悲劇のフランス人形は屈しない3
外は暑すぎるため、伊坂の部屋を借りることになった。畳の部屋に、勉強机と洋服のラックがあるだけだったが、一つだけ目を引くものがあった。濃い青のワンピースドレス。藤堂茜の誕生日パーティーに行った時に、私が伊坂にプレゼントしたものだった。
「これ、貴女が買ってあげたものでしょう。藤堂さんから伊坂さんを守るために」
私の視線に気がついたのか、凛子が言った。
凛子の隣に立って、ふと思った。
並んでみると、凛子の身長の高さが良く分かる。少しジャンプするだけで、部屋の天井に頭がついてしまいそうだ。思わず口からついて言葉が出た。
「私ってこんなデカかったんだ…」
凛子がドレスから目を離し、私の方に顔を向けた。私はハッと口に手を当てた。
「い、今のは…」
「大丈夫よ、凛ちゃん。私も全て覚えているから」
「え?」
私は凛子の顔をまじまじと見つめた。
「本当に全て。あの中間の世界のことも」
“中間の世界”
その言葉を聞いた瞬間に、全ての記憶が蘇った。小学生のような姿のシン君に出会ったことも、白石透と人生を交換することを決めてカプセルに入ったことも。
「る、るーちゃん…!?るーちゃんなの?」
私は自分より20センチ以上も高い、凛子を見上げた。
「ええ」
凛子は優しい笑顔で頷く。
「会いたかった・・・」
「私もよ」
しばらくの間、私たちはお互いの存在を感じながら抱きしめ合った。
「今は何してるの?」
伊坂のベッドに腰をおろし、私は隣に座っている凛子に尋ねた。
「やっぱり倉庫業務?」
凛子は軽く笑うと首を振った。
「あの会社は辞めたわ。今はモデル業をしている傍ら、農業の勉強を始めてる」
「も、モデル…?」
私は自分の耳を疑った。
「ええ。私ずっと身長が高い人に憧れてたの。凛ちゃんの体になってから、何でも服が似合うようになって、ファッションを楽しんでいたら、街でスカウトされたのよ。凛ちゃんはいい素材を持っているのよ。今までは服装がちょっと…不思議だっただけで」
ファッションセンスを遠回しにディスられた気がするが、それについてはコメントしないでおいた。白石透になった今でも、ファッションに全く興味がなく、クローゼットにある服しか着ていない。ただ、有り余るほどあるだけでなく、母親がどんどん買って来るので、同じ服を着ることはほとんどないが。
「でも、モデルだなんて…」
元自分の体で思い切ったことをした白石透に舌を巻く。
「それで、凛ちゃんの方は?進路は決められた?」
上手く話題を切り替えられたと思ったが、私は頷いた。
「大学で経済学を学ぶつもり」
「経済を?どうして?」
凛子は、興味津々に尋ねた。
「将来、自分で事業を立ち上げたいと思って…」
「へえ!」
面白そうに凛子は眉を上げた。
「レストランとかかしら?まどかによく食事を作っていたわね。羨ましかったわ」
“中間の世界”で長いこと私を上から監視していた白石透は、何でも知っている。
「まだ何の事業かは決めていないんだけど。私が目指している大学では、学部の垣根を超えてカリキュラムを組めるみたいなの。だから、興味があるものは何でもやってみようかと思って」
「素敵ね」
上品に反応する凛子の姿に、お嬢様だった頃の白石透の姿が見え隠れする。
(私であって、もう私ではない)
昔白石透が言ったことをふと思い出した。
「凛ちゃんが開いたレストランに行けたら最高ね」
どこか夢見がちで凛子は言った。
「そう言えば」
ぱっとこちらを向いた凛子。
「さっきの金髪の彼。私たちの秘密を知っているのよね。挨拶した方がいいかしら?」
「榊?ううん、しなくて良いと思う」
私はすぐさま首を横に振った。
「榊が絡むと面倒なことになりかねない」
それに、秘密を知っている残りの三人は、今の目の前にいる杉崎凛子が、いつか榊が口走った〈凛ちゃん〉だとは気づいていなさそうだ。変に暴露してかき回したくはない。
「そう?良い人だと思うけど」
凛子は頬に手を当てて言った。
「良い人?」
「ええ。だって、大きな秘密を信じてくれた子でしょ。そしてずっと側にいてくれた。あんな良い人、探しても見つからないわ」
私の秘密を知った榊は、完全に新しいおもちゃを見つけた子供のようだったが。そう言われて見ると、確かに彼の存在は私にとってかなり大きい。
「本当、いい友達に恵まれたわね」
私の表情が変わったのを見て、凛子はくすりと笑った。
「いつか彼と話せる日が来るかしら」
遠くを見つめながら、凛子はどこか楽しそうに言った。
後に、榊は凛子に自分から挨拶をし、「凛子さん」と呼ぶまでに至るが、それはもう少し先のことである。
時計の針が3時を指した頃、私は意を決して、凛子に向いた。
どのタイミングで言えばいいか分からなかったが、どうしても聞きたいことが一つあった。山奥に来てから、今までにないくらい何度も反芻した彼らの姿。
「るーちゃん。私の両親はどうしてる…?」
凛子ははたと動きを止めると、眉尻を下げて言った。
「気が使えなくて、ごめんなさい。凛ちゃんは、両親の姿を見れなかったものね」
