳天から降りてくる。悠一朗は何も言わず、床の一点を見続けた。
玄関の扉がガチャンと閉まる。
その音が、やけに大きく聞こえたのは気のせいだろうか…。
悠一朗は、顔を上げて大きく息を吐きながら、虚な目で天井を仰いだ。
◇◇◇
「はぁっ?田上酒造のご子息とお見合い?私が?」
「そうだ!こんなチャンスねーぞ?」
「何かの手違いじゃなくて?」
浮かれた順一の話を聞くと、先日、善一朗が長谷川庵に立ち寄った際、接客している雪乃の姿を見て、順一に話を持ちかけたらしい。倅の嫁にしてくれないか、と。
「姉ちゃん、悠一朗さん知ってる?クソカッコいいよ」
「カッコイイ人だとは知ってるけど…。話したことないし…」
そういう噂で持ちきりなのは知っていたが、雲の上のような存在の人と縁談なんて、青天の霹靂だった。
「もう、姉ちゃんいい歳なんだし、早くお嫁に行かないと。マヂでこんなチャンスねーって」
旬が真剣な眼差しで顔を覗かせてくる。
「だとしても…ちょっと待ってよ…」
「お着物の用意しなきゃね〜、うふふ」
雪乃の言葉など聞く耳を持たず、由美子はカレンダーを捲りながら、順一と話す。
「もぉ〜、お母さんまで…」
「いいじ〜。縁談があるってのは〜。俺には何もなかったからなぁ〜」
そう言って叔父の守は、ニコニコしながら大人しく茶を啜っている。
「田上酒造かぁ…。何かご縁がありそうだね〜」
「いやぁ〜、あって欲しいよ俺は。悠一朗さんを、お兄さんって呼びたーい」
旬は思わず口から飛び出た涎を啜った。
「いいね〜それ」と守も旬の言葉に便乗する。
(そんな上手くいくわけないって…)
浮かれた家族を見ながら、雪乃は思った。
ただ、もう何を言っても、聞き入れてはもらえないだろう…。
それに、嬉しそうに笑う順一の顔を見たら、嫌だとは言えなかった。雪乃は仕方なく、家族に促されるまま、悠一朗との顔合わせを受け入れることにした。
翌日。
雪乃は、配達ついでに苺大福を持って、綾美のいる福原呉服店を尋ねた。昨日、勝手に決まった縁談の話を、綾美に話さねば…と思っていた。
「マヂ〜?あのイケメン若旦那と?やったじ〜!」
お客さんの帯を畳みながら、綾美はキラキラと目を光らせる。
「悠一朗先輩も、本腰入れ始めたのかな?今までモテすぎて、特定の女性はいなかったはず。はい。雪ちゃん、お茶どうぞ〜」
雪乃は、ペコっと頭を下げる。
熱いお茶と、差し入れた苺大福を皿に分けて持ってきてくれたのは、綾美の夫・斗真だった。両親がいない斗真は、福原家に婿養子として入った。賑やかな福原家の生活は愉しいらしく、親子関係も円満だそうだ。綾美の母・美幸も仕立てをしながら、嬉しそうに続ける。
「私もお相手がいるとは聞いたことないわいね〜。でも、この雪ちゃんがね〜、田上さんとこの坊ちゃんと。いいじゃな〜い。お似合いよ〜」
「いやぁ…綾美ママ。そんなことないですって…。田上さんが、どんな方か分かんないですし…、それに、そんな素敵な方と、私は色んな意味で釣り合わないと思います…」
「何言ってんのよ?あんたどんだけいい女か分かってんのーっ?」
綾美が雪乃の肩をポンっと叩いた。着物の似合う女はそういないの、と雪乃の歪んだ帯紐を整える。
「不安かもしれないけど、会ってみたらいいじゃん。もしかしたら、良い人かもしれないし〜、ご縁がないと思ったんなら断ればいいし。ね?」
雪乃は「そうかな…」と言いながら、出してもらった茶を啜る。綾美と斗真は「おいひぃ〜」と言いながら、仲睦まじく長谷川庵の苺大福を頬張っていた。
「雪ちゃんのお母さんからお電話いただいてるから、お着物の仕立ては私たちに任せてちょーだい!」
綾美の母は、袖から腕を伸ばし、拳を掲げた。
そんなやる気満々な綾美の母を見てしまった雪乃は、目尻を下げながら、苦笑いするしかなかった━︎━︎。