悲劇のフランス人形は屈しない3
教室内が乾燥している。乾いた唇を舐め、唾をのみ込んだ。喉はカラカラに乾いているのに、手に汗をかいていた。嫌に時計の音が大きく聞こえる。長時間同じ体勢でいるため背中が痛くなって来たが、その姿勢を崩せない。見直しをしようとページをめくったところで、試験終了を知らせる鐘がなった。
「では、筆記用具を置いて下さい」
試験官が教壇の前に立って言ったのと同時に、私はやっと深呼吸が出来た。
(やれるだけやった…)
息を詰めていたのは、私だけではなかったようだ。クラスのあちらこちらから、大きなため息を吐いている音が聞こえた。
試験官が答案用紙を回収にくる間、私は筆記用具を筆箱にしまった。そして、ふと消しゴムに目を止めた。消しゴムのカバーを外すと、自分で大きく書いた〈合格〉の文字が現れた。しかし、それを裏返してみると、赤、青、緑、黒の文字で書かれた決してきれいな字とは言えない〈合格〉の文字が4つ書かれていた。
思わず思い出して笑みが零れた。
みんなで消しゴムに〈合格〉と書いて、お互いを応援し合おうと言い出したのが、さんざん私を馬鹿にしていた榊だから驚きだ。クリスマスパーティーの時、5人分の消しゴムを用意していた榊にそそのかされ、私たちはそれぞれの分に〈合格〉の文字を書いた。
(クリスマスパーティーと言えば…)
回答用紙を試験管に渡しながら、クリスマスパーティーのことを思い出していた。


「お嬢様、お客様がお待ちです」
いつものように支度に何時間もかけてから私は玄関口に立った。今回は、去年のハイヒールでの怪我を教訓とし10センチ以上のヒールは避けてほしいと伝えていたため、8センチのベージュ色のピンヒールが採用された。前回は大きな蝶が飾られていたが、今回は大きな花が付いている。ドレスはというもの、淡いピンクと水色を重ねたレースが特徴の、まるで綿あめのようなドレスが用意された。繊細に作られた靴が目立つようにひざ下は足が見えるようにカットされているが、後ろはひきずるくらい長い。今年も気合いの入ったドレスで、会場に行く前から恐縮してしまった。髪は首の後ろで編まれ、頭上には小さなティアラが乗せられた。
派手すぎではないかと恥ずかしい一方で、妹の目の煌めきは本物だった。「お姉さま、きれい!女神様みたい!」を連発され、気分が上がってしまったことは否めない。
今回こそは自力で靴を履き、ドアを開けて待っている平松の腕に掴まった。
「お嬢様、お綺麗ですね」
優しく笑いながら平松は軽くお辞儀をした。
「ありがとう」
(るーちゃんの見た目ですから)
どこか誇らしく感じながら、私は家の前に停めてある車へと足を進めた。
しかし、車の前には一人ではなく数人並んでいることに気づいて私は立ち止まった。
私を迎えに来るのは榊のはずだ。…そう、榊“だけ”のはずだった。
「おお!白石ちゃん美しいねぇ!」
タキシード姿の蓮見が言った。隣に腕を組んで立っている黒いスーツの天城や、珍しく前髪を上げている五十嵐にも目をやる。
「どこぞの姫みたいだな」
榊は目を丸くしながら、なぜかスマホのカメラを私に向けている。榊も驚いたことにきちんと正装していた。しかし金髪をオールバックにしているため、怖い印象は変わらない。
「な、なんで、皆がいるの…?」
平松が先を促すので、私はまた足を前に進めた。
「いや~、なんとなく?」蓮見が頭をかいた。
「誰も譲らないから」
五十嵐が青い瞳を向けた。
「俺、ダンス出来ねぇし」
榊がちらりと蓮見を睨んだ。この様子を見ると、あの奇妙なダンス対決は蓮見が勝ったようだ。
「ダンス出来ない人は、カップルチケットが貰えねぇって…」
ぶつぶつ言っている榊の言葉を遮って、蓮見が明るい声で言った。
「ということで、皆で来ました~!さ、乗って!」
またカラオケの時のように窮屈な状態で車に乗るのかと思ったが、彼らの後ろに控えていたのは、いつもの5人乗りの高級車ではなく、白いリムジンだった。
「写真でしか見たことないやつ…」
私は口の中で呟いた。嬉しさと興奮で心臓がドキドキと鳴っているのが分かった。
「皆さん。行く前に写真撮って行かれませんか?」
丁寧に平松が提案し、なぜか私を真ん中にしてリムジンの前で5人並んだ。
その写真が、母親だけでなく蓮見母にも渡ると思うと複雑な気持ちになった。どこまでも拡散されることになるだろう。


「あの?帰られないのですか?」
上から声を掛けられて私は我に返った。いつの間にか教室には誰もおらず、私だけ一人椅子に座っていた。相当長いことぼうっとしていたのだろう。
「す、すみません。すぐ、出ます!」
「いえ、ゆっくり支度して下さい。本日はお疲れさまでした」
そう言うと試験官は、丁寧に頭を下げて教室を出て行った。
私は鞄に筆記用具を突っ込み、急いで教室を出た。
「雪だ…」
外に出ると、灰色の空からゆっくりと雪が舞い降りてきた。まるで綿毛のように、宙で踊るように回転すると地面に吸い込まれて消えて行く。
「きれい…。けど、寒い!」
私はマフラーをもう一周巻き、平松が待っている駐車場へと足を速めた。
平松は傘を持って、校舎に来るところだった。私の帰りが遅いのを心配したのか、コートも着ていない。
「ごめんなさい!ぼうっとしてた!」
温かい後部座席に乗り込み、私は肩の雪を払った。
「学生はどんどん帰って行くのに、お嬢様だけ戻って来ないので心配しましたよ」
運転席に乗り込んだ平松が言った。
「試験の出来が悪くて落ち込んでいるのかと」
「ちょっと!不吉なこと言わないでよ…」
私がむっとして言うと、平松は軽く笑った。
「その様子だと大丈夫そうですね」
車はゆっくりと雪の中を走り出した。
「雪の予報ではなかったんですけどね」
平松が前を向いたまま、小さく呟いているのが聞こえた。
私は外を眺めながら、ひんやりと冷たい窓に額を付けた。
さっきクリスマスパーティーのことを思い出したせいか、あの日のことがまた記憶から蘇る。
「そういや、あの日も雪だったな…」
< 27 / 38 >

この作品をシェア

pagetop