悲劇のフランス人形は屈しない3
体育祭
あっという間に時間は過ぎて行く。
五十嵐の言葉通り、毎日を必死に生きているだけで、いつの間にか季節は紅葉が終わりに向かっていた。冬の訪れを朝晩に感じる10月末。真徳高校の体育祭が開催された。
いつになくその日は朝から気合いが入っていた。制服を着るのも面倒で、真徳生だと一瞬で分かる校章が入ったジャージを着て家を出た。頭の高いところでポニーテールを作っているため、ときおり吹く冬を含んだ風に首筋を撫でられると身震いした。
「気合い十分ですね」
いつものように車の扉を開けて待っていた平松が、どこか苦笑いで言った。
「今日思いっきり体を動かしたら、受験日まで引きこもるつもりよ」
後部座席に入りながら私は言った。
「なるほど」
そう呟きながら平松はドアを閉めた。
朝からスマホが鳴りっぱなしである。今日が体育祭と話すと、伊坂と未央のグループチャットから怒涛のようにメッセージが来る。
未央からは、榊の雄姿を撮って来てと何度も念を押されるし、伊坂からは全員の写真が見たいから全員分を送ってくれと来ている。夏休みに伊坂の家にお邪魔をしたとき、私が不在の間、みんなで散歩にでかけたらしい。その近所で、都会で洗練された高校生たちが美しいと話題になり、聞きつけた町の人たちから写真を見せて欲しいと連絡が殺到したという。
「お友だちですか?」
必死でメッセージを返している私にミラー越しに平松が聞いた。
「ええ。もう大変よ」
私がスマホを横に置きため息を吐いた。
「そう言いながらも楽しそうですよ。お嬢様のその表情は初めて見ます」
平松が言った。
「は、初めては言い過ぎでしょう…」
顔が赤くなるのを感じた。確かに女友達が二人も出来て浮かれているのは否めない。
「お嬢様に心許せるご友人が出来て、私も嬉しいです」
ミラー越しに平松を見ると珍しく笑顔を作っていた。
「お嬢様が、ご友人たちとバーベキューに行くなんて、夢にも思っていませんでした。本当に変わられましたね。本当に」
語尾を強めて、平松は噛みしめるように言った。
「そうね。変わったかもしれない」
窓の外を見つめて私はぼそりと呟いた。
いつも自分の周りにいる10歳年下の友人たち。彼らを好きになっている自分がいることに私は気づいていた。
気分も明るく登校したのに、参加競技が書かれている掲示板を見てがっかりした。てっきり、1年の時のように忙(せわ)しなく競技に参加できるものと思っていたが、私の名前が書かれていたのは、借り物競争と、リレーのみだった。
「応援専門ってこと…?」
他のメンバーと言うと、榊はこれでもかと言うくらいどの競技にも名前を連ねており、天城や蓮見はバスケやドッチボールなど、私がやりたかった種目に組み込まれている。五十嵐は、本人の希望なのか、綱引きだけに参加している。理由はおそらく、大人数の競技であれば、適当に休めるからだろう。
「・・・不公平すぎる」
誰が選出したのかは不明だが、あまりにも不平等な選抜に私はむっとしていた。
(スポーツは観る選じゃないのに)
二階席に立ち、3-Aのバスケの試合が始まるところを眺めながら、ため息を吐いた。しかし、試合が進むにつれて、私の不機嫌さはどこかへ消えていた。天城や榊のバスケ能力を知っていたので、勝手に圧勝するものと思っていたが、対戦相手である3-Bはバスケ部だけで選手を揃えて試合に臨んできていた。接戦が続き、いつの間にか、私は前のめりで試合を見守っていた。どうしたら体力も技量もあるバスケ部員を出し抜けるか。勝手に脳内でフォーメーションを考えていたが、たびたび隣で発せられる叫び声で気が散ってしまう。天城と蓮見を目当てで見に来た女子生徒が、二階席にあふれ返っていたからだ。
