悲劇のフランス人形は屈しない3
ヒールの音を響かせ扉から出て来た少女の姿に私は息を呑んだ。腰まで伸びた栗毛色のウェーブした髪に、雪のように白い肌。睫毛の長いくるみのような瞳に、桃色の唇。花びらをあしらった春らしいピンク色のワンピースを着ている。蝶々の飾りが付いたハイヒールを履いているのに、自分の顎までしかない低身長が見てとれた。
「る、るーちゃん…?」
無意識に言葉が飛び出した。
生きたフランス人形のような白石透は、その言葉を聞くとクスクスと笑った。
「未だにそのあだ名、聞きなれないわね」
透明感のある澄んだ声に、全身が震えた。
「ほ、本物…?」
「ええ。本物よ」
白石透がそう言うが早いか、私は自分の両頬を思いっきりひっぱたいた。
その行動に、男の子と白石透がぎょっとしたのが分かったが、今はそんなことを気にしているヒマはない。
「い、痛くない…。やっぱり夢…?」
「魂が肉体から離れている状態だから痛みは感じないだろうね。るーちゃん、そこ座って」
ぷっくりとした手で私の隣を指し示しながら、少年が言った。
いつ出現したのか分からないもう一つの一人用ソファーに、ちょこんと白石透が座った。気のせいだろうか。彼女から甘い花の香りが漂って来る。
(ち、近い…)
凝視したい衝動と、眩しすぎて目が向けられない葛藤で、全身から変な汗が噴き出した。
(そこいらの芸能人より緊張する…!)
震えている手に気づかれないように、強く拳を握りしめた。
「あの。凛子さんと、呼んでもよろしいですか?」
「え!はい!もう何とでも!ちゃん付けでもいいですし!むしろ、呼び捨てでも!」
私は隣が向けずに、少年に顔を向けたまま大声で言った。
「…ちゃん付け」
白石透が首を傾げている様子が、目に浮かぶ。
「凛ちゃん?」
「はいっ!最高ですっ!」
私は勢いよく立ち上がってしまった。
「君、面白すぎるでしょ…!」
もはや少年は机に突っ伏して爆笑している。
「す、すみません。つい興奮してしまい…」
恥ずかしさで顔に血が上るのが分かった。しずしずと椅子に戻る。
「ここまで好かれてるって珍しいことだよ」
指で涙を拭きながら少年は、白石透の方を向いた。
「ええ、そうね。彼女で本当によかったと思うわ」
それから細い手を私の手に重ねた。あまりの白さに自分の手がより黒く見える。
「ずっと貴女とお話がしたいと思っていたの」
「わ、私もまさかるーちゃん本人と話が…」
そこまで言いかけて、私ははたと止まった。
「あれ?でも、るーちゃんは漫画の中の人物で、架空の…」
頭が混乱して来た。
「そうだね。まずは、そこから話そうか」
少年が何やら機械を取り出し、後ろのスクリーンに映像を映し出した。杉崎凛子と白石透、二人の年代表が大きくアップされた。
「白石透は実在する人物なんだ。だけど、君も知っているように一度命を落としている。偶然にも、君、つまり杉崎凛子も同じ日の同じ時間帯に事故で亡くなっているんだ」
「実在…?ということは、漫画は事実を描いていたということ?」
私は隣に座っているフランス人形を見つめた。彼女はゆっくりと頷いた。
「ええ。そして、あの漫画は描いたのは貴女もご存じの人」
「私も知ってる人…?」
あんなに綺麗な絵を描ける人が近くにいたとは。
脳内で出会った登場人物を思い返してみるが、思い当たる節はない。そして、白石透の口から思いがけない人物の名前が出た。
「伊坂さんよ」
「い、伊坂さん…!?」
驚きのあまり声が裏返った。
「ええ。漫画では登場しなかった彼女だけど、実は卒業まで同じ真徳高校にいたわ。ただ、彼女とそこまで仲良くした覚えはないのよ。一度家に招待したことがある程度で」
「ちょ、ちょっと待って。どうして…」
聞きたいことが多すぎて言葉にならない。頭に手を当て、今聞いた言葉を整理しようとする。
「るーちゃんもその他の登場人物も実際に存在する人で、ウェブ漫画の〈悲劇のフランス人形〉は伊坂さんの手によって描かれたもの?」
