悲劇のフランス人形は屈しない3
第四章 秋
進路
気がつくと夏休みが終わっていた。
バーベキューをした以外には大きな予定は入れず、ほとんど毎日勉強していた。しかし、気分転換にまどかを連れて外へ遊びに行ったこともあった。私が昏睡状態の時に、妹とどんな話をしたかは定かではないが、私たちが一緒にいても母親は何も言わなくなった。時々、海外から戻って来ては、私の様子を観察していたが、大学を受験すると言っても反対も肯定もせずただ「好きにしなさい」とだけ言った。父親に関しては、自分の娘が事故にあったことがよほどショックだったのか、家にいる時間が増えた。知星大学を受けると言った時には、かなり驚いた様子だったが、必要なものはないかしつこく聞いて来た。今まで一人の力でやって来たものの、限界があると思い、遅いながらも、塾に通わせてもらえることになった。まどかは、その決定について反対のようだったが、塾には他に天城や蓮見もいると伝えると渋々OKを出した。レベルの高い大学受験を目指している塾だけあって、朝から晩まで缶詰状態で講義を行う日もあり、毎日出される宿題をこなすだけでほぼ休みが終わった。
夏休みが明けた、数週間後。学校はやっと受験ムードになった。早い生徒で9月の後半から面接の試験が始まる。ほぼ合格は確定したと言っても過言ではないが、やはり緊張している生徒が多い。
クラス内にも夏休み気分を引きずっている生徒は少なく、先輩から貰ったであろう過去の質問集を、互いに頭を寄せ合って読んでいるグループが目立った。郡山やその取り巻きも、その質問集を元に面接の練習をしている。
取り巻きの一人が言った。
「では、志望理由を教えて下さい」
郡山は椅子に座り直し、固い表情で答えた。
「母が真徳大学出身です。話を聞いたところ、ここでは学べることが沢山あると思い志望しました。また抱負なカリキュラムも魅力的で、この大学に入学したら一生懸命勉強したいと思います」
「うん、完璧ね!絶対合格よ」
「ほんと!?」
「ええ!」
(どこがや…)
嬉しそうに取り巻きとはしゃぐ郡山をちらりと見て、私は思わず突っ込んでいた。
(薄っぺらい回答で受かるのだから、お金の力は怖い)
私は頭を振り、目の前の参考書に視線を戻した。しかし、すぐに左隣を見る。そこには、自習時間だからと、教科書を枕にして眠っている榊がいた。
(学校内試験がないとは言え…)
真徳高校は、いつも夏休み明けに校内試験がある。しかし、休みが明けてから真徳大学の面接試験を控えている生徒が多いため、なぜか校内試験が免除された。
(しかし)
私はしっかりと瞼を閉じている榊の顔を見た。
郡山でさえ迫る面接に緊張して練習しているというのに、なぜこんなにも余裕があるのか。
(やっぱりアメリカに帰るのか・・・?)
その時、私の視線を感じたのか榊が目を開いた。
「俺の寝顔に見惚れてたの?」
にやりと笑いながら榊が体を起こし、椅子の上でうんと伸びをした。
「惚れても無駄だぞ。俺は心に決めた奴がいるからな」
「受験前なのにずいぶん余裕だなと思って」
榊の言葉を無視して、私は言った。聞いていいものか迷う。未央ともう話は済んだのかどうかと。
「ああ。俺は推薦だから」
欠伸をしながら榊が言った。
「推薦?」
「おう。親父の知り合いの学長がいる大学に入る。親父の推薦で」
「つまり、コネ…」
私が小さく呟くと、榊はにやりと笑った。
「おうよ」
何の気負いもなく答える榊に私は複雑な気分だった。
(榊のお父さんって確かアメリカ在中。やはり、向こうに戻ることにしたんだ)
「そう」
私はそれだけ言うと、参考書に向いた。
