悲劇のフランス人形は屈しない3
第三章 夏
夏休み
じめじめとした梅雨の時期が終わり、蝉が大活躍する真夏日が続く頃になると、学校内は受験の雰囲気でピリピリし始める。・・・と、思っていた。
「ねえ、夏休みはどこ行くの?」
「去年は、バリだったから、オーストラリアでスキーでもして来ようかな。今年の夏は猛暑って言うし」
「いいな~。私は去年と同じニューヨークよ。おばさんが住んでいるから」
クラス内の会話には、受験の「じゅ」の字も出て来ない。
よくよく聞いてみると、真徳生なら誰でも入学できる大学があるらしい。基本的に筆記試験はなく、試験は面接だけ。簡単な質問に二つ、三つ答えるだけで合格したも同然とのことだ。
(だからみんな、余裕なのか…)
教室内で、参考書を開いているのは私だけだった。
「ねえ」
驚いたことに、休み時間に郡山が声を掛けてきた。
隣に座っている榊はスマホゲームの手を止めるし、前の席に座っている五十嵐は少し肩を動かした。天城と蓮見が席を外している今、二人が少し戦闘態勢に入ったのが分かった。
「何かしら」
私はペンを置いて、郡山の顔を見た。
「どこの大学行くの?」
突然そんなことを聞かれ、私は口をぽかんと開けた。
「あなたと同じ学校は行きたくないから、確認したいのよ」
冷たい口調でそう言われ、私はすぐさま納得した。
「貴女は?」
質問に質問で返されたせいか、郡山の眉が苛立ちでぴくっと動いた。
「質問に答えない気?本っ当に嫌な奴ね」
「は?」
榊が反応し、乱暴に席を立った。郡山の顔が一瞬にしてこわばった。
「榊、いいから」
私は榊の袖を掴んで無理やり座らせると、郡山の方を向いた。
「ごめんなさい、私の方が失礼だったわね。私が目指しているのは知星大学よ」
郡山の顔が更に引き攣った。
「同じかしら?」
しかし郡山は顔を真っ赤にして言った。
「一緒の大学じゃなくて安心した」
そしてその場を去る時に、ちらりと榊の方を見てから小さく呟いた。
「不良と一緒に落ちればいいのに」
「ああ?」
榊がまた勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が大きな音を立てて、後ろに倒れた。郡山は取り巻きの女子を連れて、急いで教室から出て行った。
「こら、やめなさい」
「お前はなんでそんな落ち着いてられんだよ!」
榊はイライラしたように髪をかき上げた。
「子供の挑発にいちいち乗ってられないわよ」
私は参考書に向かい、ペンを手に取った。
「体育では挑発してたけどね」
私の方に体を向け、椅子の背に両腕を乗せている五十嵐が言った。
「体育は別」
「なにそれ」
笑っている五十嵐とは対照的に、まだ苛立ちが収まらないのか榊は乱暴に椅子を直すと、音を立てて座った。クラスメートがびくついているのが手に取るように分かった。皆、変なことに巻き込まれないように私たちと距離を置いている。
「ねえ。別のことでイラついてるでしょ」
あの郡山の態度だけで、いつもは馬鹿に明るい榊がここまで苛立つとは思えない。
私は参考書を閉じ、榊の方に体を向けた。
「ほら、お姉さんに話してごらん」
「確かにお姉さんだね」
五十嵐も余計なことを言いながらも、顔を榊の方を向けた。
「アイツが、学校で虐められてる。でも俺には何も言わない」
榊はうつむいたまま言った。
「・・・アイツ?ああ、例の子ね」
私は榊の心配そうな口調から、アメリカから一緒に来た榊の想い人だと察した。確か榊の父親が原因で、勝手に日本に送られた女の子だ。
(あれ、ちょっと待って)
脳内でパズルのピースがはまった音がした。
「もしかして、未央のこと?」
私がそう言うと、榊が顔を上げた。