「ええ。厳密に言うと、私の日記を、伊坂さんが勝手に漫画にしたのだけど。私は自分のことフランス人形なんて言わないわ」
小馬鹿にしたように笑う白石透の顔を見つめた。その笑顔の奥に、人との接し方を知らずに横柄な態度を取っていた昔の白石透を見た気がした。
「私は学校や家で受けた嫌がらせを日記に書きなぐっていた。私が自殺したあと、伊坂さんが私の部屋でその日記を見つけた。それを彼女は、きっと良かれと思って勝手に漫画にしたのね。だいぶ脚色されていたけど、あんなに絵を描くのが上手だなんて知らなかったわ。そもそもそこまで仲良くなかったから、何も知らないのは無理もないわよね」
白石透は頬に手を当て、自問自答している。私は構わず続けた。
「でも待って。もし事実を描いていた漫画なのであれば、実名を使われている人、例えば西園寺や藤堂、もちろん天城にも気づかれるんじゃない?そしたら絶対に問題に…」
婚約者を呼び捨てにする私がおかしいのか、白石透は一瞬頬を緩めた。
「その通りよ。だから、今はネット上から完全に消されてる。西園寺は今でも血なまこになって原作者を探しているようだけど、伊坂さんはうまいこと姿を隠しているみたい。危険を犯してまで、あんなことをするなんて変な正義感でもあったのかしら?」
白石透はどこか他人事で小さなため息を吐いている。
私はというと、何となく漫画が描かれた経緯が理解できたものの、まだ頭の中は混乱状態だった。
「続きを話してもいいかな?」
私たちの会話が途切れるのを待っていた少年が口を開いた。
「実は君たち二人とも、上からもう一度同じ体に転生することが認められていたんだ。ただ、同じタイミングで転送日が決まったせいか、魂の入れ違いが発生した」
「た、魂の入れ違い?」
「そう。本当はね、凛ちゃんは杉崎凛子に、るーちゃんは白石透に戻る予定だった」
少年は続けた。
「上から転生先と転送日が発表されると、“転送カプセル”に入ることになる。そこに転生先と日付を入力し、魂が転送されるシステムになっている。君たちの場合、悲しい事故を事前に防げるように少し時間を巻き戻していた。凛ちゃんの場合は、事故が起こる数日前に。そしてるーちゃんの場合は、まだやり直しが利く年に」
少年は続けた。
「しかし、そこで入れ違いが起きてしまった。僕が少し目を離した隙に、凛ちゃんが間違ってるーちゃんのカプセルに入ってしまった」
「わ、私が…!?」
自分の口があんぐりと開くのが分かった。
「本来なら一人ずつ転送するからこんなことは起きない。でも今回は特例で、二人同時に転送する予定だった」
そう言った時、少年がちらりと白石透を見たのが分かった。
「だから、用意されたカプセルも二つだったんだ。そして、僕が気づいた時には、既に凛ちゃんは転生先に送られ、白石透として目覚めていた。完全に僕の監督が行き届いてなかったんだ。ごめんね」
目を伏せて謝る小学生に、心が痛くなる。
「いや、間違えたのは私で…」
少年は、苦笑いしながら頭を掻いた。
「最初は慌てたけど、白石透になった凛ちゃんの生活をしばらくここから見守ることにした。もちろん、ここに残されたるーちゃんと一緒にね。君をこの世界に連れて来るには、もう一度、生死の境を歩まないといけないから。それはさすがに可哀想だと思って。まだ倉庫で下敷きになった記憶も新しいのに」
「な、なるほど…」
(私の手違いでるーちゃんの体に転生してしまい、西園寺に突き落とされ危篤状態になったことによってまたこの中間の世界に戻って来た、ということか)
私の考えはこの世界では筒抜けになるのか、少年が頷いた。
「そういうこと。だからこそ、選択肢が増えてしまった。杉崎凛子に戻るか、白石透として生きるか。この二択」
「で、でも、そもそも私がカプセルを間違えてしまったせいで、るーちゃんの人生を奪ってしまったんだよね。私は杉崎凛子に戻る選択肢しかないと思うんだけど・・・」
少年の瞳が私から隣に移った。
