宿り木カフェ
『君もわかっているように、この関係は長くは続かない。
周りも気がつくほど君は魅力的になってきているのだろう。
きっと君に想いを寄せる男だって現れているのかも知れない。
そして彼が離婚することはない。
なら、少しずつ、意識を外に向ける頃合いだ』
そうはっきりと言われ、急に、怖い、という感覚が襲ってくる。
『怖いかい?』
「・・・・・・はい」
『でも十分お互いに高めあえたはずだ。
もしも彼がそれを許さないのなら、それは筋違いだ。
彼は絶対、君を選ばないのだから』
どくん、と心臓が掴まれた。
そうだ、それをわかっていたはずなのに、もうかなり二人で過ごしていることで、時々忘れていなかっただろうか。
二人で会う時は、私が唯一になってほしいと。
それくらいは許されると思ったけれど、それはどんどん欲深くなっていくのだろうか。
「そろそろ、巣立ちの時なのでしょうか」
『少なくともどこかで巣立たないといけないね』
「リュウさんは相手にそう言われた時、寂しくないですか?」
『そうだなぁ。
寂しくない訳じゃ無いけど、僕は彼女たちに妻という位置は絶対にあげられないから、巣立つ様子が無いようならむしろ飛び立つように仕向けているからね。
その後の報告も彼女たちはしてくれるし、辛い時はいつでも声をかけるように言っている。
アフターケアという訳じゃ無いけど、一度可愛がった以上責任を持たないと』
「なんだか不倫なのに変な話ですね」
『確かにね』
「本当に奥さんにしたいと思った人はいませんか?
要求してきた人は?」
『どちらもないよ。
女の子を見る目には自信があるんだ。
というか人を見る目は自信があるよ。
こういう仕事で伸びているのもそういうのがあってこそだし』
「そんなリュウさんの一番になるなんて凄いですね、奥様」
『僕にはもったいないくらい素晴らしい女性だよ』
「でも不倫するんですね」
『そこに山があると登りたくなるじゃないか』
「意味が分からないです」
私が呆れた声で言うと、ほんとにね、と笑い声が聞こえた。
「彼が別れたくないと言ったらどうしよう。
いやそんなことないのかな」
思わず呟く。
面と向かってそんなことを言える自信はまだない。
それに、簡単に手を離されるのも寂しい気がする。
それは単に肉体関係だけ結べればそれで良かったと突きつけられる訳で。
『彼が本当に僕に似ているのならきっと寂しいながらも見送るし、その後仕事に影響させることもしないだろう。
でももし彼が君に不条理な執着をするのなら、そこまで夢中にさせた君の魅力を自分の中で褒めながら、目一杯振ってあげなさい』
とても優しい声でリュウさんはそう後押ししてくれた。
私はどうしたいだろう、どうされたいのだろう。
「まだ自分の中で怖い気持ちと戸惑いがあります」
『そうだろうね。
でもね、これはきっかけだと思えばいい。
巣立つ時を僕から聞くために出会ったのだと』
「・・・・・・元々は幼なじみを失った事が発端だったんですけどね」
『それは仕方ない、君がしたことの罰だ。
彼女だっておそらく傷ついただろう。
真面目で純潔に見える親友からそんな言葉を聞いたんだ。
自分の気持ちを一方的に理解して欲しいとぶつけてしまったのは、君が反省すべき点だね。
でも君は人としても女性としても彼に出会って成長出来た。
幼なじみのことはその分の経費だと思いなさい』
「・・・・・・はい」
リュウさんの言葉って凄い。
多くの女性が彼によって磨かれたのかと思うと、彼女たちが羨ましく思ってしまった。
『そろそろ時間だね』
「リュウさん」
『ん?』
「色々とありがとうございました。
リュウさんって彼女たちにとってリアル宿り木カフェみたいですね」
笑いながらそういうと、笑い声が聞こえてきた。
リュウさんの笑い声は優しくて、時に意地悪に聞こえて。
だけれど決して私を見下すこともなく、優しく寄り添ってくれた。
最後に彼が言った言葉も、全てが私への優しさ故だってわかる。
こんな凄い人に出会えたことも、きっと私は幸運だったのだろう。
『こちらのお客様にも、彼女たちにも喜んで貰えるスタッフでいられるように精進しなければ』
「ふふ。
私も頑張って巣立つ準備します」
『そうだね、まずは準備だ。
君が素敵な未婚の男性と出逢えることを祈っているよ』
「はい!リュウさんもほどほどに」
笑い声が聞こえる。
リュウさんの笑い声は大人だったり子供だったり、話していて本当に楽しかった。
『それはなんとも。
・・・・・・では、さようなら、素敵なお嬢さん」
「・・・・・・はい。
リュウさん、さようなら」
通話終了の表示がパソコンに出て、私はヘッドフォンを取り外した。
これは彼から巣立つための出会い。
私はきっと彼に包まれ、やっと大人の女性として自信を持って歩けるようにしてもらったのだろう。
怖いけど、少しずつ外の男性に目を向けていかなければならない。
彼の唯一の席に座ることが出来ない以上、私が選ぶ道は一つしか無いってわかっていた。
ただ、甘い時間に捕らわれてそこから抜け出す勇気が無かった。
そのきっかけを、宿り木カフェのリュウさんがくれたのだ。
私は、残りの少なくなったコーヒーのマグカップを持つと、一気に飲み干した。