「なんでお前知って…」
「話すと長いんだけど、本当偶然に知り合ったの。この前、ジムでも会った」
「透、ジムに行ってるの?」
五十嵐が前髪の奥で目を丸くしたのが分かった。
「ええ。ボクシングを少しね」
「ぼくしんぐ…?」
驚きを隠せていない五十嵐を無視し、私は榊に言った。
「未央がボクシングを始めた理由って、もしかして学校の虐めが原因?」
榊が頷いた。
「よく怪我してるから何かと思って、アイツの学校前で待ち伏せしてたんだ」
(確か未央は女子高だったような。不良が校門にいたら嫌だな…)
榊が門の前で待ち伏せしている様子を思い浮かべると、少し生徒が気の毒に思える。
「そしたら、同じ学校の奴らが、アイツを突き飛ばしたところを目撃した」
その言葉を聞いて、修学旅行中に転んでいた未央を思い出した。絆創膏が要るか聞いたら、いつでも常備していると言っていた。
(それが理由だったのか…)
「ひどいね」
五十嵐が低い声で言った。
「アイツには味方になってくれる友達もいない。アメリカからいきなり連れて来られたせいで、日本での友達の作り方を知らないんだ。文化の違いで馴染めないのか、新参者を受け入れられない奴らの風習かは知らんが、こっちに来てから、アイツが笑ってるところを一度も見たことない」
「んでも、透とは友達なんでしょ?」
五十嵐が首を傾げながら聞いた。
「ええ。少なくとも私の前では笑っていたけど…」
まだ二度しか会ったことがないとは言え、二人で盛り上がった修学旅行を忘れたことはない。
「でも私も友達の作り方をよく知らないわよ。良いアドバイスが出来るかどうか…」
「確かに、透も女友達いねーよな」
はあと大きなため息を吐く榊に私は言った。
「い、いるわよ!伊坂さんが!」
「説得力がねぇ…」
落ち込んでいる榊に何を言っても無駄のようだ。
しかし、しばらくの沈黙の後、何かを考えていた様子の五十嵐がにやりと笑いながら言った。
「いいこと思いついちゃった」
「ねえ、夏休みはどこ行くの?」
「去年は、バリだったから、オーストラリアでスキーでもして来ようかな。今年の夏は猛暑って言うし」
「いいな~。私は去年と同じニューヨークよ。おばさんが住んでいるから」
クラス内の会話には、受験の「じゅ」の字も出て来ない。
よくよく聞いてみると、真徳生なら誰でも入学できる大学があるらしい。基本的に筆記試験はなく、試験は面接だけ。簡単な質問に二つ、三つ答えるだけで合格したも同然とのことだ。
(だからみんな、余裕なのか…)
教室内で、参考書を開いているのは私だけだった。
「ねえ」
驚いたことに、休み時間に郡山が声を掛けてきた。
隣に座っている榊はスマホゲームの手を止めるし、前の席に座っている五十嵐は少し肩を動かした。天城と蓮見が席を外している今、二人が少し戦闘態勢に入ったのが分かった。
「何かしら」
私はペンを置いて、郡山の顔を見た。
「どこの大学行くの?」
突然そんなことを聞かれ、私は口をぽかんと開けた。
「あなたと同じ学校は行きたくないから、確認したいのよ」
冷たい口調でそう言われ、私はすぐさま納得した。
「貴女は?」
質問に質問で返されたせいか、郡山の眉が苛立ちでぴくっと動いた。
「質問に答えない気?本っ当に嫌な奴ね」
「は?」
榊が反応し、乱暴に席を立った。郡山の顔が一瞬にしてこわばった。
「榊、いいから」
私は榊の袖を掴んで無理やり座らせると、郡山の方を向いた。
「ごめんなさい、私の方が失礼だったわね。私が目指しているのは知星大学よ」
郡山の顔が更に引き攣った。
「同じかしら?」
しかし郡山は顔を真っ赤にして言った。
「一緒の大学じゃなくて安心した」
そしてその場を去る時に、ちらりと榊の方を見てから小さく呟いた。
