悲劇のフランス人形は屈しない3
太陽が西に傾き始めた頃、最後の競技であるクラス対抗リレーが開始された。一昨年と同じく、一番盛り上がるリレーを見ようと大勢の生徒がグラウンドに詰め寄っていた。選手たちは、グラウンドのスタート地点に集まり、準備運動を始めている。
「そろそろ始まりますので、選手以外は応援席に戻って下さい」
アナウンスの声が聞こえ、私は辺りを見渡した。藤堂が同じ3-Bのゼッケンを着けたクラスの男子と楽しそうに話しているのが見えた。しかし、アナウンスを聞くとひまわりのような可愛い笑顔を男子に向け、足取り軽く応援席へと向かって行った。
(あの笑顔にやられた一人か…)
その3-Bの男子生徒は、藤堂が去ったあともどこかにやけていた。
「おい」
天城が隣にやって来た。アンカーのたすきをかけ、無表情のまま私を見つめてくる。
「なに?」
体を動かし、ウォーミングアップをしながら私は聞いた。
「お前は・・・旭が好きなのか?」
いきなり突拍子のない質問が飛び出し、私は目を丸くした。
「はい?」
「さっき、借り物競争の時、旭を連れてきただろ」
「ああ…」
リレーの少し前に終わった借り物競争のことを思い出す。自分が拾った紙を見てすぐ、私は五十嵐を連れて来た。
「紙には何て書いてあった?」
「凄い能力を持った人、だったかな」
「なんで旭を選んだ?」
不満そうに腕を組んでいる。
そうこう話している内に、リレーが開始したのか、周りは歓声に包まれた。しかし、そんな盛り上がりも全く気に留めた様子のない天城は、私だけを真っ直ぐ見つめてくる。
「彼は音楽の才能が凄いじゃない。それに…、暇そうだったし」
この紙を引いた時、真っ先に思い浮かべたのは妹のまどかだった。しかし、彼女を連れて来るのは無理だ。すぐさま、学校一嫌われている自分が誘っても来てくれそうな人物を思い浮かべた時、いつものメンバーしかいなかった。その中で競技に参加せず、暇であろう五十嵐を無難に選んだだけだ。
「俺も暇だったけど」
確かに天城も借り物競争には参加していなかった。しかし彼を選べるはずがない。
「いや、あなたは無理でしょう」
私は言葉に詰まった。
「俺には凄い才能がないって言いたいの?」
言葉の端々に苛立ちを含めながら天城が言った。
「あなたは忙しいと思って…」
「は?なんで?」
「他の生徒に呼ばれると思ったから。前みたいに、ほら」
思い出させるように手で促す。
「好きな人とか、尊敬する人とか。そういう相手を探している女子が沢山いるかなと思って」
「それで?いるかも分からない奴らに、ご丁寧に俺を譲ったと?」
今や完全に怒っている天城が私を問い詰める。
「譲ったと言うか、遠慮したと言うか…」
迫力に負け、自分の声がどんどん小さくなっていくのが分かった。
「あの、何で怒っているの?」
いきなり顔を背けた天城に私は聞いた。
「怒ってない」
「いや、怒ってるでしょ…」
怒ってないと言い張る天城はまるでオモチャが貰えなくて拗ねている子供のようだ。思わず、くすりと笑みが漏れた。それを見た天城の眉間が更に深くなった。
「次だぞ」
短くそれだけ言うと私の背中を押した。
「行って来ます」
高校生活最後の楽しい時間がこれで終わりかと思うと寂しいものがある。しかしその分、ここで十分に発散させて、人生初めて真剣に向き合う大学受験に臨もう。
私は白いラインに並び、選手たちの動きを目で追った。トップを走っているのは、3―Bだ。すぐ後ろから3-Aが全力で追い上げて来ているものの、距離は縮まらない。少し離れて3-Cと3-Dが続いている。3-Bの応援席がずっと沸いているのは、総合点数で、僅差で負けている3-Aにこのリレーで必ず勝ち、優勝を目指しているからだろう。
「白石さん!」
クラスメートからのバトンを受け取り、私は勢いよく走り始めた。心臓が、血液が、全ての臓器がまるで水を得た魚のように生き生きしてくるのが分かった。周囲の歓声の声が静まり返り、自分の呼吸だけが聞こえる。すぐ前にいる、高身長で体格も良い3-Bの背中に追いついて来た。
(あと少し…!)
