悲劇のフランス人形は屈しない3
「おお!山だー!」
目の前にそびえ立つ山々を見上げながら、榊が嬉しそうに叫んだ。
夏休みに入ると、大学受験生はラストスパートと言わんばかりに朝から晩まで勉強の予定を詰め込んでいると言うのに、私たちは全員受験生にもかかわらず伊坂を訪ねて山奥に来ていた。飛行機を乗り継ぎ、車で走ること約2時間。やっとお目当ての場所に着いた。朝早くに出たはずなのに、もう太陽は傾き始めている。
「いらっしゃい!」
額の汗を光らせて私たちを迎え入れてくれた伊坂は、今時の恰好というよりはタンクトップに短パンと動きやすい格好をしていた。以前よりずっと伊坂らしさが出ている気がした。
「キャンプをしよう」と持ち掛けてきたのは、五十嵐だった。榊の話を聞いて、未央を気の毒に思ったのか、自分が単に気分転換したかっただけなのかは不明だが、提案を聞いた蓮見も、そしていい場所があると教えてくれた伊坂も乗り気だった。高校最後の夏を楽しく過ごして、思い出を作りたいということで、他校の二人を含め、山奥でキャンプをすることになった。
バーベキュー会場の近くでそのままテントを張るつもりだったものの、伊坂から夜は危険すぎると返答があった。そして、田舎に引っ越してから意外な能力を開花させた伊坂の父親が“隠れ家”を作ったので、そこで寝泊まりしたらどうかと、提案があった。元々あった古い〈離れ〉を改装したようだが、写真を見る限り、かなりいい出来だった。
「みなさん、こんな暑い中よくいらっしゃいました」
伊坂家の横開きの扉が開かれ、母親らしき人物が姿を現した。エプロン姿に、髪の毛を短く切った母親は、伊坂に皺を足したくらい似ていた。
「よろしければ、どうぞ」
全員分の麦茶を振る舞いながら、伊坂母は言った。
「お気遣いありがとうございます」
初めて会う伊坂の母にお礼を言う。
「榊!戻ってこい!」
麦茶を受け取った蓮見が、一人で走り出した榊の背中に向かって叫んだ。
33度を超える真夏日の今日は、みんな車から出たばかりだと言うのに、既に汗をかいていた。それぞれがお礼を言いながら、一気に冷えた麦茶を飲み干す。体内が少し涼しくなり、爽やかさがいくらか戻って来た。
「BBQ会場は少し先になります。気をつけて行って来てください」
空いたグラスを回収すると、伊坂の母はにっこりと笑って私たちを送り出してくれた。
車が入りにくい道という事で、途中からは自分たちの足で行くことになった。
BBQに使う道具や食材は、もちろん自分たちで運ぶことになる。
なんてことはあり得ず、運転手兼なんでも係のそれぞれの付き人が、汗だくになりながらも砂利道を歩き、キャンプ場まで全て運んでくれた。
「ではまた。明日の夕刻にお迎えに参ります」
平松は私にそう言うと、他の使用人たちに続いて去って行った。
どこかで良い宿でも取って今夜はゆっくり休んで欲しい。長距離の移動にも嫌な顔を一つせず、荷物持ちや買い物に付き合ってくれた彼らに心で感謝の念を送った。

「火って、どうやって起こすの?」
蓮見がチャッカマンを持ったまま、首を傾げた。
それぞれの運転手が今すぐ使えるように全てセッティングしてくれたにもかかわらず、BBQはシェフがやるものと思っているお坊ちゃまたちは、火おこしに関して何も知らなった。
「私がやるわ」
私は、蓮見からチャッカマンを受け取ると、Tシャツの袖をまくりあげた。買っておいた着火剤を一番下におき、その上に炭を置く。空気の道が出来るように立てかけたり、上に置いたりして形を作っていく。それから、着火剤に火をつけた。じっとりと浮かんでくる汗が、目に入る。みんな日光を避けるために、平松たちが張ってくれた天幕の下から、火がつくのを待っていた。確実に火がついたのを確認してから、私は立ち上がった。
「榊、うちわで火を大きくしてくれる?疲れると思うけど」
「よし、任せろ!」
白いタオルを頭に撒いた榊が、タンクトップから出た逞しい二の腕を見せながら自慢気に言った。
「無駄に鍛えてないぜ!」
「期待してるわ。火が回ったら炭を平らにして、その上に炭を追加して。炎が落ち着いたら調理が出来るようになるから」
「がってん!」
榊はうちわを持ち、私と場所を交代した。
「さすが姉御!」
蓮見は感心しながら拍手をしている。
「何でも知ってるんだね~」
「昔、嫌というほどキャンプしたから」
額の汗を腕で拭いながらそう答えながら、榊が思いっきりうちわで扇いでいる様子を見守る。すると隣にいた伊坂が顔を私に向けた。
「そうなんだ、珍しいね!お父さんの趣味?」
