氷の悪女の契約結婚~愛さない宣言されましたが、すぐに出て行って差し上げますのでご安心下さい~
アリスティードの恋人 05
レーネ侯爵邸にやってきてからのジャンヌは、就寝の準備をするとアリスティードの部屋に行き、朝まで彼と過ごすのが日課になっている。
いつも通り彼の部屋に向かったジャンヌは、ガウンの胸元に着けたブローチを彼に見せびらかした。
「見てよこれ。あの女から借りてきたの」
「……いつもネージュが着けているものだな」
「ええ。きっと凄く大事なものだと思うのよね」
ドレスの時は無反応だったネージュだが、ジャンヌがこのブローチに目を付けた瞬間わずかに動揺らしきものを見せた。
中央に埋め込まれたアクアマリンは、あの女の瞳の色と全く同じだし、あの様子から考えると、相当な思い入れがあるに違いない。
「少しためらう様子はあったんだけど、割と素直に手放したのよね。手応えがないと言うか……」
「……同情を引くのがあの女の手口なんだろ。気を付けろよ」
「そうかもしれないわね。アリスも気を付けて」
ジャンヌは彼に同意しながら焚きつけた。
一方で心の中では彼を嘲笑する。
(騙されてるのに全然気付かないんだもん)
ネージュよりもジャンヌの方が余程悪女だ。ある男と結託してアリスティードを騙し、ネージュを追い出そうとしているのだから。
『男』はネージュが欲しいからアリスティードが邪魔で、彼に思う存分ネージュの悪評を囁いた。
ジャンヌは、アリスティードがネージュに手を出さないように用意された『恋人役』である。
ネージュを穢れ切った毒婦だと信じているアリスティードは、偽の恋人を利用して、ネージュを追い出すこの計画に乗った。
男の嘘を信じ切って疑わず、ネージュを穢らわしいと蔑んで拒絶するのは、若さのせいだろうか。
(馬鹿だなぁ)
あんたが傍に置いてる私は娼婦だよ。
ジャンヌは心の中でつぶやいた。
お針子という触れ込みも嘘ではない。お針子だけでは生きていけなくて、街娼として小遣いを稼ぐうち、気が付いたらそっちが本業になっていた。
悪女と噂されているネージュだが、ジャンヌが見たところ、どうもそのような人物ではなさそうだ。
屋敷での生活は至れり尽くせりだし、世話係として付けてくれた侍女も、丁重にジャンヌを扱ってくれる。
『心の中では私を平民の卑しい女って馬鹿にしてるんでしょ!』
あまりにも不気味だったので、耐えかねて挑発したら――。
『ネージュ様のお気持ちを考えたらいかがなものかという気持ちは確かにございます。ですがアリスティード様のお立場になってみれば、致し方ないとも考えております。そして、ジャンヌ様が私を信頼できないお気持ちも理解できますが、ジャンヌ様を馬鹿になどしておりませんし、精一杯お仕えしたいと思っております。どうしても私がお嫌なら、ネージュ様にご相談なさって下さい』
即座にそんな答えが返ってきたので唖然とした。
王族や高位の貴族に仕える使用人は、教育が行き届いていると聞いた事があるけれど、まさにその通りだった。
教育係のイレーヌ夫人にしても、こちらに不快感を与える態度が一切ないのだから、いっそ見事である。
使用人にそうさせているのは間違いなくネージュだ。女主人としての管理能力に、ジャンヌは恐怖を覚えた。
彼女の本質は、使用人の態度や話に耳を傾ければすぐに分かりそうなものなのに――。
『男』がよっぽど上手く悪評を吹き込んだのか、アリスティードは今のところ疑問にすら思っていない様子なのは、傍から見ていて可笑しかった。
今の状況が、危うい均衡の上に成り立っている事はジャンヌも理解している。
アリスティードとネージュが対話をして、『男』の嘘が暴かれたら終わりだ。
だが、アリスティードが気付かないお陰で、ジャンヌは夢を見させてもらっている。
貴族の屋敷で思う存分贅沢し、見目麗しい青年侯爵の愛人になれるかもしれないという夢だ。
無知で愚かで、だけど地位と莫大な財産を手に入れたアリスティードに、これだけ接近する機会を手に入れたのだ。ジャンヌは、何としてもこの期間に、偽物の関係を本物にしてやろうと決意していた。
アリスティードへの恋愛感情はこれっぽっちもないが、容姿は合格点だし、彼を落とせば裕福な生活を送れる。
何としても自分に惚れさせてみせる。それができたら不特定多数の男の相手をする生活から逃れられるのだ。挑戦しない理由はなかった。
イレーヌ夫人からのレッスンを真面目に受けるのもそのためだ。
アリスティードをうまく落とせなかったとしても、教養は自分の糧になる。
なお、もし嘘がバレる気配を察したら、その時はさっさと逃げるつもりである。
「視察の話は聞いたか?」
アリスティードに尋ねられ、ジャンヌは頷いた。
「ええ。あの女の侍女に化けて一緒に行かせてもらえる事になったから、盾になってあげられるわ」
「頼む」
短く告げると、アリスティードは毛布を抱えてまだ改装中の夫婦の寝室へと立ち去って行った。
そこはまだ最低限の家具しかなく、人がくつろげるような状態ではないのだが、ここに来る直前まで軍にいた彼には全く気にならない環境らしい。
彼は、偽の恋人であるジャンヌに間違っても手を出さないようにと、毎日律儀にそちらに移動して眠り、痕跡を消してから戻って来る。
そんな姿は紳士的だが、ジャンヌの目には意気地がないようにも見えた。
(手を出してもいいって言ってるのに)
もしかして体の具合が悪いのだろうか。いや、もしかしたらあっちの気があるのかも……。男ばっかりの軍には多いと聞くし。