「透は必死だな。そんなに試験が難しいのか?」
榊は机にうつ伏せになり、顔だけ私の方に向けた。
「ええ。全教科7割以上は確実に取らないとダメみたい」
小さなため息が出た。ここまで勉強したのは人生初だった。知識が増えることは嬉しいが、詰め込みすぎてパンクしそうな脳みそは毎日悲鳴を上げている。
「受かりそうか?」
全く書き込みのない自分の教科書をパラパラとめくり、興味なさそうに榊が聞いた。
「努力する」
「スポ根だな、さすが」
からかうように笑ったが、私は軽く肩をすくめるだけにしておいた。
その言葉もあながち間違ってはいない。生前は、根性だけで何でも乗り越えてきたのだから。
「これからは眠る時間も削って頑張るわ」
「透」
前の席で入試に向けて音楽史を読んでいた五十嵐が振り返った。
「時間はあっという間に過ぎちゃうよ。時間は有限なんだから、勉強だけに時間を取られるなんて勿体ない。どんな瞬間もちゃんと楽しまないと」
前髪の隙間から覗く瞳がこちらを見つめてくる。
突然まともなことを言った五十嵐に驚いて、私はしばらくぽかんとしてしまった。
「卒業したら、みんな離れ離れなんだよ」
「そうね」
私は真剣に頷いた。
「だから遊びに行こう!」
「お前は勉強に飽きただけだろう」
五十嵐の後ろ頭を丸めたノートでぽこんと叩きながら、蓮見が言った。
「あ、そういうことね」
いつになく哲学的な言葉を発したと思ったが、自分の勘違いだったらしい。
「カラオケ行こーよー」
「お前は歌わないだろ」
蓮見が五十嵐の机に座りながら言った。
「聞いているのが楽しい。特に壮真が歌っているのが」
「強烈な音痴だから」
五十嵐の隣で静かに勉強していた天城が話に入って来た。
「な、なんだよ!海斗だって…」
「海斗は上手い」と五十嵐。
「俺も上手いぜ!」
今度は榊が身を乗り出して言った。
「嘘。それは絶対嘘。お前は下手な顔をしている。絶対こっち側の人間だろ」
蓮見が榊の方を指さして言った。
「見た目で判断すんな!」
(うるさい…)
どんどん会話が盛り上げるにつれて、声も大きくなる。参考書の文字を読んでも中々頭に入って来ない。郡山とその取り巻きがこちらを睨んでいるのが分かった。しかし、受験前に変な騒動に巻き込まれたくないのか、榊が暴れるのを恐れているのか、今回は何も言って来なかった。
「透!俺、歌上手いよな!?」
突然、榊が私の方を向いた。
「知らないわよ。ってか、静かにして」
しかし私の言葉は誰の耳にも届いていない。
「俺のバラード聞いたら卒倒するぞ!」
「じゃあ、勝負するか?カラオケの採点機能で」
もはや仁王立ちになっている蓮見が言った。
「やめとけ。結果は目に見えてる」
天城はやれやれと首を振った。
「俺が榊なんかに負けるわけないだろ!」
「なんか、って何だよ!」
「カラオケは決まりだね」
事が上手く運んだのが嬉しいのか、満足そうに五十嵐が言った。
「いつ行く?」
「俺はいつでもいいぜ!」と気合満々の榊。
「透は?いつ空いてる?」
五十嵐が身を乗り出した。
会話を耳に入れないように努めていたが、同じところを4回ほど読んでいることに気づき、私はため息を吐いた。
「2月」
「はあ?だいぶ先だな」榊が驚いたように言った。「今まだ9月だぞ!」
「推薦組は知らないと思うけど、本試験が1月なの」
「その通りだけど、その間全く遊べないのはなんか寂しい気もする」
一気に気分が下がったのか、蓮見が悲しそうな表情を作った。
「あ」
五十嵐が手を上げた。
「来月の体育祭の後は?後夜祭を抜けて、カラオケ行くの」
「おお!いいな!」
真っ先に榊が賛成した。
(た、体育祭…?)
