悲劇のフランス人形は屈しない3
バレンタインデー当日。その日は朝から大忙しだった。まどかに協力してもらい、朝から両親を追い出すと、妹と二人でチョコレート作りを始めた。まどかがお菓子にまみれると考えただけで嫌な表情を露わにしていた母親だったが、姉と最後の時間を楽しみたいと父親に甘えた結果、まどかが勝利した。結局、母親は父の前では強く出られないようだ。
「お姉さま、チョコレートを細かく砕いたあとはどうするの?」
レースをあしらったピンク色のエプロン姿のまどかが聞いた。
「湯銭にかけるから、全部ボウルに入れておいて」
「はーい」
嬉しそうに返事をする妹を横目に見ながら、私はふと笑みがこぼれた。
まどかから「自分でチョコレートを作りたい」と言い出したのはつい数日前だった。バレンタインデーなど全く考慮に入れていなかった私は、誕生日会との計画を少し変更する必要があった。
私は沸いたお湯の火を止めながら、時計に目をやった。
手に入りにくいクルーズの一日券が当たったと、まどかが父親に渡した作戦が功を奏して、二人は朝から出かけることになった。しかし、船の出発時間があると急かしたにも関わらず母親が最後まで粘ったせいで、時間が押している。
(蓮見が来るまであと3時間…)
私は沸いたお湯をボウルに入れ、温度を測った。
「お湯の温度が50-55度だったらOK」
温度計が54度を表示したのを確認し、刻んだチョコを入れたボウルを抱えて待っているまどかに合図した。
「それここに入れて、お湯が入らないようにゆっくりかき混ぜて」
妹は慎重にお湯の入った器の中に自分のボウルを入れると、ゴムベラで混ぜ始めた。
「なめらかになるまで混ぜてね」
「う、うん」
初めてチョコ作りをするまどかは、かなり緊張しているようだ。
それを見ながら、私はシリコンのハート形の型抜きを用意しきれいに拭いて置く。それからオーブンシートを丸めてコルネ(三角の帽子型の絞り袋)を作成した。
「お姉さま、こんな感じ?」
まどかが少し不安そうに言った。私はボウルの中を覗き込み、なめらかな状態になったチョコを見てから頷いた。
「いいね。それじゃあ、チョコをこの中に入れて、型抜きに絞っていくよ」
小さな妹の手が絞り袋を軽く支え、私がチョコを中に流し込む。ボウルのチョコをかき集めて全て入れ終わると、それをまどかに渡した。
「このハートの中?」
妹が緊張した面持ちで私を仰ぎ見た。私は頷いた。
「うん。入れてしまえば、あとは冷やして終わり」
「頑張るわ」
一生懸命型に絞り込んでいる姿を見ていると、これを貰える蓮見は本当に幸せ者だと思った。小さなジェラシーが私の中で生まれる。
ゆっくり時間をかけて終わらせたまどかは、額の汗をぬぐうと私の方を見た。
「終わったわ」
「よし、じゃあ冷蔵庫に入れておいて」
慎重に型を運び、言われた通りにするとすぐ妹は私の方にやって来た。
「じゃあ次のチョコね」
数日前は二種類作ると意気込んでいたが、妹は頭を横に振った。
「お姉さまのを見てる。お菓子作りって結構大変~」
疲れた様子でため息を漏らした。まどかが手掛けたのは、基礎中の基礎のだという事は伏せておいた。
第一段のチョコを冷蔵庫で冷やしている間、私はまどかが作りたいと言っていた、トリュフを作り始めた。そこまで難しくなく、先ほどのチョコを湯銭する代わりに温めた生クリームを入れて混ぜるだけと説明したが、まどかはもうお菓子作りに興味を失っていた。
「それならカードを作ったら?」
私の手元を見つめているまどかに言った。
「チョコだけも寂しいでしょ?カードを添えるだけで、気持ちが伝わるよ」
「それもそうね…」
まどかはそう呟くと、足音を響かせて慌ただしく二階へ走っていった。母親がいたら憤怒するだろうこの光景も、また見られなくなると思うと寂しくなった。
二階で何をしているか分からないまま時間が過ぎた。冷蔵庫で冷やしたチョコレートが固まった頃にまどかは降りて来た。両手には大量のバレンタインカードを抱えている。
「印刷に手間取ってしまったわ」
「そ、そんなにどうするの?」
リビングにある大きなテーブルの上にカードを全て乗せてまどかが言った。
「ここから良さそうなのを探すの」
「この山から…?」
「ええ」
真面目な顔をしてまどかが頷いた。私はちらりと時計を見た。もうすぐ10時になろうとしている。
「間に合う?チョコのデコレーションもあるでしょ」
「お姉さま、お願いしていい?」
手を合わせ、まどかは片目をつぶった。可愛いお願いのポーズに私はやれやれと首を振った。
「あと30分で蓮見が来るのを忘れずに」
「はーい」
私はまどか作のチョコにチョコペンでデザインを施していく。手が込んでしまうと私がやったと言われそうなので、線をいくつか引いたり、小さなハートのチップを乗せるだけにしておいた。事前に妹が用意しておいた、ピンクと白の四角い箱に、冷蔵庫でさらに数十分冷やしたチョコを入れ、リボンを付けた。その頃になると、既に着替えを済ませたまどかがリビングのソファーで、最終チェックをしていた。真っ赤なポンチョに、白いリボンを髪の後ろにつけてお洒落した格好の妹は、自分が書いたカードを何度も読み返していた。
「メッセージは書けた?」
私はチョコが入った紙袋をまどかに渡しながら聞いた。
「ええ、ばっちりよ」
どこか恥ずかしそうに妹は瞳を伏せた。
「まどかのチョコを多めに入れて、おまけのトリュフは少しだけにしておいた」
これなら自分が作ったって言えるでしょ、と言うとまどかは満面の笑みを私に向けた。
「ありがとう。さすがお姉さま!」
その時、ピンポーンと呼び鈴が響いた。
「来たね」
私はすぐさま立ち上がり、玄関からお客様を迎え入れた。
「まどかちゃ~ん。来たよ~」
普段の私服ではなく、紺色のジャケットを着た蓮見が明るい声で言った。
「あ、蓮見さま!」
そこまで元気に言いかけてから、自分のはしゃぎようを隠すかのように一歩後ろに引くと頭を下げて挨拶をした。
「おはようございます」
「準備は出来た?」
蓮見が聞くと、まどかは頷いた。
「さ、いってらっしゃい。まどかの誕生日なんだから、我がまま言い放題よ」
「出来る限ることはするよ」
蓮見はまどかの手を取ると、私の方に意味深の視線を投げた。私は頷き、二人を家から見送るとすぐさまチョコレート作りの残骸を片づけ始めた。
しかし、ものの数分後には、またチャイムが鳴り、騒がしい声が聞こえた。
「お邪魔するぜー!」
扉を開けるとすぐに榊の大きな声が響いた。
「甘い匂いがする」
「チョコ残ってる?」
天城、五十嵐と姿を現した。
「テーブルに乗っているの、勝手に食べて」
私は食器を洗いながら言った。
「茶が欲しいな」
さっそく食べている男三人は、甘いものだけでは喉が渇くと言わんばかりに戸棚を開けて自分たちで飲み物の用意をしている。
時間差でチャイムが鳴り、未央が姿を現した。
「遅れてごめん。迷った!」
大きな荷物を抱えて来た未央は片手で謝った。
「ううん。ありがとう」
最後の協力者を迎え、私たちは妹のサプライズパーティーの支度を始めた。

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