愛を秘めた外交官とのお見合い婚は甘くて熱くて焦れったい
 紅葉亭に行くならひとりでと、なんとなく決めていた。
 それでも、たまに部下に捕まってしまう日もある。

「一緒に連れて行ってくださいよ」

 俺の帰宅に目ざとく気づいて声をかけてきたのは、普段から目をかけている部下の櫛田だった。

「早く帰れる日ぐらい、同期で愚痴の言い合いでもしてこればいいだろう」

「いいえ。こんな日ぐらい、高辻さんの体験談をゆっくり聞きたいです」

 真面目なのか冗談なのか、人懐っこい櫛田はそう言いながら本当についてきてしまった。

「高辻さんが、元外交官の方が経営している店に通っているって聞きましたよ」

 外務省に在籍しいていた当時の正樹さんは、その人柄で問題を円滑に解決に導くことで有名だった。
 よい意味で人たらし。
 どんな気難しい相手でも気づけばその懐に入ってしまえるのは、あの人の能力のひとつだ。おかげで上層部にも気に入られ、唐突に退職を申し出たときは多くの人が引き留めに回ったらしい。

 周囲にどんなに惜しまれても、病に倒れた妻と不安になっている娘のサポートをしたいと、彼の意志は揺らがなかった。

 その頃を知っている年代の人たちは、今でも正樹さんに会うためにたまに紅葉亭に通っており、それは省内でも知られた話だった。

 自分も店へ行っているのを隠しているつもりはないが、なんとなく同年代の男を連れていくのは躊躇してしまう。
 それでも、来てしまったものは仕方がない。渋々、櫛田と共に紅葉亭の暖簾をくぐった。
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