私は目の前の五十嵐を見つめた。
「…あの。受験生なのに、体育祭に参加しないといけないの?」
「うん。だって、真徳生の進路ってほとんど確定しているもん」
「いや、でも、外部を受験する人もいるじゃない…?」
理解が出来ず、私は目を瞬いた。
「透。考えてみろ」
いやに真剣な顔をしている榊が私の肩に手を置いた。
「体育祭だと、一日中スポーツが出来るんだぞ。しかも、学校行事で。受験勉強の気分転換になると思わないか?」
私ははっとした。
「そ、それもそうね…」
「おいしいだろ?」
強めに言う榊の言葉に、私は思わず頷いてしまった。
「じゃあ。決まりだね。体育祭のあとにカラオケで」
五十嵐が呑気に拍手をしている。
後になって知ったのだが、受験を控えている高校三年生は、体育祭の参加を強制されておらず、希望者だけ名前を提出するというものだった。勝手に白石透の名前を書かれていたとはこの時の私は微塵も想像していなかった。
バーベキューをした以外には大きな予定は入れず、ほとんど毎日勉強していた。しかし、気分転換にまどかを連れて外へ遊びに行ったこともあった。私が昏睡状態の時に、妹とどんな話をしたかは定かではないが、私たちが一緒にいても母親は何も言わなくなった。時々、海外から戻って来ては、私の様子を観察していたが、大学を受験すると言っても反対も肯定もせずただ「好きにしなさい」とだけ言った。父親に関しては、自分の娘が事故にあったことがよほどショックだったのか、家にいる時間が増えた。知星大学を受けると言った時には、かなり驚いた様子だったが、必要なものはないかしつこく聞いて来た。今まで一人の力でやって来たものの、限界があると思い、遅いながらも、塾に通わせてもらえることになった。まどかは、その決定について反対のようだったが、塾には他に天城や蓮見もいると伝えると渋々OKを出した。レベルの高い大学受験を目指している塾だけあって、朝から晩まで缶詰状態で講義を行う日もあり、毎日出される宿題をこなすだけでほぼ休みが終わった。
夏休みが明けた、数週間後。学校はやっと受験ムードになった。早い生徒で9月の後半から面接の試験が始まる。ほぼ合格は確定したと言っても過言ではないが、やはり緊張している生徒が多い。
クラス内にも夏休み気分を引きずっている生徒は少なく、先輩から貰ったであろう過去の質問集を、互いに頭を寄せ合って読んでいるグループが目立った。郡山やその取り巻きも、その質問集を元に面接の練習をしている。
取り巻きの一人が言った。
「では、志望理由を教えて下さい」
郡山は椅子に座り直し、固い表情で答えた。
「母が真徳大学出身です。話を聞いたところ、ここでは学べることが沢山あると思い志望しました。また抱負なカリキュラムも魅力的で、この大学に入学したら一生懸命勉強したいと思います」
「うん、完璧ね!絶対合格よ」
「ほんと!?」
「ええ!」
(どこがや…)
嬉しそうに取り巻きとはしゃぐ郡山をちらりと見て、私は思わず突っ込んでいた。
(薄っぺらい回答で受かるのだから、お金の力は怖い)
私は頭を振り、目の前の参考書に視線を戻した。しかし、すぐに左隣を見る。そこには、自習時間だからと、教科書を枕にして眠っている榊がいた。
(学校内試験がないとは言え…)
真徳高校は、いつも夏休み明けに校内試験がある。しかし、休みが明けてから真徳大学の面接試験を控えている生徒が多いため、なぜか校内試験が免除された。
(しかし)
私はしっかりと瞼を閉じている榊の顔を見た。
郡山でさえ迫る面接に緊張して練習しているというのに、なぜこんなにも余裕があるのか。
(やっぱりアメリカに帰るのか・・・?)
その時、私の視線を感じたのか榊が目を開いた。
「俺の寝顔に見惚れてたの?」
にやりと笑いながら榊が体を起こし、椅子の上でうんと伸びをした。
「惚れても無駄だぞ。俺は心に決めた奴がいるからな」
「受験前なのにずいぶん余裕だなと思って」
榊の言葉を無視して、私は言った。聞いていいものか迷う。未央ともう話は済んだのかどうかと。
「ああ。俺は推薦だから」
欠伸をしながら榊が言った。
「推薦?」
「おう。親父の知り合いの学長がいる大学に入る。親父の推薦で」
「つまり、コネ…」
私が小さく呟くと、榊はにやりと笑った。
「おうよ」
何の気負いもなく答える榊に私は複雑な気分だった。
(榊のお父さんって確かアメリカ在中。やはり、向こうに戻ることにしたんだ)
「そう」
私はそれだけ言うと、参考書に向いた。
「透は必死だな。そんなに試験が難しいのか?」
