金六花恋ひ物語

5.紫丁香花

5.紫丁香花
 
 あれから毎日、何だかんだ悠一朗と連絡を取り合っている。 「おはよう」「おやすみ」は毎日欠かさず、悠一朗から届く。恋愛経験の浅い雪乃は、そんな小さなやり取りですら乙女心をくすぐられてしまう。どうして縁談を受け入れてくれたのか、悠一朗の本心は未だ分からないのに…。
 
 雪乃は今日も、羊羹を若葉色に染めた青楓を持って、綾美のいる福原呉服店を訪ねていた。
 
 「雪乃ぉ〜!結婚決まったんやて?良かったや〜ん。もぉ〜嬉しすぎて、あたし飛び跳ねたよ」
 
 「めっちゃ、飛び跳ねてたよ、この人〜」
 
 綾美の夫・斗真が、そう言いながら淹れた茶を持ってくる。
 雪乃は斗真にペコっと頭を下げ、差し出された半月盆から茶を受け取る。
 
 「ありがとう。でもね、まだ全然お互いのこと知らないの。毎日、連絡は取ってるけど…」
 
 毎日連絡をくれることは嬉しい。でも、田上悠一朗という人がどんな人なのか、未だによく分からない。毎日のやり取りは、大体一日の報告みたいなもので〈今日は忙しかった〉とか〈今日は新作の会議だった〉とかばかりだ。悠一朗は今、新しい取引先との商談に追われているらしく、多忙を極めている。わがままに会いたいとは言えず、頑張ってくださいとしか雪乃は言えないでいた。スマホに映し出される言葉に、優しさはあまり感じない。やはり上辺だけの関係でしかないのだと、少しだけ胸が痛む。
 
 「雪乃?ゆきのぉー?」
 
 「はっ。ごめん…。ちょっと考え事してた…」
 
 入り込めず、表面だけを気にしてしまう癖がまた発動してしまったと、雪乃は帯びを触りながら思った。
 
 「いいじゃん。これから知っていけば。夫婦になって初めて知ることも多いんだよ。むしろそっちの方が、相手のことをより知れる気がするぅ〜」
 
 「そうなん?」
 
 「ねぇ?そうだよね?斗真」
 
 「うん。夫婦になると、知ることのできる範囲がより一層広がるんだよ。まぁ、嫌な部分もそれなりに見えてくるけど…あははっ。でも、雪ちゃんが不安になるほど、悠一朗先輩は悪い人じゃないから」
 
 斗真のニコッとした笑みに嘘はないだろう。雪乃は、そう思った。ふっと巾着に目を遣ると、スマホの画面が光っている。噂をすれば、悠一朗からのラインだった。
 
 〈今日の夜、連れの所に少し飲みに行ってくる〉
 
 「フフ、何?噂をすれば旦那さまからぁ〜?」
 
 「あぁ、うん。悠一朗さん。今日飲みに行ってくるって、ラインが…」
 
 「優しー。ちゃんとそうやって報告してくるところ、素敵やん。そうやって一つ一つ紡いでいくんだよ、信頼関係をね」
 
 雪乃は、綾美の言葉をすんなりと受け入れた。茶をご馳走になった後、雪乃は綾美と斗真にお礼を伝え、福原呉服店を後にした。
 帰り道、雪乃は立ち止まって悠一朗にラインを返す。
 
 〈私のことは気にせず、楽しんできてくださいね〉
 
 そう送ると、すぐに既読がつき
 
 〈ありがとう〉
 
 と返事が返ってきた。
 
 (悠一朗さんに、会いたいと言ったら重いかな…)
 