たまたま廊下ですれ違った榊に「バスケの試合を絶対見に来い」と何度も言われ、体育館に到着したときにはもう遅かった。学年を飛び越えて集まる女子たちが、ほぼ二階席を占領していた。かろうじて隙間があった最前列の端の方から、静かに試合を見守っていた。
ホイッスルの音が体育館に鳴り響き、後半戦が始まる前の休憩時間となった。
「天城(てんじょう)先輩!」
最前列から一人の女子生徒が身を乗り出して叫んだ。ジャージの色から判断するに、恐らく2年生だろうか。
「良かったらこれ使って下さい!」
体育祭の日だからと、友達とお揃いで髪を部分的に赤く染めていた女子が、有名なスポーツブランドのタオルを下に向かって投げたのが見えた。
(おお。やるな)
私はそのタオルの行方を目で追う。
タオルはひらひらと宙を舞うと誰にも触られないまま床に落ちた。
その場にいた女子全員が、壁際に消えた天城が姿を現すのを待ち構えていたが、一向にタオルが拾われる気配はない。結局、試合の邪魔になるからと審判が拾い上げ、隅に置いた。
(さ、最低すぎる…)
私はやれやれと頭を振った。
「ひ、酷い!」
タオルを投げた女子が泣き始めた。隣にいた、髪を二つに結わいている生徒が、背中をさすって慰めている。
「天城先輩はいつもあんな感じでしょ。話かけても無視されるって」
「でも私には優しいよ!私が先輩の服に飲み物をこぼしちゃった時、弁償するって言っても、「いい」って言ってくれた!怒ってないって言ってたし!」
(へぇ~。そういうところもあるんだ)
新しい天城の一面を発見して、思わずにやりと笑った。
後半の試合開始の笛が鳴ったにも関わらず、私は二人の女子の話に聞き入っていた。
「そうは言っても、顔は怖かったじゃない・・・」
友人は首を横に振っている。きっと彼女は天城のことが苦手なのだろう。
「えっちゃんには先輩の良さが分からないのよ」
タオル女子は、憤慨したように頬を膨らませた。えっちゃんと呼ばれた友人は、肩をすくめている。
「私は、蓮見先輩の方が明るくて好きだな。機嫌が悪い日を見たことないもん」
ちょうどドリブルをしている蓮見の方に顔を向けると、えっちゃんは言った。
「分かる!私も蓮見先輩派!」
二人の後ろで、別のクラスの女子が声をあげた。
「蓮見先輩は、挨拶したら必ず返してくれるのよね!」
「そうそう!あなた、気が合うわね!クラス、どこ?」
「C組!」
私は、クラスの垣根を超えて、友情が芽生え始めているところを目撃していた。
(すげぇな・・・)
「私は五十嵐先輩派かな~」
どこかで誰かが言った。
「分かります!音楽室でピアノ弾いてるところ見たことあります?すっごく神秘的でした!」
「あのミステリアスな感じが凄く素敵よね!」
また別の友情が芽生えている。
共通の話題から友人を作るのかと学習していると、少し苛立ちを含んだ高い声が響いた。
「貴女たち、静かにしてくれない?」
さっきまで和気あいあいと話していた女子生徒たちは、一斉に声のする方を振り返った。
「天城さまたちに迷惑よ」
体育祭に参加するつもりが全くないのか制服姿の藤堂が、腰に手を当て立っていた。もちろんいつものように、後ろに取り巻きを従えている。身に着けているネクタイの色から、最高学年だと気付いた後輩たちは一気に静かになった。
「さっき、天城さまにタオルを投げた子は誰?」
タカのように目を鋭く光らせて、藤堂は一同を見渡した。私の存在に気がつくと、口元を不快そうに歪めたが、すぐさま目を逸らした。
「私です」
先ほど泣いていた女子生徒が、すっと手を挙げた。驚いたことに、藤堂の迫力に全く気圧されず、背筋を伸ばしている。
藤堂はゆっくりと階段を下り、タオル女子に近づいた。
(おお、モーセ)
私は思わず感心した。
