宿り木カフェ

「その言葉には耳が痛いわ。
それ、私もやってると思う。というかしてるわね」

苦笑いを浮かべる。
でもどうしてもそういう気持ちになる。
必至に尽くしている事に、酷い態度で返されれば悲しくもなるのは悪いことだろうか。

『だから、何か始めてみませんか?』

「看護師に復帰しろって話?
実はあの後参考書一冊だけ買ってきたんだけど、見事なくらい覚えていないのよ。
この歳から覚え直して、仕事なんて出来るのかって思うのよね」

『お子さんの手が離れだして、看護学校に入られる方も多いようですよ?』

「そうねぇ、それは本当に凄い事だと思うわ」

『僕は母親に、あなたのために必至に尽くしてるとされるよりは、放置気味でいいので好きな事をして欲しかったです』

「ようは恩着せがましいのが嫌なのね」

『まぁ、そうですけど』

思わず二人で笑う。

『明日誰も無事生きてる保証なんて無いですよね』

「そうよね・・・・・・」

『ならダメ元でも、ただの逃避だろうと、始めてみませんか?
国としても大喜びだと思いますよ?』

「国が大喜びってのは凄いわねぇ」

何だか一気にきな臭くなったけれど本当の事だ。

『気がつけば今回でカフェでの時間も終わりですね』

急にそう振られ、時間を見ればもう少しで終わりだった。
20回、1時間ですることもあったから、気がつけばあっという間だった。

「ごめんなさいね、初めての客が私で」

『何言ってるんですか!
まさか母と同じ元看護師の方とお話が出来るなんて思いませんでした』

「イチロウ君のお母様が引き合わせてくれたのかも知れないわね」

なんて良く言いそうな台詞。
しかし、なんとなく今回はそうなのかも、と思ってしまったのだ。

『だとすると、母はまだ心配してるんでしょうね』

苦笑いが聞こえる。

「あぁごめんなさい!
そういう意味じゃ無かったの」

『えぇ、わかってます。
でも心配していて欲しいな、とも思います』

「それは母親なら当然よ」

『・・・・・・そろそろ終了時間ですね。
初めてで色々と至らない点があったかと思いますがありがとうございました。
利用後にアンケートがありますのでどうぞ遠慮なく書いて下さい』

「遠慮なく書いて良いの?」

『・・・・・・出来ればあまり凹まない感じにしてもらえると』

真面目な声が聞こえて、私は笑ってしまった。

「『宿り木カフェ』、実は怪しいと思いつつ始めたけど、やって良かったわ。
やっぱり何か動いてみないとわからないものね」

それは本当に思えた。
ネットで男性と話す、それだけ聞けば怪しさしかない。 
いい歳してなんてことを始めたと思ったけれど、あの頃は本当に何でも良いからすがりたかったのだ。
よく考えれば、たまたま悪いものに引っかからなかっただけかもしれないけれど。

『そうですね。
僕もこれを始める時は、ずっと怒られ続けるとかならどうしようかと思ってました』

パソコン画面に残り時間がわずかだと静かに注意表示が出ている。

「色々とありがとう。
せっかくだから少しだけ前向きに看護師の勉強始めて見るわ。
イチロウ君も頑張って」


『少しだけって言うのずるいですよ。
はい、頑張ります。
もし医者と看護師としてお会いすることがあれば、よろしくお願いします』

そんなこと、あり得ないのはお互いわかっているけれど、彼なりのエールだとわかった。

「えぇ、元気でね」

『はい、失礼します』

少しだけ時間を残し、通話は終了した。

ヘッドフォンを置き、画面には『ご利用ありがとうございました。よろしければアンケートにご協力下さい』との表示。
私は笑ってアンケートのページに行くボタンをクリックした。


彼も今は希望に満ちていても、現実の凄まじさに心折れる日がくるかもしれない。
いや、彼は幼い頃に味わった大きな壁を今も必至に登っている。
きっと簡単に折れるなんて事は無いのだろう。
素晴らしい医師になって欲しいと、私はアンケートに書き込んだ。



私はその勢いを消してはいけないと、そのままネットでどう勉強し直すべきか検索した。
さすがに再度専門学校に行くお金もまとまった時間もない。
しかし思ったより、ブランクがあっても復帰するために支援する制度や勉強法が多く載っていて驚いた。
とりあえず勉強を軽くでもし直そう。
私は本屋に向かった。


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