氷の悪女の契約結婚~愛さない宣言されましたが、すぐに出て行って差し上げますのでご安心下さい~

視察 02

 周囲は既に真っ暗で、周囲を照らし出すのは、馬車前方の二つのランプの明かりだけという状況である。

(まずいな)

 アリスティードの背中を嫌な汗が伝った。
 照明をどうにかしないと、こちらの行動は襲撃者に筒抜けである。

「弾は何発ある?」

 アリスティードはネージュに尋ねた。

「六発です。予備の弾はありません」
「無駄撃ちに気を付けて、自分の身を守るのに集中してくれ」
「はい」

 こちらも銃弾は装填済みが六発。予備弾薬は六発しかない。
 いたずらに弾を消費したくなかったが、背に腹は代えられない。
 アリスティードはランプに狙いを定めると引き金を二回引いた。

 数少ない銃弾を消費したが、目論み通り、馬車のランプを壊せた。
 周囲は闇に包まれ、月明かりだけが辺りを照らし出す状態になる。



「この辺りの治安は決して悪くないはずなのに……」

 膠着状態の静寂に耐えられなくなったのか、ぽつりとネージュがつぶやいた。

「静かに」

 アリスティードはネージュを窘めた。こちらに近付く人の気配を察知したのだ。

 二人、三人……。
 合計五人だろうか。囲まれている。

 貴族は一般的に身体能力が普通の人間より優れている。
 ろくでもない父親からとはいえ、貴族の血を受け継いだアリスティードも例外ではなく、特に聴覚には自信があった。

 襲撃者が全員貴族ならまた話は変わってくるが、平民相手なら多勢に無勢でもそう簡単にはやられない自信がある。

 武器はある。腰のサーベルに懐に忍ばせた短剣、そして拳銃。

 たとえ生きて帰れなかったとしても、何人かは返り討ちにしてやる。
 アリスティードはそう決意すると、馬車の窓から外を窺った。

 すると、予想通り、こちらに近付いてくる複数の人影が見えた。
 アリスティードはそのうちの一つに向かって発砲する。

 直後、銃声に混ざって野太い悲鳴が聞こえ、人影が崩れ落ちた。どうやら狙い通り命中したらしい。

 だが、間髪を容れず、銃声が聞こえた。撃ち返してきたのだ。

「馬鹿! 女に当たったらどうするんだ!」

 そんな罵声が聞こえてきた。
 かと思ったら、アリスティードが警戒するのとは逆側のドアが乱暴に開けられる。

 アリスティードは慌てて銃口をドアからの侵入者に向けた。
 だが、引き金を引く前に銃声が響いた。

 音の源はネージュの手元だった。

 彼女が躊躇なく銃を撃った事にアリスティードは驚いた。だが、その驚きに浸る余裕はなかった。
 ネージュに撃たれた人影の更に奥に、もう一人いたからだ。しかもそいつは白刃を手にしていた。

「女は傷付けるなよ!」

 そんな声が聞こえる中、アリスティードはそいつに向かって発砲した。
 胴体に二発。それだけで殺傷力が跳ね上がる。

 しかし――。

 バン!

 大きな音と共に、背後のもう一つのドアが開け放たれ、襲撃者が二人がかりで銃口を突きつけてきた。

「チェックメイトだな、侯爵閣下。銃を捨てな」

 手前の男が勝ち誇った様子で宣告してきた。

(馬鹿が)

 つべこべ言う前にこちらを撃てばいいものを。自分ならそうする。

 アリスティードは内心で失笑しながら銃を捨て――。
 振り向きざまに腰のサーベルを抜き放つと、手前の男の(くび)を切り裂いた。
 刺し違えてでも一人は確実に()る。そんな覚悟を斬撃に込める。