二階席には大勢の女子生徒がいるというのに、藤堂が階段を下りると、まるで海が割れたかのように道が出来た。
「先輩。私、何か悪いことでもしたのでしょうか?」
一段上で立ち止まった藤堂を見上げて、タオル女子が言った。
「ええ。あれは完全に迷惑行為よ」
「天城先輩がそう言ったんですか?直接聞いたんですか?」
突然強気になって質問するタオル女子に、藤堂は眉をぴくりと動かした。
「聞かなくても分かるでしょう。貴女、一人がやっていいことではないの。私たち皆が平等にルールを守っているのよ」
いつもの覇気が効かないことに驚きが隠せていない藤堂は、普段より落ち着きがなさそうに、声を少し荒げた。
「どんなルールがあるんですか?抜け駆けをしてはいけないルールでもあるんですか?」
腰に手を当てて先輩に抗議しているタオル女子は、誰の助けも必要としてなさそうだ。私はただの野次馬となって、この場を眺めていた。
「ええ。そうよ!天城さまは、貴女ごときが近づける存在ではないの!」
興奮で顔を真っ赤にしながら藤堂がそう言った時、試合終了の笛が鳴った。
「先輩も天城先輩が好きなんですか?」
試合が終わったと言うのに、誰一人その場から動こうとしない。この会話がどうなっていくのか固唾を呑んで見守っている。
藤堂が言葉に詰まるのが分かった。私は首を傾げた。
(あれ、藤堂って途中から蓮見に移行してなかったっけ?また天城に戻ったの?)
「貴女に言う必要はないわ」
しばらくしてから藤堂が言った。しかし、すぐさまタオル女子は言った。
「ずるいですね」
今度はタオル女子が藤堂を追い詰める番だった。
「自分が告白する勇気がないからって、ルールを作るなんておかしいです。私は正々堂々と、先輩が好きって言えますし、もっと近づきたいと思っています」
年が上とか関係なく自分の意見をはっきり言える彼女に対し、思わず感心していた。それは周りの後輩たちも同じだったらしい。「おお」と感嘆する声が聞こえた。しかし、次の彼女の言葉で、敵を大勢作ることになった。
「ライバルがいるなら、全員蹴落とします。彼女がいるなら、奪い取るつもりです」
一線を超えたセリフに、周りのざわめきが強くなった。
さきほどまで年下に気圧され余裕のなかった藤堂も風向きが変わったのを感じたようだ。
「そんな性格で、振り向いてもらえるのかしら。天城さま、下品なタイプは嫌いよ」
意地悪そうに笑うと藤堂はスカートの裾を翻し、その場から去って行った。
ここでやっと試合が終わったことに気がついた生徒たちは「先輩の雄姿が全然見られなかった」など愚痴をこぼしながら、タオル女子を睨むとその場から次々と退散していく。
数分後。私たちの他には誰もいなくなった時、タオル女子は突然その場にうずくまった。
肩を震わせて泣いている。
隣にいた友人は、慰めるかと思ったが、背中を叩きながら言った。
「なんで、いつも敵を作るかな」
「だって~。あまりに先輩が怖くて、思わず変なこと口走っちゃったのよ~」
それから顔を上げて、りっちゃんの顔を見つめた。
「私、下品なタイプだって・・・。わ、私・・・天城先輩に嫌われているの?」
さっきとはまるで別人のように、かなり弱気だ。しかし友人は意外とさっぱりしていた。
「さあ?私、先輩の好きなタイプ知らないもん」
微塵も天城に興味がないようで、知りたいとも思わないと首を振っている。
「あ、あなたには先輩の魅力は一生分からないわ!」
「それ、さっきも聞いた」
「先輩に嫌われてたらどうしよ~!ねえ、りっちゃん!私、もう生きていけない~!」
大げさに泣くタオル女子に、友人ははあとため息を吐いた。
「大丈夫だよ。だって、あなたには優しいんでしょ。天城先輩」
「そうだけど~」
「なら、いいじゃない」
「でも~・・・」
泣きごとを言うタオル女子とりっちゃんの会話を背中で聞きながら、私は静かにその場を離れた。