榊は机にうつ伏せになり、顔だけ私の方に向けた。
「ええ。全教科7割以上は確実に取らないとダメみたい」
小さなため息が出た。ここまで勉強したのは人生初だった。知識が増えることは嬉しいが、詰め込みすぎてパンクしそうな脳みそは毎日悲鳴を上げている。
「受かりそうか?」
全く書き込みのない自分の教科書をパラパラとめくり、興味なさそうに榊が聞いた。
「努力する」
「スポ根だな、さすが」
からかうように笑ったが、私は軽く肩をすくめるだけにしておいた。
その言葉もあながち間違ってはいない。生前は、根性だけで何でも乗り越えてきたのだから。
「これからは眠る時間も削って頑張るわ」
「透」
前の席で入試に向けて音楽史を読んでいた五十嵐が振り返った。
「時間はあっという間に過ぎちゃうよ。時間は有限なんだから、勉強だけに時間を取られるなんて勿体ない。どんな瞬間もちゃんと楽しまないと」
前髪の隙間から覗く瞳がこちらを見つめてくる。
突然まともなことを言った五十嵐に驚いて、私はしばらくぽかんとしてしまった。
「卒業したら、みんな離れ離れなんだよ」
「そうね」
私は真剣に頷いた。
「だから遊びに行こう!」
「お前は勉強に飽きただけだろう」
五十嵐の後ろ頭を丸めたノートでぽこんと叩きながら、蓮見が言った。
「あ、そういうことね」
いつになく哲学的な言葉を発したと思ったが、自分の勘違いだったらしい。
「カラオケ行こーよー」
「お前は歌わないだろ」
蓮見が五十嵐の机に座りながら言った。
「聞いているのが楽しい。特に壮真が歌っているのが」
「強烈な音痴だから」
五十嵐の隣で静かに勉強していた天城が話に入って来た。
「な、なんだよ!海斗だって…」
「海斗は上手い」と五十嵐。
「俺も上手いぜ!」
今度は榊が身を乗り出して言った。
「嘘。それは絶対嘘。お前は下手な顔をしている。絶対こっち側の人間だろ」
蓮見が榊の方を指さして言った。
「見た目で判断すんな!」
(うるさい…)
どんどん会話が盛り上げるにつれて、声も大きくなる。参考書の文字を読んでも中々頭に入って来ない。郡山とその取り巻きがこちらを睨んでいるのが分かった。しかし、受験前に変な騒動に巻き込まれたくないのか、榊が暴れるのを恐れているのか、今回は何も言って来なかった。
「透!俺、歌上手いよな!?」
突然、榊が私の方を向いた。
「知らないわよ。ってか、静かにして」
しかし私の言葉は誰の耳にも届いていない。
「俺のバラード聞いたら卒倒するぞ!」
「じゃあ、勝負するか?カラオケの採点機能で」
もはや仁王立ちになっている蓮見が言った。
「やめとけ。結果は目に見えてる」
天城はやれやれと首を振った。
「俺が榊なんかに負けるわけないだろ!」
「なんか、って何だよ!」
「カラオケは決まりだね」
事が上手く運んだのが嬉しいのか、満足そうに五十嵐が言った。
「いつ行く?」
「俺はいつでもいいぜ!」と気合満々の榊。
「透は?いつ空いてる?」
五十嵐が身を乗り出した。
会話を耳に入れないように努めていたが、同じところを4回ほど読んでいることに気づき、私はため息を吐いた。
「2月」
「はあ?だいぶ先だな」榊が驚いたように言った。「今まだ9月だぞ!」
「推薦組は知らないと思うけど、本試験が1月なの」
「その通りだけど、その間全く遊べないのはなんか寂しい気もする」
一気に気分が下がったのか、蓮見が悲しそうな表情を作った。
「あ」
五十嵐が手を上げた。
「来月の体育祭の後は?後夜祭を抜けて、カラオケ行くの」
「おお!いいな!」
真っ先に榊が賛成した。
(た、体育祭…?)
私は目の前の五十嵐を見つめた。
「…あの。受験生なのに、体育祭に参加しないといけないの?」
「うん。だって、真徳生の進路ってほとんど確定しているもん」
「いや、でも、外部を受験する人もいるじゃない…?」
理解が出来ず、私は目を瞬いた。
「透。考えてみろ」
いやに真剣な顔をしている榊が私の肩に手を置いた。
「体育祭だと、一日中スポーツが出来るんだぞ。しかも、学校行事で。受験勉強の気分転換になると思わないか?」
私ははっとした。
「そ、それもそうね…」
「おいしいだろ?」
強めに言う榊の言葉に、私は思わず頷いてしまった。
「じゃあ。決まりだね。体育祭のあとにカラオケで」
五十嵐が呑気に拍手をしている。
後になって知ったのだが、受験を控えている高校三年生は、体育祭の参加を強制されておらず、希望者だけ名前を提出するというものだった。勝手に白石透の名前を書かれていたとはこの時の私は微塵も想像していなかった。