悲劇のフランス人形は屈しない3
全員で分担して片づけをし、全く人気(ひとけ)のないBBQ会場を離れた頃には周りは真っ暗になっていた。伊坂の言う通り、この場所でテントを張るのが危険な理由が分かった。外灯が一切なく、四方を森で囲まれているため、食べもの匂いに誘われて野生動物が下山して来そうだ。
たき火や手持ちの花火まで楽しんだあと、近くに温泉があると聞き、開放的な貸切風呂を楽しんだその夜。
私は眠れずに何度も寝返りを打っていた。同じ部屋に寝ている未央は、既に安らかな寝息を立てている。6回目の寝返りをしたあと、私は静かに体を起こした。
音を立てないように襖をゆっくりと開けると、短い廊下が出現した。二つ隣の部屋からは、榊の豪快ないびきが聞こえて来た。
縁側のように幅のある廊下の下に仕舞われていたサンダルを履き、ガラス張りの扉を開けると、夏の夜風が頬を撫でた。
うんと伸びをした拍子に迫力満点の星空が目に入った。
「わぁ。懐かしい…」
思わず言葉が口をついて出た。
両親の元に住んでいた時には、よく見た光景だった。暗闇が怖く、夜になると外に出たがらない子供だったが、父親に誘われて星空を見た時には心から感動した。
また、よく縁側に座って、七輪で焼いた海苔を食べながら、蛍を見たことを思い出す。
涙がにじみはじめ、私は頭を振った。
(田舎に来たせいか、どうも感慨深くなる…)
伊坂家は大きな一軒家だったが、離れとの間に、人が4、5人は寝転がれるだろう四角い縁台が置いてあった。日中、そこに伊坂の母が野菜を干していたのを見かけたが、今はそれが取り除かれた代わりに、誰かが静かに座っていた。
「眠れないの?」
私が近づくと、彼は驚いたように振り返った。
「榊がうるさい」
天城は短くそう言うと、また空を見上げた。
「なるほど」
私も縁台に座ると、同じように夜空を見上げた。
生ぬるい夜風が吹き、蝉の大合唱が夜の世界を支配している。
「平気なんだ、この暗さ」
しばらくの沈黙のあと、天城が言った。
月明りが足元を照らしている。外灯が少ないとは言え、“離れ”から漏れている光や伊坂家の玄関の電気が点いているので、真っ暗闇という訳ではない。
「安心する暗さかな」
「なんで暗闇が怖い?」
天城は縁台の上にごろりと寝転ぶ。私は、未だ夜空から目を離さずに言った。
「・・・トラウマがあるの。小さい頃、家族や友達と山に遊びに行って、その帰りに迷子になった。親ともはぐれちゃって、一人ぼっちで森の中をさまよう羽目になって。数時間後に、捜索隊が洞窟の中で眠っている私を見つけてくれた。当時の記憶はあまり残ってないんだけど、おそらくそれが原因で今も暗い所が怖…」
そこまで言いかけて私は我に返った。
(・・・なぜ、私は天城にこんな話を)
ちらりと天城の顔を見るが、目を瞑っているせいか何も読み取れない。
「そんな経験してたら、誰でも恐怖症になる」
からかわれるかと覚悟していたが、驚いたことに天城は同情を示した。
「あなたは?怖いものはある?」
思わずそう聞いていた。
目を開いた天城が馬鹿にしたように言った。
「怖いものがない奴なんかいるか」
「あら、何が怖いの?」
笑みが漏れ出るのに気づかれないように、私は平静を繕った。
「言わない」
天城は冷たく言い放った。
(ち。こっちの弱みだけ握るつもりか…)
私は天城から視線を外すと、また夜空に目を向けた。雲一つない晴天で、明日もいい天気になりそうだ。
「他には?」
天城がまた聞いた。
「他にはって?」
私はまた天城の方を向いた。
「幼少期の話」
「子供の頃の話を聞いて、どうするつもり…?」
何か企んでいるに違いないと身構える私を横目に、天城は体を起こした。
「知りたいから」
そして私の方に向いた。
「お前のことを」
顔に血液が集まるのが分かった。と、同時に小さな動物がまたお腹の中で飛び跳ねた。
「真剣に向き合いたいって、言った」
こっちは心臓が暴れているというのに、相変わらず天城は無表情のままだ。
(最近の高校生はこんなに直球なの?)
