宿り木カフェ
『お帰り、由香ちゃん』
「ただいま~」
9時のスタートと同時に、優しい声が私の耳に届く。
私はその声にホッとしてようやく力が抜けた。
本来ここではニックネームでも良いのだが、話すうちに本名で呼んで欲しくなって本名に変更した。
今ヘッドセットの向こうから聞こえる声の主は50代会社員の人で、奥さんを数年前交通事故で亡くしたのだと最初の自己紹介で聞いた。
子供はおらず、一人暮らしとの事だった。
この『宿り木カフェ』の利用には色々なルールがある。
①利用は一回30分を20回まで。
初回は30分自己紹介として無料分がついてくる。
20回以降の利用は新たな申請となり、同じスタッフを指名することは絶対に出来ない。
②お互いのプライベートな連絡先の交換、及び会う等のこのサイト以外での接触行為は禁止
あくまで一時やすらぐだけの場所、このカフェに、そしてスタッフに依存させないようにする為との事だった。
『さて、今日は会社で何かあったのかな?』
「え?わかるの?」
『うん。ただいま、の声の雰囲気が凹んでいる時のだった』
ははは、という笑い声に、私の心がほわっと温かくなる。
いまこの向こうには、私の事を心配してくれる人が居るなんて不思議だ。
会ったことも無い人なのに。
「昼休み、うちは同じ部署の女性全員でご飯を食べるんだけど、そこでお局さんが私のことを平和そうだの、苦労してないよね、とか一方的に言ってきて」
『それはまた、おつむの弱そうな女性だねぇ』
心底呆れたような声に思わず笑いがこみ上げた。
「自分は不幸、苦労してるってのをアピールするの。
でもノロケを言いたいんでしょ?って思う事も多くて」
『うん』
「私の事、何にも知らないのに。
不幸自慢なら私、あの会社の誰にも負けないと思う」
『不幸自慢大会か、殺伐としそうだなぁ』
だよねーと返し、私は続ける。
「私の事情を話したら、知らない人は絶対みんな引くと思うの。
別にどうして欲しいわけでも無ければ、同情が欲しいわけでも無いし。
暗い顔してても仕方ないから普通に振る舞ってるだけなのに、なんでこんな言われかたをしないといけないんだろう。
仕方なく話す時もあるけど、みんな聞かなきゃ良かったって顔するよ」
そうなのだ。
興味本位なのか、何があったのかとか、ご両親は?とかしつこく聞いてくる人がいる。
だから仕方なく事情を話したというのに、話してその後に広がる空気の重いこと。
そんな重い話を聞くつもりじゃなかった、そうなら話してくれなければ良かったのにと責任転嫁するような言葉すら言われたこともある。
別に私はあなた達に、何も望んではいないのに。