「ええ。いざという時に、何でもできるようにって。一人っ子だったから…」
「一人っ子…?」
思わず口が滑り、私はハッとした。伊坂は途端に訝しげな表情になり、その後ろにいた天城や蓮見は呆れた顔をしている。
「ま、まどかが生まれる前の話!」
「そうだよね。びっくりしちゃった」
伊坂がすぐに納得してくれたおかげで、変な空気にせずに済んだ。ここにいる半数以上が自分の秘密を知っているとは言え、油断は禁物だ。
(ここが昔住んでいた場所に似ているせいかな…)
いつもはしないヘマの原因は、山奥にいるせいだと思っていると、天幕の下で飲み物や食材を準備していた未央がやって来た。
「透。その髪、暑くない?」
「暑い…」
私は正直に答えた。毛量が多いせいか、首の後ろには全く風が入らず汗がずっと流れている。
「結んであげるから、こっちおいで」
「ありがとう」
近くにあったパイプ椅子に腰を掛け、髪を優しく触る未央の手に頭を預ける。彼女の触れ方から、何かを話したがっている雰囲気が伝わってきた。しかし、未央の口から出たのは全く違うものだった。
「火が起こせるなんて知らなかった」
私は、手渡されたうちわで扇ぎながら笑った。
「私もここで披露するはめになるとは思わなかった」
「はい、出来た」
手際が良いのか、あっという間に私の髪は綺麗にまとめられ、頭の上でお団子が出来ていた。
「だいぶ涼しい」
未央にお礼を言い、榊の方を見ると、火が落ち着き始め、真っ赤だった火は白くなり始めていた。
「そろそろ焼き始めてもいい頃だよ」
私がそう言うと、蓮見が天幕下から飛び出し、榊の横に立った。天城と五十嵐は、涼しい場所から二人の様子を見守っている。伊坂は、みんなが使いやすいように食器類を並べていた。
「野菜、洗って来る」
未央がそう言ったので、私も一緒に行くことにした。
「最初はやっぱり海鮮だろ!」蓮見がそう叫び、榊が「いや、肉だろ!」と言い返している声を聞きながら、私たちは水場へと向かった。
「学校での克巳はどんな感じ?」
玉ねぎをむいて軽く水で流し、ボールへ入れるのを数回繰り返し、人参に手を伸ばした時、未央がぼそりと呟くように言った。
「うーん。うるさい、かな」
私は遠くの方で、わいわい騒ぎながら肉を焼いている榊たちを見ながら言った。
「あんな感じだよ」
「そっか」
また未央は静かになった。
「プライベートなことに踏み込んでごめんね。でも、私、少し未央のこと知っているんだ」
しばらくの間のあと、私は言った。
「榊から聞いたんだけど、榊のお父さんのせいで未央は日本に来るはめになったんでしょ。榊はそのことに対して凄く申し訳なく思っている」
未央は一瞬顔を強張らせたが、首を振った。
「確かに、きっかけは榊社長だけど、私は自分の意思で日本に来ることにした。だから、克巳が申し訳なく思うのは間違っている」
(自分の意思で日本に…?)
私は未央の横顔を見つめた。洗い終わった野菜をまな板の上に並べ、食べる大きさに合わせて切り始めている彼女の表情からは何も読み取れないが、頭の中では色々なことを考えているのだろう。
「未央は、榊と離れたくなかったんだね」
私がそう言うとピーマンを切っていた未央の手が止まった。
「な、なんで…?」
珍しく顔が真っ赤になっている。
(なんだ、両想いか。この二人)
思わず頬が緩むのが分かった。
「一度、年末に日本に来た榊と会ったんだけど。その時、アメリカに大事な人がいるから、日本に戻って来ることはないって言ってた。それって未央のことでしょ。ずっと榊の片想いかと思ってたけど…」
「ほ、本人には何も言わないで~」
どこか懇願するように未央が言う姿が可愛くて仕方がない。頭を撫でたい衝動を抑えるために、私は腕組みをした。
「でもちゃんと好意を示さないと、榊は絶対に気がつかない気がするけどなぁ」
「私を負担に思って欲しくない…」
そう言った未央の表情が一瞬にして曇った。
「なんかあった?」
未央は一度目を閉じると、ふうと息を吐き出した。
「クラスメートに目を付けられていることを克己に気づかれちゃって…」
「うん。修学旅行の時も。あれ、転ばされたんでしょ」
「え?ああ。透には見られてたんだっけ」
苦笑しながら未央は首を振った。
「虐めに気づいた克己が、高校卒業後も日本に残るって言い始めた。本当は榊社長に戻って来いって言われてるくせに。だけど、日本での生活にまだ慣れていない私を一人で残していくのは嫌だからって断っているところを、たまたま聞いちゃったの」
「そうだったんだ…」
