宿り木カフェ
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「聞きたかったのだけど」
次の予約はあまり日を開けず入れておいた。
忘れないうちに、私は先に切り出した。
『はい』
「専業主婦だったお母様のこと、今はどう思ってるの?」
すぐに言葉が返ってこなかった。
私は静かに待つ。
『母は未だに見つかってないって話はしましたよね?』
「えぇ」
『色々手続きが必要で大人の人達がまぁ勝手にと言うか、必要にかられてだとは思いますが、母の死亡届を既に出しています。
でも遺体を見たわけでも、葬式をした訳でもないのでどうも実感が無いんです。
だから』
言葉が途切れた。
少し、息を吐く声が届く。
心を必至に落ち着かせているのかも知れない。
『だから、こんなどうしようも無い子供が嫌になって失踪して、どっかで幸せに過ごしていたらいいな、なんて思います』
ぐっ、と胸が締め付けられた。
その声は、本音であるようで本音では無いという事を私に伝えた。
ずっとこの子は自分のせいだと思って責めてきたのだろう。
会いたいはずなのに、そんな風に言うこの子が溜まらなく痛々しい。
『今になれば、こんなどうしようもない子供なんて放って置いて、好きなことをしていてくれれば良かったのにと思います』
「大切な子供達がいるのに、母親が放っておける訳がないわ」
『でも子供を預けて仕事をしているお母さんなんて沢山いるじゃないですか』
なんだか彼はムキになっているように聞こえた。
「自分のせいでお母さんの人生を犠牲にしたと思っているのね?」
言葉が返ってこない。
そうだ、まだこの子は大学生。
それも大きな傷を背負った。
一見しっかりしているように見えて、親に素直に甘える事も出来なかったのだろう。
私からすればきっと反発していたことも甘えだと思うけれど、それは言うべきでは無いだろう。
「私がここを使い出した理由は知ってるわよね?」
『・・・・・・はい』
「ずっと子供達のために、夫のために必死に頑張って来たの。
それはきちんと出来ている母だったか、妻だったかと言えば違うと思う。
仕事をしながら、家族を介護しながら、それこそ病気を持ちながら必至に全てをこなしている方々からすれば、私なんて贅沢な立場だと思うし。
それでもね、辛いものは辛いのよ、情けないくらい。
趣味をしたらとか、外に出たらとか、それこそ隙間の時間に資格の勉強すればなんて言うけど、そんなエネルギー無いの。起きないの。
必至に人生を注ぎ込んでいた子供や夫から冷たくされると、自分の存在価値って何だったんだろうと思うのよ。
そうするしかなくて、目の前にあることをただひたすらにこなそうとしていたらこんな歳になって、急に怖くなったのよね」
情けない事を、ぼんやりと話す。
それも沢山の苦労をしたまだ大学生相手に。
一息つくために、湯飲みに入っている冷えたお茶を飲む。
「イチロウ君のお母さんじゃ私は無いから、もちろんお母さんの本当の気持ちなんてわからない。
でも、イチロウ君が大切だったのは間違いない。
医者になるために頑張っているけど、確かに過疎の問題を見たせいもあるのだろうけど、看護師だったお母様の事も影響しているんじゃない?」
少し間があった。
そしてちょっと軽い笑い声が聞こえた。
『さすがですね。
そうです、母の影響はあります。
被災した時思ったんですよ、沢山の看護師が避難所を回っていて、ただぼんやりと端っこで座っている自分より、母が看護師をしていたのならきっと多くの人の役に立って必要とされたのだろうなと。
自分の母親なんてやってるより、その方がきっと良かった』
「それは自分が産まれてこなかった方が良かったということ?」
『そう、ですね・・・・・・』
「そんな事を言われると母親としては悲しすぎるわ」
『なんか母から、貴方たちのために必死に頑張っているのに!というのがひしひしと押しつけられるのが嫌だったんですよ。
そんなに思うなら産まなきゃ良かっただろ!と何度思った事か』
思わず私が息を呑んだ。
そうだ、それは私もおそらくやっている事だ。
こんなにも人生を犠牲にして尽くしているのにと。