五十嵐の言葉通り、毎日を必死に生きているだけで、いつの間にか季節は紅葉が終わりに向かっていた。冬の訪れを朝晩に感じる10月末。真徳高校の体育祭が開催された。
いつになくその日は朝から気合いが入っていた。制服を着るのも面倒で、真徳生だと一瞬で分かる校章が入ったジャージを着て家を出た。頭の高いところでポニーテールを作っているため、ときおり吹く冬を含んだ風に首筋を撫でられると身震いした。
「気合い十分ですね」
いつものように車の扉を開けて待っていた平松が、どこか苦笑いで言った。
「今日思いっきり体を動かしたら、受験日まで引きこもるつもりよ」
後部座席に入りながら私は言った。
「なるほど」
そう呟きながら平松はドアを閉めた。
朝からスマホが鳴りっぱなしである。今日が体育祭と話すと、伊坂と未央のグループチャットから怒涛のようにメッセージが来る。
未央からは、榊の雄姿を撮って来てと何度も念を押されるし、伊坂からは全員の写真が見たいから全員分を送ってくれと来ている。夏休みに伊坂の家にお邪魔をしたとき、私が不在の間、みんなで散歩にでかけたらしい。その近所で、都会で洗練された高校生たちが美しいと話題になり、聞きつけた町の人たちから写真を見せて欲しいと連絡が殺到したという。
「お友だちですか?」
必死でメッセージを返している私にミラー越しに平松が聞いた。
「ええ。もう大変よ」
私がスマホを横に置きため息を吐いた。
「そう言いながらも楽しそうですよ。お嬢様のその表情は初めて見ます」
平松が言った。
「は、初めては言い過ぎでしょう…」
顔が赤くなるのを感じた。確かに女友達が二人も出来て浮かれているのは否めない。
「お嬢様に心許せるご友人が出来て、私も嬉しいです」
ミラー越しに平松を見ると珍しく笑顔を作っていた。
「お嬢様が、ご友人たちとバーベキューに行くなんて、夢にも思っていませんでした。本当に変わられましたね。本当に」
語尾を強めて、平松は噛みしめるように言った。
「そうね。変わったかもしれない」
窓の外を見つめて私はぼそりと呟いた。
いつも自分の周りにいる10歳年下の友人たち。彼らを好きになっている自分がいることに私は気づいていた。
気分も明るく登校したのに、参加競技が書かれている掲示板を見てがっかりした。てっきり、1年の時のように忙(せわ)しなく競技に参加できるものと思っていたが、私の名前が書かれていたのは、借り物競争と、リレーのみだった。
「応援専門ってこと…?」
他のメンバーと言うと、榊はこれでもかと言うくらいどの競技にも名前を連ねており、天城や蓮見はバスケやドッチボールなど、私がやりたかった種目に組み込まれている。五十嵐は、本人の希望なのか、綱引きだけに参加している。理由はおそらく、大人数の競技であれば、適当に休めるからだろう。
「・・・不公平すぎる」
誰が選出したのかは不明だが、あまりにも不平等な選抜に私はむっとしていた。
(スポーツは観る選じゃないのに)
二階席に立ち、3-Aのバスケの試合が始まるところを眺めながら、ため息を吐いた。しかし、試合が進むにつれて、私の不機嫌さはどこかへ消えていた。天城や榊のバスケ能力を知っていたので、勝手に圧勝するものと思っていたが、対戦相手である3-Bはバスケ部だけで選手を揃えて試合に臨んできていた。接戦が続き、いつの間にか、私は前のめりで試合を見守っていた。どうしたら体力も技量もあるバスケ部員を出し抜けるか。勝手に脳内でフォーメーションを考えていたが、たびたび隣で発せられる叫び声で気が散ってしまう。天城と蓮見を目当てで見に来た女子生徒が、二階席にあふれ返っていたからだ。