中間の世界で、白石透は嫌というほど両親の姿を見たことだろう。以前、母親が私をいびる度に胸を痛めたと話してくれたことがあった。
凛子は、少し間を置いてから言った。
「この後、会いに行かない?」
「これ、貴女が買ってあげたものでしょう。藤堂さんから伊坂さんを守るために」
私の視線に気がついたのか、凛子が言った。
凛子の隣に立って、ふと思った。
並んでみると、凛子の身長の高さが良く分かる。少しジャンプするだけで、部屋の天井に頭がついてしまいそうだ。思わず口からついて言葉が出た。
「私ってこんなデカかったんだ…」
凛子がドレスから目を離し、私の方に顔を向けた。私はハッと口に手を当てた。
「い、今のは…」
「大丈夫よ、凛ちゃん。私も全て覚えているから」
「え?」
私は凛子の顔をまじまじと見つめた。
「本当に全て。あの中間の世界のことも」
“中間の世界”
その言葉を聞いた瞬間に、全ての記憶が蘇った。小学生のような姿のシン君に出会ったことも、白石透と人生を交換することを決めてカプセルに入ったことも。
「る、るーちゃん…!?るーちゃんなの?」
私は自分より20センチ以上も高い、凛子を見上げた。
「ええ」
凛子は優しい笑顔で頷く。
「会いたかった・・・」
「私もよ」
しばらくの間、私たちはお互いの存在を感じながら抱きしめ合った。
「今は何してるの?」
伊坂のベッドに腰をおろし、私は隣に座っている凛子に尋ねた。
「やっぱり倉庫業務?」
凛子は軽く笑うと首を振った。
「あの会社は辞めたわ。今はモデル業をしている傍ら、農業の勉強を始めてる」
「も、モデル…?」
私は自分の耳を疑った。
「ええ。私ずっと身長が高い人に憧れてたの。凛ちゃんの体になってから、何でも服が似合うようになって、ファッションを楽しんでいたら、街でスカウトされたのよ。凛ちゃんはいい素材を持っているのよ。今までは服装がちょっと…不思議だっただけで」
ファッションセンスを遠回しにディスられた気がするが、それについてはコメントしないでおいた。白石透になった今でも、ファッションに全く興味がなく、クローゼットにある服しか着ていない。ただ、有り余るほどあるだけでなく、母親がどんどん買って来るので、同じ服を着ることはほとんどないが。
「でも、モデルだなんて…」
元自分の体で思い切ったことをした白石透に舌を巻く。
「それで、凛ちゃんの方は?進路は決められた?」
上手く話題を切り替えられたと思ったが、私は頷いた。
「大学で経済学を学ぶつもり」
「経済を?どうして?」
凛子は、興味津々に尋ねた。
「将来、自分で事業を立ち上げたいと思って…」
「へえ!」
面白そうに凛子は眉を上げた。
「レストランとかかしら?まどかによく食事を作っていたわね。羨ましかったわ」
“中間の世界”で長いこと私を上から監視していた白石透は、何でも知っている。
「まだ何の事業かは決めていないんだけど。私が目指している大学では、学部の垣根を超えてカリキュラムを組めるみたいなの。だから、興味があるものは何でもやってみようかと思って」
「素敵ね」
上品に反応する凛子の姿に、お嬢様だった頃の白石透の姿が見え隠れする。
(私であって、もう私ではない)
昔白石透が言ったことをふと思い出した。
「凛ちゃんが開いたレストランに行けたら最高ね」
どこか夢見がちで凛子は言った。
「そう言えば」
ぱっとこちらを向いた凛子。
「さっきの金髪の彼。私たちの秘密を知っているのよね。挨拶した方がいいかしら?」
「榊?ううん、しなくて良いと思う」
私はすぐさま首を横に振った。
「榊が絡むと面倒なことになりかねない」
それに、秘密を知っている残りの三人は、今の目の前にいる杉崎凛子が、いつか榊が口走った〈凛ちゃん〉だとは気づいていなさそうだ。変に暴露してかき回したくはない。
「そう?良い人だと思うけど」
凛子は頬に手を当てて言った。
「良い人?」
「ええ。だって、大きな秘密を信じてくれた子でしょ。そしてずっと側にいてくれた。あんな良い人、探しても見つからないわ」
私の秘密を知った榊は、完全に新しいおもちゃを見つけた子供のようだったが。そう言われて見ると、確かに彼の存在は私にとってかなり大きい。
「本当、いい友達に恵まれたわね」
私の表情が変わったのを見て、凛子はくすりと笑った。
「いつか彼と話せる日が来るかしら」
遠くを見つめながら、凛子はどこか楽しそうに言った。
後に、榊は凛子に自分から挨拶をし、「凛子さん」と呼ぶまでに至るが、それはもう少し先のことである。
時計の針が3時を指した頃、私は意を決して、凛子に向いた。
どのタイミングで言えばいいか分からなかったが、どうしても聞きたいことが一つあった。山奥に来てから、今までにないくらい何度も反芻した彼らの姿。
「るーちゃん。私の両親はどうしてる…?」
凛子ははたと動きを止めると、眉尻を下げて言った。
「気が使えなくて、ごめんなさい。凛ちゃんは、両親の姿を見れなかったものね」
中間の世界で、白石透は嫌というほど両親の姿を見たことだろう。以前、母親が私をいびる度に胸を痛めたと話してくれたことがあった。
凛子は、少し間を置いてから言った。
「この後、会いに行かない?」