卒業後に榊がアメリカに戻るのは初耳だった。確かに、進路をどうするか榊に聞いたことがない。
「私のために日本に残って欲しくない。克巳の負担には絶対になりたくない」
「それ、本人に言った?」
未央は首を振った。
「そもそも克巳は、私が知っていることに気づいていないと思う」
「そっか。でもちゃんと話すのは大事だと思う。伝えられるうちは、特に」
そう言いながら私はふと田舎の両親を思い出した。手紙を無視されたからと家に帰るのを止めてしまったあの時。怖がらずに向き合っていたら、何かが変わったんじゃないかと考えることもあった。・・・今ではもう何をしたって手遅れだが。
「そうだね。言わないと分からないよね」
どこか決心したように、未央が頷いた。
「それで?透の方はどうなの?」
ニンジンを手に取りながら未央が言った。
「なにが?」
お米を研ぎながら私は聞き返す。
「またまた~。決まってるじゃん」
未央は私に軽く肩をぶつけた。
「あの中の誰?」
顎でくいっと向こうにいる男子4人組を差した。食欲が我慢出来ないのか、私たちを置いて既に食べ始めている。
「誰って言われましても…」
私は研ぎ終わった米を鍋に移し、分量分の水を入れると、蓋をした。
「やっぱり、あの黒髪の子が怪しい」
未央は目を細めて向こうを凝視している。私は彼女から野菜を取り上げ、手際よく切り始めた。
「あの子、名前なんだっけ?修学旅行の時にも、聞いた覚えがあるんだけど…」
「天城さんですか?いつも無表情で、どういう人か分かりません」
いつの間に隣に来ていた伊坂が答えた。
「前髪が長い人が、五十嵐さん。まともに顔を見たことはないです。あとは、榊さんとはしゃいでいるのが、蓮見さんです。ああ見えてかなり頭脳明晰ですよ」
そして未央の方に手を差し出した。
「伊坂里英と申します!白石さんとは同じクラスでした!」
やや気圧(けお)されながらも、未央は包丁を置くと、濡れたままの手で握手した。
「霧島です」
「よろしくお願いします!」
伊坂は頭を下げた。
伊坂のコミュニケーション能力には、毎度ながら圧倒されるものがある。伊坂と友達になったのも、伊坂の方から明るいテンションで話しかけてくれたことがきっかけだった。
「二人で何の話をしていたの?」
伊坂が切り終わった野菜を、トレーに移しながら興味津々に聞いた。
「他愛のないことを…」
しかし私の言葉を遮って未央が言った。
「ちょうどいい。里英ちゃんに、聞きたいことがある」
「何ですか?」
何だか嫌な予感がした。
未央は、火の周りを囲っている男子四人を指さしながら聞いた。
「あの中で、透に気がありそうな人は?」
「白石さんに気がありそうな人…?」
伊坂の動きが止まった。私ははっとして、慌てて二人の間に入った。
「い、伊坂さんは、途中で転校してしまったから…」
誰のせいで、何が理由でとは言わないでおいた。結果的に田舎暮らしが気に入ったとは言え、家族の身に起きた出来事は思い出したくないだろう。
「え、そうなの!ごめ…」
しかし慌てた未央や私をよそに、伊坂は腕を組んで言った。
「う~ん。怪しいのは、天城さんと五十嵐さんですかね」
「はい?」
私はすぐさま反応した。
(何を言い出すんだ、この子は)
伊坂は、未央の方を向いた。
「天城さんは、白石さんの話となると口数が増えますし、五十嵐さんは白石さんだけに見せる表情が多いです」
「ちょっと、伊坂さん・・・?」
居心地が悪く感じるのはなぜだろう。
「蓮見さんは、ただ単に白石さんを面白がっているだけな気もするのでまだ恋愛感情はないかと」
まるで探偵のように推理を始める伊坂を、私と未央は呆然と見つめていた。
「榊さんは、白石さんとはかなり距離が近いですが…」
言葉を切ると、未央の方を見た。
「霧島さん一筋ですね」
(え、何この子。怖い)
私の表情を読んだのか、伊坂は苦笑いした。
「真徳高校に入ってから、人間観察をよくしてたんだ。みんなに馴染みたくて」
そう言った伊坂の顔はどこか悲しそうだった。
何か言おうと口を開いた時、向こうから榊の大声が聞こえて、全員がびくりとした。
「おーい!米はまだかー!」
私はため息を吐いた。
「腹ペコのヤンキーがお呼びですね」
「誰、カレー食べたいなんて言い出したの」と未央。
「五十嵐さんです」と答える伊坂。
それぞれが丁寧に切られた野菜が入ったトレーを持ち、もちろん米の入った鍋も忘れずに抱えてバーベキュー組と合流した。
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