「彼女はそう言ってるよ。やっぱり二人で話した方が良さそうだね」
「ええ。そうね」
静かに聞いていた白石透はすっと立ち上がると、私の方を向いた。
「少しお話する時間を頂けない?」
「る、るーちゃん…?」
無意識に言葉が飛び出した。
生きたフランス人形のような白石透は、その言葉を聞くとクスクスと笑った。
「未だにそのあだ名、聞きなれないわね」
透明感のある澄んだ声に、全身が震えた。
「ほ、本物…?」
「ええ。本物よ」
白石透がそう言うが早いか、私は自分の両頬を思いっきりひっぱたいた。
その行動に、男の子と白石透がぎょっとしたのが分かったが、今はそんなことを気にしているヒマはない。
「い、痛くない…。やっぱり夢…?」
「魂が肉体から離れている状態だから痛みは感じないだろうね。るーちゃん、そこ座って」
ぷっくりとした手で私の隣を指し示しながら、少年が言った。
いつ出現したのか分からないもう一つの一人用ソファーに、ちょこんと白石透が座った。気のせいだろうか。彼女から甘い花の香りが漂って来る。
(ち、近い…)
凝視したい衝動と、眩しすぎて目が向けられない葛藤で、全身から変な汗が噴き出した。
(そこいらの芸能人より緊張する…!)
震えている手に気づかれないように、強く拳を握りしめた。
「あの。凛子さんと、呼んでもよろしいですか?」
「え!はい!もう何とでも!ちゃん付けでもいいですし!むしろ、呼び捨てでも!」
私は隣が向けずに、少年に顔を向けたまま大声で言った。
「…ちゃん付け」
白石透が首を傾げている様子が、目に浮かぶ。
「凛ちゃん?」
「はいっ!最高ですっ!」
私は勢いよく立ち上がってしまった。
「君、面白すぎるでしょ…!」
もはや少年は机に突っ伏して爆笑している。
「す、すみません。つい興奮してしまい…」
恥ずかしさで顔に血が上るのが分かった。しずしずと椅子に戻る。
「ここまで好かれてるって珍しいことだよ」
指で涙を拭きながら少年は、白石透の方を向いた。
「ええ、そうね。彼女で本当によかったと思うわ」
それから細い手を私の手に重ねた。あまりの白さに自分の手がより黒く見える。
「ずっと貴女とお話がしたいと思っていたの」
「わ、私もまさかるーちゃん本人と話が…」
そこまで言いかけて、私ははたと止まった。
「あれ?でも、るーちゃんは漫画の中の人物で、架空の…」
頭が混乱して来た。
「そうだね。まずは、そこから話そうか」
少年が何やら機械を取り出し、後ろのスクリーンに映像を映し出した。杉崎凛子と白石透、二人の年代表が大きくアップされた。
「白石透は実在する人物なんだ。だけど、君も知っているように一度命を落としている。偶然にも、君、つまり杉崎凛子も同じ日の同じ時間帯に事故で亡くなっているんだ」
「実在…?ということは、漫画は事実を描いていたということ?」
私は隣に座っているフランス人形を見つめた。彼女はゆっくりと頷いた。
「ええ。そして、あの漫画は描いたのは貴女もご存じの人」
「私も知ってる人…?」
あんなに綺麗な絵を描ける人が近くにいたとは。
脳内で出会った登場人物を思い返してみるが、思い当たる節はない。そして、白石透の口から思いがけない人物の名前が出た。
「伊坂さんよ」
「い、伊坂さん…!?」
驚きのあまり声が裏返った。
「ええ。漫画では登場しなかった彼女だけど、実は卒業まで同じ真徳高校にいたわ。ただ、彼女とそこまで仲良くした覚えはないのよ。一度家に招待したことがある程度で」
「ちょ、ちょっと待って。どうして…」
聞きたいことが多すぎて言葉にならない。頭に手を当て、今聞いた言葉を整理しようとする。
「るーちゃんもその他の登場人物も実際に存在する人で、ウェブ漫画の〈悲劇のフランス人形〉は伊坂さんの手によって描かれたもの?」
「ええ。厳密に言うと、私の日記を、伊坂さんが勝手に漫画にしたのだけど。私は自分のことフランス人形なんて言わないわ」