たまたま廊下ですれ違った榊に「バスケの試合を絶対見に来い」と何度も言われ、体育館に到着したときにはもう遅かった。学年を飛び越えて集まる女子たちが、ほぼ二階席を占領していた。かろうじて隙間があった最前列の端の方から、静かに試合を見守っていた。
ホイッスルの音が体育館に鳴り響き、後半戦が始まる前の休憩時間となった。
「天城(てんじょう)先輩!」
最前列から一人の女子生徒が身を乗り出して叫んだ。ジャージの色から判断するに、恐らく2年生だろうか。
「良かったらこれ使って下さい!」
体育祭の日だからと、友達とお揃いで髪を部分的に赤く染めていた女子が、有名なスポーツブランドのタオルを下に向かって投げたのが見えた。
(おお。やるな)
私はそのタオルの行方を目で追う。
タオルはひらひらと宙を舞うと誰にも触られないまま床に落ちた。
その場にいた女子全員が、壁際に消えた天城が姿を現すのを待ち構えていたが、一向にタオルが拾われる気配はない。結局、試合の邪魔になるからと審判が拾い上げ、隅に置いた。
(さ、最低すぎる…)
私はやれやれと頭を振った。
「ひ、酷い!」
タオルを投げた女子が泣き始めた。隣にいた、髪を二つに結わいている生徒が、背中をさすって慰めている。
「天城先輩はいつもあんな感じでしょ。話かけても無視されるって」
「でも私には優しいよ!私が先輩の服に飲み物をこぼしちゃった時、弁償するって言っても、「いい」って言ってくれた!怒ってないって言ってたし!」
(へぇ~。そういうところもあるんだ)
新しい天城の一面を発見して、思わずにやりと笑った。
後半の試合開始の笛が鳴ったにも関わらず、私は二人の女子の話に聞き入っていた。
「そうは言っても、顔は怖かったじゃない・・・」
友人は首を横に振っている。きっと彼女は天城のことが苦手なのだろう。
「えっちゃんには先輩の良さが分からないのよ」
タオル女子は、憤慨したように頬を膨らませた。えっちゃんと呼ばれた友人は、肩をすくめている。
「私は、蓮見先輩の方が明るくて好きだな。機嫌が悪い日を見たことないもん」
ちょうどドリブルをしている蓮見の方に顔を向けると、えっちゃんは言った。
「分かる!私も蓮見先輩派!」
二人の後ろで、別のクラスの女子が声をあげた。
「蓮見先輩は、挨拶したら必ず返してくれるのよね!」
「そうそう!あなた、気が合うわね!クラス、どこ?」
「C組!」
私は、クラスの垣根を超えて、友情が芽生え始めているところを目撃していた。
(すげぇな・・・)
「私は五十嵐先輩派かな~」
どこかで誰かが言った。
「分かります!音楽室でピアノ弾いてるところ見たことあります?すっごく神秘的でした!」
「あのミステリアスな感じが凄く素敵よね!」
また別の友情が芽生えている。
共通の話題から友人を作るのかと学習していると、少し苛立ちを含んだ高い声が響いた。
「貴女たち、静かにしてくれない?」
さっきまで和気あいあいと話していた女子生徒たちは、一斉に声のする方を振り返った。
「天城さまたちに迷惑よ」
体育祭に参加するつもりが全くないのか制服姿の藤堂が、腰に手を当て立っていた。もちろんいつものように、後ろに取り巻きを従えている。身に着けているネクタイの色から、最高学年だと気付いた後輩たちは一気に静かになった。
「さっき、天城さまにタオルを投げた子は誰?」
タカのように目を鋭く光らせて、藤堂は一同を見渡した。私の存在に気がつくと、口元を不快そうに歪めたが、すぐさま目を逸らした。
「私です」
先ほど泣いていた女子生徒が、すっと手を挙げた。驚いたことに、藤堂の迫力に全く気圧されず、背筋を伸ばしている。
藤堂はゆっくりと階段を下り、タオル女子に近づいた。
(おお、モーセ)
私は思わず感心した。
二階席には大勢の女子生徒がいるというのに、藤堂が階段を下りると、まるで海が割れたかのように道が出来た。