ざわついている心臓を悟れないように私は目を逸らした。
「申し訳ないけど…」
小さな声で私は言った。
「ご存じのとおり、中身は26歳なの。だから高校生と、これ以上親しくなるのは正直難しい」
「白石透は高校生なのに?」
眉をひそめて天城が言った。
「ええ。これは私の問題ね」
焼けて色が変わっているかつては水色だっただろう足元のサンダルを見つめながら言った。
「彼氏がいたのか?」
何の躊躇もなく天城はプライベートな部分を聞いてくる。
「いないけど…」
「忘れられない人がいるとか?」
「違うわよ」
「今まで何人と付き合った?」
「なんでそこまで聞くの」
私は呆れたように天城の顔を見た。天城はただ短く「知りたいから」とだけ答える。
「高校生を受け入れられないのは、生前のこととは全く関係ない。ただ、10歳も年下の子供を相手に…」
そこまで言って私は口をつぐんだ。天城の顔が険しくなっている。
(“子供”は、禁止ワードか)
「反対の立場で考えてみて。自分より10歳下の子のこと好きになれる?」
私の言葉を聞いて素直に想像している天城は、少し間を置いたあとすぐに言った。
「…無理」
「でしょ」
(天城の10コ下って言ったら、8歳か?こう考えるとヤバいな…)
「でも、お前は高校生だ」
「いや、まあそうなんだけど」
同じ場所をぐるぐる回っている気がする。
「俺と向き合えないのは、俺が高校生だから?」
「そうね」
「他の理由は?」
天城が強めに聞いた。
「他の理由?特に思いつかないけど…」
どういう意図で聞いているのか分からず、私はそのまま答えた。
「よく分かった」
そう言うと静かに天城は立ち上がった。
「分かったって…」
彼の動きを目で追う。突然吹いた爽やかな夜風が、天城の黒髪を揺らした。月明りに照らされた顔があまりに綺麗だったので、私は思わず息を呑んだ。心臓が仕事を思い出したかのようにドクドクと鳴り始めた。
「先に戻る」
天城はそれだけ言うと、ガラス扉を開け、榊のいびきが響く部屋へと戻って行った。
私はまだ落ち着きのない胸を押さえ、深呼吸をした。
(高校生相手になにときめいてんの。しっかりしろ、私)
しかしどんなに深呼吸をしても、布団に戻るまで心臓は暴れたままだった。
たき火や手持ちの花火まで楽しんだあと、近くに温泉があると聞き、開放的な貸切風呂を楽しんだその夜。
私は眠れずに何度も寝返りを打っていた。同じ部屋に寝ている未央は、既に安らかな寝息を立てている。6回目の寝返りをしたあと、私は静かに体を起こした。
音を立てないように襖をゆっくりと開けると、短い廊下が出現した。二つ隣の部屋からは、榊の豪快ないびきが聞こえて来た。
縁側のように幅のある廊下の下に仕舞われていたサンダルを履き、ガラス張りの扉を開けると、夏の夜風が頬を撫でた。
うんと伸びをした拍子に迫力満点の星空が目に入った。
「わぁ。懐かしい…」
思わず言葉が口をついて出た。
両親の元に住んでいた時には、よく見た光景だった。暗闇が怖く、夜になると外に出たがらない子供だったが、父親に誘われて星空を見た時には心から感動した。
また、よく縁側に座って、七輪で焼いた海苔を食べながら、蛍を見たことを思い出す。
涙がにじみはじめ、私は頭を振った。
(田舎に来たせいか、どうも感慨深くなる…)
伊坂家は大きな一軒家だったが、離れとの間に、人が4、5人は寝転がれるだろう四角い縁台が置いてあった。日中、そこに伊坂の母が野菜を干していたのを見かけたが、今はそれが取り除かれた代わりに、誰かが静かに座っていた。
「眠れないの?」
私が近づくと、彼は驚いたように振り返った。
「榊がうるさい」
天城は短くそう言うと、また空を見上げた。
「なるほど」
私も縁台に座ると、同じように夜空を見上げた。
生ぬるい夜風が吹き、蝉の大合唱が夜の世界を支配している。
「平気なんだ、この暗さ」
しばらくの沈黙のあと、天城が言った。
月明りが足元を照らしている。外灯が少ないとは言え、“離れ”から漏れている光や伊坂家の玄関の電気が点いているので、真っ暗闇という訳ではない。
