愛を秘めた外交官とのお見合い婚は甘くて熱くて焦れったい
「はい、どうぞ」

 小春さんにおしぼりを差し出されて、礼を言いながら受け取る。

「本当に、父がいつもすみません」

 俺が把握しているよりも、父は彼女に迷惑をかけているだろう。客として飲んでいる時間はともかく、それ以外で彼女の世話になるのは筋違いだ。

「いいえ。おじ様はお話が上手で、私も楽しんでいるんですよ。それに、こちらこそいつも遅い時間まで付き合わせてしまって申し訳ないです」

 小春さんが、手を左右に振りながら眉を下げる。
 お互いに父親のせいで大変だと、視線だけで通じ合ったと感じたのはおそらく気のせいではないだろう。

 働き者の小春さんは店の常連たちからも人気が高いようで、ちょっとした用で頻繁に呼ばれていた。それに対して彼女は、疲れた顔などいっさい見せずに明るい笑顔で対応する。
 
 正樹さんの絶品料理に豊富な日本酒。それに加えて明るい小春さんの存在。そのすべてが紅葉亭に必要なもので、多くの常連客を惹きつけているのだろうと感じた。

 かくいう自分もすでにそのひとりなのだと、自覚はある。この場所は、あまりにも居心地がよすぎた。

「千隼さん、これどうぞ。みんなには内緒ですよ」

 人差し指を唇の前で立てる様子が、年相応でかわいらしい。
 小春さんはたまに、周囲に知られないようにサービスだと料理を差し入れてくれるのだ。

「おじ様には、父がいつもお世話になっていますから」

 それはこちらの方だと否定するが、彼女は微笑みだけで受け流してしまう。
 直前の動作とは打って変わり、そのどこか大人びた笑みについドキリとさせられたのはここだけの話だ。

 明るく活発な小春さんだが、その言動はとにかくしっかりしている。母親を早くに亡くしているそうで、そうならざるを得なかったのだろうと、親しくなるうちに会話の中から察した。

「小春、これそっちのテーブルだ」

「はあい」

 父親である店主との関係はとにかく良好で、そんな親子を見ていれば父が羨ましく思うのも必然だったのだろう。

 迎えに呼び出されるのはおもしろくないものの、アットホームな雰囲気の紅葉亭へ行くのは嫌いじゃない。
 いつしか店を訪れる理由は父の迎えとしてではなく、自分が行きたいからだとすり替わっていた。

 しかし学業に仕事に忙しくなるにつれて、残念ながら紅葉亭から足が遠のいていった。
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