足に力を込め、更にスピードを速めた。とうとう3-Bの選手に並んだ時、隣で男子が「チッ」と舌打ちをするのが聞こえた。その生徒が、先ほど藤堂と話していた人だと気付いた時にはもう遅かった。追い越す寸前に思い切り肩にぶつかられ、私はその勢いで横に吹っ飛んだ。
思いっきり、地面に体を叩きつけられ、一瞬息が止まった。しかし、体中を巡るアドレナリンのおかげで、全く痛みは感じない。私はすぐさま、立ち上がりコースに戻ると、彼の背中目がけて走り始めた。しかしどう頑張っても開いた距離を縮めることが出来ず、とうとうバトンを待つ天城の姿が見えて来た。
「…ごめん」
バトンを渡しながら、焼け付く喉の奥から呟いた。
「任せろ」
天城はそう短く言うと、風のように走り始めた。
私は邪魔にならないようにコースから外れ、天城の姿を目で追った。酸欠で頭がクラクラする。しかし、走り出した途端、スピードが徐々に上がっていく彼の姿から目が離せなかった。会場の声がどんどん大きくなり、悲鳴に似た歓声がグラウンドを包んでいた。もはや3-B対3-Aの勝負の行方を見守っている生徒しかいない。3-Bとの差は歴然としており、もう追い越すのは難しいと思われたが、天城にバトンが渡った瞬間に空気が変わった。
私は全力で走る二人の距離がどんどん縮まるのを、手に汗を握りながら見守っていた。彼の姿が小さくなり、そして大きくなって来た。とうとう天城が3-Bに並んだのが見えた。苦しそうに顔を歪めている3―Bの生徒は天城に抜かれないように必死に走っている。しかし、疲れている様子を全く見せない天城は、ゴール手前になってとうとう彼を追い越した。そして余裕を持って、先にゴールした。会場が割れんばかりの拍手と叫び声で溢れかえった。応援席から、雪崩のように生徒たちが飛び出して来る。
その流れに追いつかれる前に、私は無心で天城に駆け寄り抱き着いていた。
「やってくれたわね!」
「今回は罵声なし?」
荒く呼吸をし、額の汗を拭いている天城がにやりと笑った。一瞬、疑問符が浮かんだが、一昨年、ゴール直前で手を抜いた天城に飛びかかろうとしていた自分を思い出した。
「今回は合格」
私もつられて笑いながら天城から離れようとすると、ぐいっと体を引き寄せられた。
「これも凄い才能?」
アドレナリンが出ているせいか、いつもより楽しそうな天城に心臓が爆発しそうだ。どう返答しようかと思っている間に、蓮見が天城の背中に飛びついた。その拍子に腕が外れ、その隙に逃げ出した。
「海斗―!お前、かっこよすぎ!俺、泣いたよ~」
「…重い」
「天城、お前を見直した!」
榊も駆け寄って、天城の頭を乱暴に撫でている。
「本気で走ると、本当に速いのな。お前!」
未だに天城の背中におぶさりながら蓮見は鼻声で言った。泣いたというのは本当らしい。
「そうだ!白石ちゃん!怪我ない?」
そう聞かれ、どこかしこに痛みが戻ってきた。
「本当に最低な奴だな、アイツ。懲らしめてやる」
歯ぎしりしながら、榊が辺りを見渡した。しかし辺りは、応援席から駆け付けた生徒たちでごった返している。もはや誰がどの学年なのか、どのクラスかも分からない。
そして少し目を離した隙に、天城と蓮見は大勢の生徒に囲まれていた。
「先輩!走る姿、凄くかっこよかったです!」
「一緒に写真撮ってください!」
どんどん後ろに押され、私と榊はとうとう輪の外へ追い出された。
まるで芸能人に群がるファンさながらに、歓喜と狂気に包まれている。この光景を初めて見た榊は、唖然としていた。
「…透。保健室行くか」
「そうね」
私たちはしばらくの間、呆然と目の前の光景を眺めていたが、校舎に向かって歩き始めた。

嬉しいことに普段から鍛えているおかげで、軽い怪我で済んだ。突き飛ばされた時、咄嗟に受け身の姿勢になったせいか、左手首に捻挫をしてしまったが、しばらく安静にしていれば問題なさそうだ。保健室で念入りに手当てをしてもらい、汗ふきシートを5枚ほど使い切ってすっきりした時、五十嵐がノックをして入ってきた。
「終わった?」
「ええ。今、帰るところ」
私は鞄を背負い、保健室の先生にお礼を言うと五十嵐の後ろについて校門へと向かった。
いつも待っている平松の車はなく、五十嵐の運転手だけが待機していた。生徒たちはまだ後夜祭があるため学校内にいる。その為、門の外にいるのは私たちだけだった。
(早すぎたかな…)
私は鞄からスマホを取り出し、迎えに来てくれるよう連絡を入れようとしていると五十嵐が手首を掴んだ。
「何しているの?」
「車を呼ぼうと…」
「何言ってるの。ほら、乗って」
天城、蓮見、榊の三人は既に車の中で待機している。
「え?」
背中を押す五十嵐に私は戸惑いを隠せない。
「忘れた?これからカラオケでしょ」
「あ…」
(そうだった。忘れてた・・・)
帰ったらシャワーを浴びて少し寝ようと考えていた私は、慌てて言った。
「キャンセル出来る?私、怪我人だし。汗もかいてるし…」
車に乗る手前で苦し紛れに言ったが、五十嵐は首を振った。
「大丈夫、気にしない。それに右手は生きてるでしょ」
聞く耳を持たない五十嵐はそう言うと、私を無理やり車内へ押し込んだ。
(少し付き合ってから、さっさと帰ろう)
カラオケに行きたいと言い出した本人は、聞く専門のようで皆の歌を聞きながら楽しんでいた。意外だったのは、榊が自分で豪語するくらい歌が上手かったことだ。バラードを歌わせたら右に出るものはいない、という彼の自慢もあながち嘘ではなさそうだ。あまり乗り気でない天城も、五十嵐が言う通り人並みの歌唱力だった。そして、目玉である蓮見はと言うと、採点機能がエラーを起こすほどの音痴っぷりだった。
皆が笑いすぎで過呼吸を起こしている中、嫌だと言い続けたにも関わらず、私の番となってしまった。久しぶりのカラオケに緊張したが、気持ちよく歌えたし、出来栄えはそこまで悪くなかったと思う。聞いていた全員が、笑うのを止め、静まり返った程だから、手ごたえも良かったに違いない。しかしその夜、最強の音痴王の座に輝いたのは、なぜか私だった。
そして私だけ早く帰されることとなった。
(結果オーライなのに、なんか腑に落ちん・・・)
帰りの車の中で、私は少しモヤモヤしていた。
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