「安心する暗さかな」
「なんで暗闇が怖い?」
天城は縁台の上にごろりと寝転ぶ。私は、未だ夜空から目を離さずに言った。
「・・・トラウマがあるの。小さい頃、家族や友達と山に遊びに行って、その帰りに迷子になった。親ともはぐれちゃって、一人ぼっちで森の中をさまよう羽目になって。数時間後に、捜索隊が洞窟の中で眠っている私を見つけてくれた。当時の記憶はあまり残ってないんだけど、おそらくそれが原因で今も暗い所が怖…」
そこまで言いかけて私は我に返った。
(・・・なぜ、私は天城にこんな話を)
ちらりと天城の顔を見るが、目を瞑っているせいか何も読み取れない。
「そんな経験してたら、誰でも恐怖症になる」
からかわれるかと覚悟していたが、驚いたことに天城は同情を示した。
「あなたは?怖いものはある?」
思わずそう聞いていた。
目を開いた天城が馬鹿にしたように言った。
「怖いものがない奴なんかいるか」
「あら、何が怖いの?」
笑みが漏れ出るのに気づかれないように、私は平静を繕った。
「言わない」
天城は冷たく言い放った。
(ち。こっちの弱みだけ握るつもりか…)
私は天城から視線を外すと、また夜空に目を向けた。雲一つない晴天で、明日もいい天気になりそうだ。
「他には?」
天城がまた聞いた。
「他にはって?」
私はまた天城の方を向いた。
「幼少期の話」
「子供の頃の話を聞いて、どうするつもり…?」
何か企んでいるに違いないと身構える私を横目に、天城は体を起こした。
「知りたいから」
そして私の方に向いた。
「お前のことを」
顔に血液が集まるのが分かった。と、同時に小さな動物がまたお腹の中で飛び跳ねた。
「真剣に向き合いたいって、言った」
こっちは心臓が暴れているというのに、相変わらず天城は無表情のままだ。
(最近の高校生はこんなに直球なの?)
ざわついている心臓を悟れないように私は目を逸らした。
「申し訳ないけど…」
小さな声で私は言った。
「ご存じのとおり、中身は26歳なの。だから高校生と、これ以上親しくなるのは正直難しい」
「白石透は高校生なのに?」
眉をひそめて天城が言った。
「ええ。これは私の問題ね」
焼けて色が変わっているかつては水色だっただろう足元のサンダルを見つめながら言った。
「彼氏がいたのか?」
何の躊躇もなく天城はプライベートな部分を聞いてくる。
「いないけど…」
「忘れられない人がいるとか?」
「違うわよ」
「今まで何人と付き合った?」
「なんでそこまで聞くの」
私は呆れたように天城の顔を見た。天城はただ短く「知りたいから」とだけ答える。
「高校生を受け入れられないのは、生前のこととは全く関係ない。ただ、10歳も年下の子供を相手に…」
そこまで言って私は口をつぐんだ。天城の顔が険しくなっている。
(“子供”は、禁止ワードか)
「反対の立場で考えてみて。自分より10歳下の子のこと好きになれる?」
私の言葉を聞いて素直に想像している天城は、少し間を置いたあとすぐに言った。
「…無理」
「でしょ」
(天城の10コ下って言ったら、8歳か?こう考えるとヤバいな…)
「でも、お前は高校生だ」
「いや、まあそうなんだけど」
同じ場所をぐるぐる回っている気がする。
「俺と向き合えないのは、俺が高校生だから?」
「そうね」
「他の理由は?」
天城が強めに聞いた。
「他の理由?特に思いつかないけど…」
どういう意図で聞いているのか分からず、私はそのまま答えた。
「よく分かった」
そう言うと静かに天城は立ち上がった。
「分かったって…」
彼の動きを目で追う。突然吹いた爽やかな夜風が、天城の黒髪を揺らした。月明りに照らされた顔があまりに綺麗だったので、私は思わず息を呑んだ。心臓が仕事を思い出したかのようにドクドクと鳴り始めた。
「先に戻る」
天城はそれだけ言うと、ガラス扉を開け、榊のいびきが響く部屋へと戻って行った。
私はまだ落ち着きのない胸を押さえ、深呼吸をした。
(高校生相手になにときめいてんの。しっかりしろ、私)
しかしどんなに深呼吸をしても、布団に戻るまで心臓は暴れたままだった。