憧れの副操縦士は、許嫁でした~社長の隠し子CAは、パイロットにすべてを捧げられる~
 その施設は駅からほど近い立地であるにもかかわらず、静寂に包まれている。

 生い茂る木々の間に隠されるようにして、ひっそりと佇む真っ白な外壁が印象的なその外観は、ヨーロッパの邸宅を想起させた。

 外から目にしただけでも高級感に恐れ慄いているくらいだ。
 そこは私たちのような貧乏人が、間違っても足を踏み入れてはいけない場所に思えて仕方ない。

「ねぇ、お母さん。やっぱり――」
「コートを脱ぎなさい。中に入りましょう」

 帰ろうと母の腕を掴んだけれど、彼女は娘のスプリングコートを両腕から無理やり剥ぎ取り畳んで腕に乗せると、堂々と中に入ってしまった。
 私は慌ててお母さんの後を追う。

「いらっしゃいませ」

 いかにもお金がありませんと全身で訴えかけている私を一瞥したスタッフは、顔色を変えることなく出迎えてくれる。

 門前払いを食らうことがなくてよかったと、安心している場合ではない。
 私は男性従業員の口から恐ろしい言葉が聞こえてくるようなことがありませんようにと願い、全身を震わせながらその時を待った。

「ラウンジへご案内いたします」
「本日十九時から予約している、天倉(あまくら)の連れです」
「大変失礼いたしました。峯藤様ですね。スタッフ一同、ご来店を心よりお待ちしておりました。お部屋へご案内いたします」

 ――天倉?

 私たちの名字は峯藤だ。
 オーベルジュの店員が客の名前を間違えるはずがないのだから、お母さんは偽名を使って予約をしたのだろう。

 ――なんでそんなことをしたの?

 聞き覚えのない名前で予約を取る理由がわからない。
 そう母親を訝しんでる間にハイヒールを脱ぐように促され、室内履き用のスリッパが目の前に差し出されてしまった。

「千晴。ぼーっとしないの。履き替えなさい」
「ねぇ、お母さん……」
「行きましょう」

 お母さんは馴れた様子で靴を履き替えてから私を呼んだ。
 急かされたことで渋々ハイヒールを脱げば、流れるような動作でスタッフたちがそれらを回収し、近くに置いたスーツケースを運び始めてしまった。
 堂々とした足取りでスタッフに先導されるがまま二階に続く階段を登り始めた彼女に習い、わけがわからぬまま背中を追いかける。

 理解に苦しむ状況だわ。
 白で統一された清潔感と高級感のある廊下を進めば、突き当りの205号室に案内された。

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