小馬鹿にしたように笑う白石透の顔を見つめた。その笑顔の奥に、人との接し方を知らずに横柄な態度を取っていた昔の白石透を見た気がした。
「私は学校や家で受けた嫌がらせを日記に書きなぐっていた。私が自殺したあと、伊坂さんが私の部屋でその日記を見つけた。それを彼女は、きっと良かれと思って勝手に漫画にしたのね。だいぶ脚色されていたけど、あんなに絵を描くのが上手だなんて知らなかったわ。そもそもそこまで仲良くなかったから、何も知らないのは無理もないわよね」
白石透は頬に手を当て、自問自答している。私は構わず続けた。
「でも待って。もし事実を描いていた漫画なのであれば、実名を使われている人、例えば西園寺や藤堂、もちろん天城にも気づかれるんじゃない?そしたら絶対に問題に…」
婚約者を呼び捨てにする私がおかしいのか、白石透は一瞬頬を緩めた。
「その通りよ。だから、今はネット上から完全に消されてる。西園寺は今でも血なまこになって原作者を探しているようだけど、伊坂さんはうまいこと姿を隠しているみたい。危険を犯してまで、あんなことをするなんて変な正義感でもあったのかしら?」
白石透はどこか他人事で小さなため息を吐いている。
私はというと、何となく漫画が描かれた経緯が理解できたものの、まだ頭の中は混乱状態だった。
「続きを話してもいいかな?」
私たちの会話が途切れるのを待っていた少年が口を開いた。
「実は君たち二人とも、上からもう一度同じ体に転生することが認められていたんだ。ただ、同じタイミングで転送日が決まったせいか、魂の入れ違いが発生した」
「た、魂の入れ違い?」
「そう。本当はね、凛ちゃんは杉崎凛子に、るーちゃんは白石透に戻る予定だった」
少年は続けた。
「上から転生先と転送日が発表されると、“転送カプセル”に入ることになる。そこに転生先と日付を入力し、魂が転送されるシステムになっている。君たちの場合、悲しい事故を事前に防げるように少し時間を巻き戻していた。凛ちゃんの場合は、事故が起こる数日前に。そしてるーちゃんの場合は、まだやり直しが利く年に」
少年は続けた。
「しかし、そこで入れ違いが起きてしまった。僕が少し目を離した隙に、凛ちゃんが間違ってるーちゃんのカプセルに入ってしまった」
「わ、私が…!?」
自分の口があんぐりと開くのが分かった。
「本来なら一人ずつ転送するからこんなことは起きない。でも今回は特例で、二人同時に転送する予定だった」
そう言った時、少年がちらりと白石透を見たのが分かった。
「だから、用意されたカプセルも二つだったんだ。そして、僕が気づいた時には、既に凛ちゃんは転生先に送られ、白石透として目覚めていた。完全に僕の監督が行き届いてなかったんだ。ごめんね」
目を伏せて謝る小学生に、心が痛くなる。
「いや、間違えたのは私で…」
少年は、苦笑いしながら頭を掻いた。
「最初は慌てたけど、白石透になった凛ちゃんの生活をしばらくここから見守ることにした。もちろん、ここに残されたるーちゃんと一緒にね。君をこの世界に連れて来るには、もう一度、生死の境を歩まないといけないから。それはさすがに可哀想だと思って。まだ倉庫で下敷きになった記憶も新しいのに」
「な、なるほど…」
(私の手違いでるーちゃんの体に転生してしまい、西園寺に突き落とされ危篤状態になったことによってまたこの中間の世界に戻って来た、ということか)
私の考えはこの世界では筒抜けになるのか、少年が頷いた。
「そういうこと。だからこそ、選択肢が増えてしまった。杉崎凛子に戻るか、白石透として生きるか。この二択」
「で、でも、そもそも私がカプセルを間違えてしまったせいで、るーちゃんの人生を奪ってしまったんだよね。私は杉崎凛子に戻る選択肢しかないと思うんだけど・・・」
少年の瞳が私から隣に移った。
「彼女はそう言ってるよ。やっぱり二人で話した方が良さそうだね」
「ええ。そうね」
静かに聞いていた白石透はすっと立ち上がると、私の方を向いた。
「少しお話する時間を頂けない?」