「不良と一緒に落ちればいいのに」
「ああ?」
榊がまた勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が大きな音を立てて、後ろに倒れた。郡山は取り巻きの女子を連れて、急いで教室から出て行った。
「こら、やめなさい」
「お前はなんでそんな落ち着いてられんだよ!」
榊はイライラしたように髪をかき上げた。
「子供の挑発にいちいち乗ってられないわよ」
私は参考書に向かい、ペンを手に取った。
「体育では挑発してたけどね」
私の方に体を向け、椅子の背に両腕を乗せている五十嵐が言った。
「体育は別」
「なにそれ」
笑っている五十嵐とは対照的に、まだ苛立ちが収まらないのか榊は乱暴に椅子を直すと、音を立てて座った。クラスメートがびくついているのが手に取るように分かった。皆、変なことに巻き込まれないように私たちと距離を置いている。
「ねえ。別のことでイラついてるでしょ」
あの郡山の態度だけで、いつもは馬鹿に明るい榊がここまで苛立つとは思えない。
私は参考書を閉じ、榊の方に体を向けた。
「ほら、お姉さんに話してごらん」
「確かにお姉さんだね」
五十嵐も余計なことを言いながらも、顔を榊の方を向けた。
「アイツが、学校で虐められてる。でも俺には何も言わない」
榊はうつむいたまま言った。
「・・・アイツ?ああ、例の子ね」
私は榊の心配そうな口調から、アメリカから一緒に来た榊の想い人だと察した。確か榊の父親が原因で、勝手に日本に送られた女の子だ。
(あれ、ちょっと待って)
脳内でパズルのピースがはまった音がした。
「もしかして、未央のこと?」
私がそう言うと、榊が顔を上げた。
「なんでお前知って…」
「話すと長いんだけど、本当偶然に知り合ったの。この前、ジムでも会った」
「透、ジムに行ってるの?」
五十嵐が前髪の奥で目を丸くしたのが分かった。
「ええ。ボクシングを少しね」
「ぼくしんぐ…?」
驚きを隠せていない五十嵐を無視し、私は榊に言った。
「未央がボクシングを始めた理由って、もしかして学校の虐めが原因?」
榊が頷いた。
「よく怪我してるから何かと思って、アイツの学校前で待ち伏せしてたんだ」
(確か未央は女子高だったような。不良が校門にいたら嫌だな…)
榊が門の前で待ち伏せしている様子を思い浮かべると、少し生徒が気の毒に思える。
「そしたら、同じ学校の奴らが、アイツを突き飛ばしたところを目撃した」
その言葉を聞いて、修学旅行中に転んでいた未央を思い出した。絆創膏が要るか聞いたら、いつでも常備していると言っていた。
(それが理由だったのか…)
「ひどいね」
五十嵐が低い声で言った。
「アイツには味方になってくれる友達もいない。アメリカからいきなり連れて来られたせいで、日本での友達の作り方を知らないんだ。文化の違いで馴染めないのか、新参者を受け入れられない奴らの風習かは知らんが、こっちに来てから、アイツが笑ってるところを一度も見たことない」
「んでも、透とは友達なんでしょ?」
五十嵐が首を傾げながら聞いた。
「ええ。少なくとも私の前では笑っていたけど…」
まだ二度しか会ったことがないとは言え、二人で盛り上がった修学旅行を忘れたことはない。
「でも私も友達の作り方をよく知らないわよ。良いアドバイスが出来るかどうか…」
「確かに、透も女友達いねーよな」
はあと大きなため息を吐く榊に私は言った。
「い、いるわよ!伊坂さんが!」
「説得力がねぇ…」
落ち込んでいる榊に何を言っても無駄のようだ。
しかし、しばらくの沈黙の後、何かを考えていた様子の五十嵐がにやりと笑いながら言った。
「いいこと思いついちゃった」