「この……」

 もう一人がアリスティードに向かって引き金を引いた。
 しかし、銃弾がこちらに当たる事は無かった。

「ダメ!!」

 すんでの所でネージュが男に飛び掛かり、狙いがそれたのだ。

「何しやがんだ、このクソアマ!」

 男はネージュを強く振りほどいた。華奢で小柄な彼女は吹っ飛ばされ、強く馬車内部の壁に叩きつけられる。
 
 アリスティードはその隙を見逃さず、男の腹部にサーベルを突き立てた。



   ◆ ◆ ◆



 五人目の襲撃者が完全に沈黙したのを確認したアリスティードは、他に襲撃者がいないか、また、全員を撃退できたのかを確認する事にした。

 倒れたまま動かないネージュの様子も気になるが、安全確保の方が先決だ。共倒れが一番恐ろしい。

 アリスティードは、馬車の中にあったランタンに火を灯すと、襲撃者一人一人を確認していった。

 結果的に、ネージュが撃った男だけまだ息があったので、銃でとどめを刺す。

 放っておいても死にそうだったが、彼女に男の死を背負わせたくないと思ったのだ。
 悪い噂のある人物だがネージュは女性だ。アリスティードの中の、騎士道精神のようなものが働いた。

 残念ながら、御者と馬は既に事切れていた。
 心の中で詫びながら、アリスティードは馬車に戻る。
 そして、床にランタンを置いてネージュに近付いた。

 明かりに照らし出された彼女の腹部を見て、アリスティードは息を呑んだ。
 彼女のそこは、真っ赤に染まっていた。

「ネージュ、大丈夫か? ネージュ!」

 アリスティードはネージュの頬に触れると呼びかけた。
 だが、彼女の双眸は硬く閉ざされており、応答もなかった。

(――あの時か)

 アリスティードを守ろうと男に飛びかかった時、銃弾が当たったのかもしれない。

 まずは傷口を確認しなければ。

(クソッ……)

 アリスティードは覚悟を決めて、懐から短剣を取り出すとネージュのドレスを切り裂いた。



 女性の衣装は構造が複雑だ。
 ドレスの下のコルセットに阻まれ、アリスティードは非常時だからと自分に言い訳しながら前紐を短剣で切った。

 まろび出た白い膨らみに思わず目を逸ら――そうとしてできなかった。
 腹部に古傷と思われる細い筋状の傷痕が何本もあったせいだ。

(これは……)

 アリスティードは傷痕に意識を奪われ、つい食い入るように見てしまう。
 だが、すぐにそれどころではないと我に返り、鮮血の源へと視線を移した。

(傷は左脇腹)

 アリスティードは患部にポケットチーフを当てると、圧迫止血を試みた。その時である。

「ア……ティード、さま……」

 声が聞こえた。
 アリスティードはネージュの顔に視線を移す。
 その表情は痛みのせいか苦しげだった。

 ネージュは、視線をアリスティードの手元に移動させ、大きく目を見開いた。

「やっ……、っ、!」

 胸が丸出しになっているのが恥ずかしかったのだろうか。
 ネージュは身動ぎしようとし、顔を歪めた。

「……っ、すまない。傷口を確認しようと思って」

 アリスティードは右手で彼女の脇腹を圧迫しながら、手近にあったブランケットをネージュの体にかけてやった。
 そして、寒さへの配慮も欠けていた自分を恥じる。

「ごらんに、なりましたよね……?」

「だからそれは治療の為で! やましい気持ちはこれっぽっちも……」

「そちらではなくて、傷痕です……」

「…………」

 アリスティードは黙り込んだ。
 そして、間を開けてから恐る恐る尋ねる。

「それをやったのはマルセルか?」
「違います!」

 強い語調でネージュは否定した。
 しかしそれが傷に障ったのか、彼女は盛大に顔を顰める。

「ダニエルさまです……わたしは、あの方から折檻を……」

 アリスティードはその告白に大き目を見開いた。

「昔の話です……。それよりも、アリスティードさま、お怪我は……?」

「こちらはかすり傷だ。あんたの方がずっと酷い」

 答えると、彼女はふっと微笑んだ。

「良かった……」

「良くない。なんで俺を守ろうとしたんだ……」

「マルセルさまのお血筋だからです」

 ネージュの答えにアリスティードは目を丸くする。

「どうか、はやく町へ……」

 囁くように告げると、ネージュはそのまま眠るように意識を失った。
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