ジャンヌは失礼な心配をしながら、アリスティードが去って行ったドアをじっと見つめた。
いつも通り彼の部屋に向かったジャンヌは、ガウンの胸元に着けたブローチを彼に見せびらかした。
「見てよこれ。あの女から借りてきたの」
「……いつもネージュが着けているものだな」
「ええ。きっと凄く大事なものだと思うのよね」
ドレスの時は無反応だったネージュだが、ジャンヌがこのブローチに目を付けた瞬間わずかに動揺らしきものを見せた。
中央に埋め込まれたアクアマリンは、あの女の瞳の色と全く同じだし、あの様子から考えると、相当な思い入れがあるに違いない。
「少しためらう様子はあったんだけど、割と素直に手放したのよね。手応えがないと言うか……」
「……同情を引くのがあの女の手口なんだろ。気を付けろよ」
「そうかもしれないわね。アリスも気を付けて」
ジャンヌは彼に同意しながら焚きつけた。
一方で心の中では彼を嘲笑する。
(騙されてるのに全然気付かないんだもん)
ネージュよりもジャンヌの方が余程悪女だ。ある男と結託してアリスティードを騙し、ネージュを追い出そうとしているのだから。
『男』はネージュが欲しいからアリスティードが邪魔で、彼に思う存分ネージュの悪評を囁いた。
ジャンヌは、アリスティードがネージュに手を出さないように用意された『恋人役』である。
ネージュを穢れ切った毒婦だと信じているアリスティードは、偽の恋人を利用して、ネージュを追い出すこの計画に乗った。
男の嘘を信じ切って疑わず、ネージュを穢らわしいと蔑んで拒絶するのは、若さのせいだろうか。
(馬鹿だなぁ)
あんたが傍に置いてる私は娼婦だよ。
ジャンヌは心の中でつぶやいた。
お針子という触れ込みも嘘ではない。お針子だけでは生きていけなくて、街娼として小遣いを稼ぐうち、気が付いたらそっちが本業になっていた。
悪女と噂されているネージュだが、ジャンヌが見たところ、どうもそのような人物ではなさそうだ。
屋敷での生活は至れり尽くせりだし、世話係として付けてくれた侍女も、丁重にジャンヌを扱ってくれる。
『心の中では私を平民の卑しい女って馬鹿にしてるんでしょ!』
あまりにも不気味だったので、耐えかねて挑発したら――。
『ネージュ様のお気持ちを考えたらいかがなものかという気持ちは確かにございます。ですがアリスティード様のお立場になってみれば、致し方ないとも考えております。そして、ジャンヌ様が私を信頼できないお気持ちも理解できますが、ジャンヌ様を馬鹿になどしておりませんし、精一杯お仕えしたいと思っております。どうしても私がお嫌なら、ネージュ様にご相談なさって下さい』
即座にそんな答えが返ってきたので唖然とした。
王族や高位の貴族に仕える使用人は、教育が行き届いていると聞いた事があるけれど、まさにその通りだった。
教育係のイレーヌ夫人にしても、こちらに不快感を与える態度が一切ないのだから、いっそ見事である。
使用人にそうさせているのは間違いなくネージュだ。女主人としての管理能力に、ジャンヌは恐怖を覚えた。
彼女の本質は、使用人の態度や話に耳を傾ければすぐに分かりそうなものなのに――。
『男』がよっぽど上手く悪評を吹き込んだのか、アリスティードは今のところ疑問にすら思っていない様子なのは、傍から見ていて可笑しかった。
今の状況が、危うい均衡の上に成り立っている事はジャンヌも理解している。
アリスティードとネージュが対話をして、『男』の嘘が暴かれたら終わりだ。
だが、アリスティードが気付かないお陰で、ジャンヌは夢を見させてもらっている。
貴族の屋敷で思う存分贅沢し、見目麗しい青年侯爵の愛人になれるかもしれないという夢だ。
無知で愚かで、だけど地位と莫大な財産を手に入れたアリスティードに、これだけ接近する機会を手に入れたのだ。ジャンヌは、何としてもこの期間に、偽物の関係を本物にしてやろうと決意していた。
アリスティードへの恋愛感情はこれっぽっちもないが、容姿は合格点だし、彼を落とせば裕福な生活を送れる。
何としても自分に惚れさせてみせる。それができたら不特定多数の男の相手をする生活から逃れられるのだ。挑戦しない理由はなかった。
イレーヌ夫人からのレッスンを真面目に受けるのもそのためだ。
アリスティードをうまく落とせなかったとしても、教養は自分の糧になる。
なお、もし嘘がバレる気配を察したら、その時はさっさと逃げるつもりである。
「視察の話は聞いたか?」
アリスティードに尋ねられ、ジャンヌは頷いた。
「ええ。あの女の侍女に化けて一緒に行かせてもらえる事になったから、盾になってあげられるわ」
「頼む」
短く告げると、アリスティードは毛布を抱えてまだ改装中の夫婦の寝室へと立ち去って行った。
そこはまだ最低限の家具しかなく、人がくつろげるような状態ではないのだが、ここに来る直前まで軍にいた彼には全く気にならない環境らしい。
彼は、偽の恋人であるジャンヌに間違っても手を出さないようにと、毎日律儀にそちらに移動して眠り、痕跡を消してから戻って来る。
そんな姿は紳士的だが、ジャンヌの目には意気地がないようにも見えた。
(手を出してもいいって言ってるのに)
もしかして体の具合が悪いのだろうか。いや、もしかしたらあっちの気があるのかも……。男ばっかりの軍には多いと聞くし。
ジャンヌは失礼な心配をしながら、アリスティードが去って行ったドアをじっと見つめた。