 雪乃はスマホを胸に当てて、鳥たちが飛び回る茜色の空を眺めた。
 
 
 ◇◇◇
 
 
 「はぁ?結婚するって?お前が?」
 
 「あぁ」
 
 「え?悠一朗、ガチで?」
 
 「うん」
 
 割烹ふじかわで、恭士ともう一人の親友・佐久間典臣(さくまのりおみ)と酒を交わしながら、悠一朗は二人に結婚の報告をした。
 
 「お相手、誰?俺ら知ってる人?」
 
 「長谷川庵の」
 
 「長谷川庵って、あの一区の和菓子屋の?」
 
 「あぁ」
 
 悠一朗は何の表情も変えず、チビチビと焼酎を煽りながら、典臣の質問に淡々と答える。
 
 「お前、女いなかったんじゃねーの?はい。佃煮と、佐久間んとこの漬物ー」
 
 「あぁ、ありがと。四月に、親父が縁談を持ってきた」
 
 悠一朗と典臣は、恭士からカウンター越しにお通しを受け取る。典臣の実家、漬物屋佐久間の高菜わさびが皿の上で光っている。
 
 「へぇー。やっぱ親父さんすげーな。長谷川庵のお嬢さん、結構人気だったんだぜ?うちの漬物屋に来る客が、どうやったら嫁にできるかーって、先日話してた」
 
 「そうなん?」
 
 悠一朗は少しだけ眉を上げた。まぁ、モテるだろうな…、と悠一朗は思った。容姿端麗で気品があり、着物が似合う麗しき女性。そんな整った女性が、この町屋に居たとは思えないほど、初対面の時は衝撃を受けた。町屋の男衆が狙うのも分かる。悠一朗は、焼酎の入ったグラスを傾けながら、雪乃と会った日のことを思い返していた。
 
 「お前さー、ずっとそういうの断ってきたじゃん。女も作んねーで。何でまた急に?」
 
 「そーそ。なんか理由でもあったん?」
 
 「……」
 
 「おい!なんか言えよ〜」
 
 「…今まで出会った女と違った。それに、断ったら後悔すると思ったから」
 
 そう言って悠一朗は、残り一口の焼酎を一気に飲み干した。悠一朗らしからぬ意外な発言に、恭士と典臣はポカンと口を開けている。
 
 「ん?何、おまえらのその顔」
 
 「ぶはははははっ。悠一朗が後悔とかすんだーと思って。女に興味ねーし、散々女を泣かしてきた奴がそんな事言うなんて〜、なぁ?恭士」
 
 「間違いねぇ。おまえらしくねーぞ。でも…。おまえ、隣町の由妃(ゆき)って子に想い寄せてたんじゃねーの?昔泣かせちゃったとか言ってた…」
 
 「……。もうあいつはこっちにいねーし、いつまででも考えてたって、しゃーねーじゃん。俺はもう、前に進むって決めたんだ」
 
 悠一朗は「おかわり」と言って、空のロックグラスを恭士に渡す。隣に座っていた典臣も黙ってグラスを差し出す。恭士は黙って二人分のおかわりを用意し始める。
 
 「そういえば、こないだ由真が来た」
 
 「うわ。出た」
 
 典臣は怪訝そうに恭士を見る。恭士も、苦虫を噛み潰したような顔で、嫌々話を始める。
 
 「悠ちゃん、結婚したりしないよね?って泣きそうな顔で言ってた。一応、幼なじみだし、変なことされる前に、ちゃんと本人に話した方がいいと思うぜ。はい、焼酎置いとくぞ」
 
 悠一朗は溜め息を吐く。できれば会いたくない。もう六回以上振っている女に今更何を話せと、悠一朗はカウンターに置かれた焼酎を手に取った。
 
 「まだあいつ、悠一朗に付き纏ってんの?」
 
 「いや、避けてるからそれはないけど…」
 
 蔑ろにしている訳ではないが、何度言っても伝わらない人間は何処にでもいる。会えばまた、由真は独りよがりな求愛を押し付けてくるだろう。それがもし、雪乃の目に触れたら…。そんなことを思うと、悠一朗はますます憂鬱になる。
 
 「ま、もう結婚決まったんだし、大丈夫っしょ?今日は、全部忘れて呑もうぜ!なっ?それに、聞かせてくれよぉ〜。長谷川庵のお嬢さんのハナシ〜」
 
 「やだよ」
 
 なんでだよぉ〜、と典臣が悠一朗の肩を揺らす。
 雪乃の話になったからだろうか。
 普段、酔っても顔に出ない悠一朗の顔が、少しだけ紅く染まっていた。
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