「先輩。私、何か悪いことでもしたのでしょうか?」
一段上で立ち止まった藤堂を見上げて、タオル女子が言った。
「ええ。あれは完全に迷惑行為よ」
「天城先輩がそう言ったんですか?直接聞いたんですか?」
突然強気になって質問するタオル女子に、藤堂は眉をぴくりと動かした。
「聞かなくても分かるでしょう。貴女、一人がやっていいことではないの。私たち皆が平等にルールを守っているのよ」
いつもの覇気が効かないことに驚きが隠せていない藤堂は、普段より落ち着きがなさそうに、声を少し荒げた。
「どんなルールがあるんですか?抜け駆けをしてはいけないルールでもあるんですか?」
腰に手を当てて先輩に抗議しているタオル女子は、誰の助けも必要としてなさそうだ。私はただの野次馬となって、この場を眺めていた。
「ええ。そうよ!天城さまは、貴女ごときが近づける存在ではないの!」
興奮で顔を真っ赤にしながら藤堂がそう言った時、試合終了の笛が鳴った。
「先輩も天城先輩が好きなんですか?」
試合が終わったと言うのに、誰一人その場から動こうとしない。この会話がどうなっていくのか固唾を呑んで見守っている。
藤堂が言葉に詰まるのが分かった。私は首を傾げた。
(あれ、藤堂って途中から蓮見に移行してなかったっけ?また天城に戻ったの?)
「貴女に言う必要はないわ」
しばらくしてから藤堂が言った。しかし、すぐさまタオル女子は言った。
「ずるいですね」
今度はタオル女子が藤堂を追い詰める番だった。
「自分が告白する勇気がないからって、ルールを作るなんておかしいです。私は正々堂々と、先輩が好きって言えますし、もっと近づきたいと思っています」
年が上とか関係なく自分の意見をはっきり言える彼女に対し、思わず感心していた。それは周りの後輩たちも同じだったらしい。「おお」と感嘆する声が聞こえた。しかし、次の彼女の言葉で、敵を大勢作ることになった。
「ライバルがいるなら、全員蹴落とします。彼女がいるなら、奪い取るつもりです」
一線を超えたセリフに、周りのざわめきが強くなった。
さきほどまで年下に気圧され余裕のなかった藤堂も風向きが変わったのを感じたようだ。
「そんな性格で、振り向いてもらえるのかしら。天城さま、下品なタイプは嫌いよ」
意地悪そうに笑うと藤堂はスカートの裾を翻し、その場から去って行った。
ここでやっと試合が終わったことに気がついた生徒たちは「先輩の雄姿が全然見られなかった」など愚痴をこぼしながら、タオル女子を睨むとその場から次々と退散していく。
数分後。私たちの他には誰もいなくなった時、タオル女子は突然その場にうずくまった。
肩を震わせて泣いている。
隣にいた友人は、慰めるかと思ったが、背中を叩きながら言った。
「なんで、いつも敵を作るかな」
「だって~。あまりに先輩が怖くて、思わず変なこと口走っちゃったのよ~」
それから顔を上げて、りっちゃんの顔を見つめた。
「私、下品なタイプだって・・・。わ、私・・・天城先輩に嫌われているの?」
さっきとはまるで別人のように、かなり弱気だ。しかし友人は意外とさっぱりしていた。
「さあ?私、先輩の好きなタイプ知らないもん」
微塵も天城に興味がないようで、知りたいとも思わないと首を振っている。
「あ、あなたには先輩の魅力は一生分からないわ!」
「それ、さっきも聞いた」
「先輩に嫌われてたらどうしよ~!ねえ、りっちゃん!私、もう生きていけない~!」
大げさに泣くタオル女子に、友人ははあとため息を吐いた。
「大丈夫だよ。だって、あなたには優しいんでしょ。天城先輩」
「そうだけど~」
「なら、いいじゃない」
「でも~・・・」
泣きごとを言うタオル女子とりっちゃんの会話を背中で聞きながら、私は静かにその場を離れた。